2025年9月15日月曜日

ロバの耳通信「SPY/スパイ」「アメリカン・サイコ」

「SPY/スパイ」(15年 米)

動画サイトで俳優名で検索して見つけた映画。大好きジェイソン・ステイサム、ジュード・ロウじゃあ面白くないわけないだろうと期待。うん、めっちゃ面白かったが、普段ほとんど見ることもないコメディー。

主役が二段アゴのデブ女メリッサ・マッカーシーでゲンナリだが、アクションシーンなんかも結構丁寧な造り。「007ジェーム・スボンド」シリーズ(62年~ 英)と「ジョニー・イングリッシュ」シリーズ(11年~英)を足して割ったCIAスパイアクションモノ。「007」は、とんでもないアホ話に大スターが大真面目でアクション演技をするこそばゆさ、「ジョニー・イングリッシュ」は、桁外れのばかばかしさを感じながらもシリーズを楽しんでいたのだが、「SPY/スパイ」は、大真面目アクションをジェイソン・ステイサム、ジュード・ロウが、ばかばかしい方をデブ女がと分担、パクリなりに面白かった。
世界のほぼすべてで公開されていて、配給も20世紀フォックスと最大手なのに、日本では劇場公開されずDVDやヤミ動画で見るしかない。なぜ日本だけ劇場公開されなかったのだろう。

「アメリカン・サイコ」(00年 米)

投資会社のヤングエリート、クリスチャン・ベールは快楽殺人鬼だった。(レオナルド)ディカプリオが候補だったこの役をクリスチャン・ベールを引き継いだと。ディカプリオの幼い顔より、クリスチャン・ベールの狂気がずっと似合っている。

ふた昔の前の映画なのに、ウオール街の町並みはガラスのビルに囲まれ、ヤングエリートが集うクラブは革と葉巻の匂いのするソファーやコカインを吸うための小部屋、住まいは管理人つきで夜景がきれいな高層マンションのペントハウス、窓には天体望遠鏡、クローゼットにはダークスーツが並ぶ。憧れを通り越した夢のエグゼプティブの暮らしは、古さを微塵も感じさせない。
高級レストランで意味不明の料理を食し、パーティーではよく知らない友人たちや群がる女たちと意味のない馬鹿笑い。金持ちの暮らしとはこういうものなのか。空しいと感じさせても、憧れとのバランスはとれない。
同僚を斧で殺し、娼婦をチェーンソーで追いかけまわし、顧問弁護士に殺人を告げても信じてくれない。だから、空しい暮らしは変わらない。

楽しくも面白くもないが、忘れられないいい映画だった。同名の原作本(95年 角川文庫)があり、ソッチのほうがずっと過激で重苦しいらしい。また、読みたい本が増えた。

2025年8月29日金曜日

ロバの耳通信「下町ロケット」「花の下にて春死なむ」

「下町ロケット」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

ちょっと、考えあぐねているのが池井戸潤。この直木賞受賞作の「下町ロケット」も、予想通り面白かった。読み始めたら、途中で止めたくないほど、なのだが、何冊か読んできて、池井戸の勝ちパターンというか、読者を引き込む手口に飽きてきたらしい。カミさん曰く、”作ってる”から好きじゃない、と。
勧善懲悪、ハッピーエンドはキライじゃないが、ずっとこれだと飽きる。文章もうまいし、ストーリーを組み立てる素材というか、今回の「下町ロケット」でいえば、大企業・町工場の描き方、水素エンジンのバルブシステム、銀行と企業の駆け引きなどのディテールもおろそかにしていないから臨場感に引き込まれてしまうが。解説を読むと、江戸川乱歩賞受賞の「果つる底なき」、大企業の横暴を描いたという「空飛ぶタイヤ」、吉川英治新人賞受賞の「鉄の骨」などなど、紹介されているどの作品にも期待が膨らむ。飽きた、と期待のせめぎあい。読みたい作家はまだまだいるからね。

「花の下にて春死なむ」(01年 北森鴻 講談社文庫)

裏表紙の”日本推理作家協会賞”の釣りに惹かれ読み始めた連作6編。著者の作となる俳句やら、気の利いたビアバーのマスターとの洒落た会話など、著者自身が楽しみながら書いたに違いないミステリーは、ひとひねりもふたひねりもしてあって謎解き好きには堪えられないかも。
初めての作家だが、この作品は、ただ、好みに合わない、訳知りマスターが凝った料理の能書きを垂れながら謎解きをして見せるなんてのは。で、巻頭を読んで、中盤を拾い読みして、ヨイショだらけの郷原宏の解説ー実は、この郷原宏が好きじゃないから、坊主憎けりゃ・・になってるかも、と北森には申し訳ない気もするーで勧められた巻末短編も読みだしたが、途中でコンジョウが尽きた。

2025年8月20日水曜日

ロバの耳通信「ミッドナイト・バス」「虚の王」

「ミッドナイト・バス」(16年 伊吹有喜 文春文庫)

深夜バスの運転手として働く男には都会の暮らしに疲れ実家に帰ってきた息子とコスプレアイドルに夢中の娘、姑との諍いのため別れた妻がいて、前妻には新しい家庭があり、男も新しい伴侶を持つことを考えている。騙しも、殺しもない。普段ミステリー小説やノワール映画に明け暮れているから、こういう小説はちょっと退屈なのかなと不安もあったが、父と息子、父と娘、前妻と子どもたちの「どこにでもあるような話」ではあるけれど、ときどきウルウルしながら500ページを一気読み。カミさんは、元妻とまた一緒になるというラストが良かったと。ワタシは、男は前妻や小料理屋の女将のどちらとも撚りを戻さないというラストが良いと思ったのだが、伊吹は別のラストを準備していた。


「ミッドナイト・バス」(18年 邦画)


主演のバス運転手役原田泰造、その妻役山本未來も、音楽(川井郁子)も良かったが、とても重要な役柄だと思える小料理屋の女将役の小西真奈美がゼンゼンそれらしくなく、つまらなかった。製作スタッフもよく工夫したなと感心したのが、娘とその相手の両親を入れての会食シーン。原作にあった突然3人が玄関先に立つところで、このマザコンボーイフレンドと両親の態度に辟易感を感じているのに、映画では会食場所に向かうエレベータが騒々しい中国人たちに囲まれて辟易するシーン、そのあとのレストランでも騒々しい中国人に囲まれて、大事な食事会がワヤになってしまうところ。マザコンの母への憎々しさ倍増。
製作が新潟日報社で、公開も新潟千行ということでローカル色が強かったが、カメラワークが自然で信濃川と万代橋の風景も楽しめた。とはいえ、映画が原作を超えることのハードルの高さを感じた。

「虚の王」(03年 馳星周 光文社文庫)

馳のノワール小説は好きでずっと読んできた。この「虚(うつろ)の王」は、その中でも最も失望した一冊になってしまった。魅力的な4人のキャラでもっともっとノアールにしてほしかった。どうせ最後に殺してしまうんなら主人公を隆弘じゃなく、「最初から」極悪英司にすればよかったのにと残念でならない。美少女希生(のぞみ)にも、女教師潤子にももっと汚れて欲しかった。「不夜城」「漂流街」「夜光虫」(97年~99年)の、ページをめくるのが惜しくなるような興奮がなつかしく、恋しい。
600ページも読み進めてきて、本当に面白かったのがラストページだけなんて酷いよ。いくらワタシが速読だったって、600ページを読み終えるのに何日使ったとおもっているんだよ。

2025年8月10日日曜日

ロバの耳通信「フォース・プラネット」「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」

「フォース・プラネット」(16年 米)原題 Approaching the Unknown

火星探検の第1号として派遣された船長(マーク・ストロング)は、土から水を作り出す”水炉”の発明者で絶対の自信を持っていた。ところが、火星への長旅の間、水炉の調整時にバルブの接続を間違えるという”へま”をして水をつくることができなくなる。火星に行っても、水が作れなければなにもできない。地球に戻るには離れすぎ、しかも過大な期待をされて送り込まれた”専門家”の矜持もある。
ラストシーンは、火星に降り立ち生物はいないとモノローグするが、これが実際の出来事か、夢まぼろしだったのか。

「キングスマン」シリーズ(14年~ 英)で、スパイの先生マリーン役でいい味を出していたマーク・ストロングもこの「フォース・プラネット」では、自称専門家の鼻っ柱ばかり強い宇宙船の船長。思いがけない水炉のトラブルで、自分を失っておかしくなってゆく様がなんとも。

それにしても一年ちかく、ひとり宇宙船の中で過ごすってのはどうだろう。たとえは悪いが、ネット喫茶の個室で一年暮らすようなものか、それもいいんじゃないか、ワガママ放題、三食付きネット環境付き、うーん。一週間くらいならいいか、と楽しい妄想。

「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」(14年 ノルウェー・スウェーデン・デンマーク)

何と、安易な邦題だ。原題kraftidiotenは失踪、みたいな意味らしい。
雪上車の運転手(ステラン・スカルスガルド)の息子の大学生の死体が見つかり、麻薬の過剰摂取という警察の説明に納得せず真相を突き止めるべく、息子の友人関係から調査を進める。麻薬カルテルの末端から一人づつ殺してゆき、地元ラスボス”伯爵”までたどりつく。伯爵は、部下たちの失踪を、セルビア人ギャングの裏切りと勘違いし、地元ギャングとセルビア人ギャングの抗争に発展する。
面白いのが、舞台がノルウェーの街なのに、スウェーデン人、アジア人、セルビア人など多様の人々が登場するし、運転手もその兄の元ギャングもギャングのボスの伯爵も、みんなうるさい妻たちに悩まされていること。福祉が行き届いた北欧の特徴なのだろうか。

先週、映画にでもと放映プログラムをチェックしていたら、この映画のリメーク版「スノー・ロワイヤル」リーアム・ニーソンの主演で放映されていると。監督も本作と同じくハンス・ペテル・モランドらしい。リーアム・ニーソンって、どんな映画でも同じ演技。まあ、この役には合ってるとは思うけれど、映画館に行ってまでもという気はしないかなー。「スノー・ロワイヤル」って邦題もなんだかね。

2025年7月30日水曜日

ロバの耳通信「夜行観覧車」「かずら野」

「夜行観覧車」(13年 湊かなえ 双葉文庫)

湊かなえの文章は読みやすい。普段着の言葉で語られるのはどこにでもありそうな普通の不幸な家庭。「夜行観覧車」は3つの家庭の内情が描かれている。視点を変えるごとに、自分のアタマが混乱するのがわかる。しかも、ほかの湊の小説と異なるのは、「母の思い」の重み。出てくるのは独りよがりの母親ばかり。子供たちの非行が、自らの不安の子供たちへの投射だと気付けよ。ハッピーエンドの終わり方が気に入らない。

いままで読んだ湊の作品では、不幸な子供たちの「思い」がいっぱい描かれていて、それが湊の小説の魅力でもあったと思う。きれいごとの表現を使えば傷つき易かったり、狡かったり、ワガママであったり、純粋であったりの部分を書き込んでいた。
それが、この小説の3つの家族の視点はすべて母親の女の冷めた視点だと感じてしまったのだ、ワタシは。つまりは、子供たちへの本質的な愛の欠落を感じてしまったのだ。無意識という悪意。

湊のデビュー作「告白」(08年)はまず映画、次に小説だったし、視点が変わることも少なかったし、スジで混乱することもなかったから、わがまま母親が暴走したり反省したりのワガママ物語の「夜行観覧車」ほどの疲れはなかった。

テレビドラマ化されているというから、そっちを見て、また本に戻ってこよう。テレビドラマでは母はどう描かれているだろうか。

「かずら野」(04年 乙川優三郎 幻冬舎文庫)

乙川の作品をいくつか読んできた。矜持のための今一歩を踏み出せない武士の物語だったり、思いを伝えられない切ない物語が多かったと思う。この「かずら野」は、物言うこともできず、男に翻弄され続けた女の物語である。
足軽の次女に生まれ、糸師(生糸生産者)の家に売られた女が、主人殺しの嫌疑をかけられたまま糸師の若旦那と落ちてゆく。丁寧に綴られるのは、糸師の元での生糸を紡ぎ、端糸を染めて縫物にし、塩を作り、鰯の干物を作るといった、当時の市井の人の暮らし。住処も松代、深川、行徳と彷徨う。女が、男に愛想をつかし、独り立ちを決心したその日に・・。
書評では、乙川らしからぬとか、チャレンジ失敗作とかの酷評が多かったが、ワタシには「流されてゆく女」の心情を男の乙川がここまで書けるのかとの驚きと感動を覚えた。いやいや、女の心情なんてのは乙川もワタシも、本当のところがわかっていないのに、勝手に想像しているだけかもしれないのだが。

2025年7月20日日曜日

ロバの耳通信「中国毒」「日本国債」

「中国毒」(14年 柴田哲孝 光文社文庫)

書評家による解説に”読者の日常の安寧を爆破する一冊””本を閉じてからの毎日を不安の中で過ごさねばならぬはず”とあった。ワタシも読み終わって、そんな恐ろしさを感じた。
異常に患者が増加したクロイツフェルト・ヤコブ病を調べてゆくうちに、原因と思われる「ある疾病」に行き着く。潜伏期間が数年、伝染しない代わりに発病は突然、しかも治療法なし。あまりに恐ろしくて、詳しくは書けないが、強い不安としてワタシの記憶に焼き付いてしまった。もう、ダメだ。忘れられない小説になった。


ノンフィクション作家である柴田が、自らフィクションだと主張する小説の中で、殺し屋やら腕利きジャーナリストといった虚構の物語で味付けをしながら、「事実らしきこと」を読者に丁寧に説明しながらストーリーに乗せてくれた。読者は500ページの終点で、積み上げられた「事実らしきこと」に、途方もない不安以外に感じることができなくなっていることに気付くのだ。

怖かったといえば「残穢」(ざんえ)(15年 小野不由美 新潮社文庫)も怖かったが、「中国毒」の怖さは、もっと、もっと「ありそう」な怖さだ。柴田の説得力に脱帽。「残穢」は、読まなくても死にはしないが、この「中国毒」は、読まなければならない作品だ。

「日本国債」(03年 幸田真音 講談社文庫)

経済小説のつもりで借りてきたのに読み進めるうちに特捜刑事と一緒の気持ちになって、犯人捜しにハマってしまった。なにより、この幸田真音(こうだまいん)という作家、初めて。読みなれたいつもの作家を追いかけているうち、とんでもない傑作を見落としていたのかと、激しく後悔。
国債の仕組みと官僚の関わり、証券ディーラーの債券市場での戦いと証券ウーマンの成長、特捜刑事の活躍など上下巻の長編にギッシリと話題や事件が詰め込まれているのだが、日本国債の課題という骨太のストーリーは、殺人未遂やらジンワリくる大人の恋を散りばめられても気持ちが散逸することを許さない。取引中のトレーダーのチャットなど、到底ありえないインサイダーまがいの話もでてくるが、多くはこの分野ではシロートであろう読者への著者による解説サービスだと思えばウレシイ。おかげで臨場感もたっぷり味わえた。
幸田真音か、まいったな。また読みたい本が増えた。

2025年7月10日木曜日

ロバの耳通信「ケープタウン」「TAKING CHACE/戦場のおくりびと」「ディファイアンス」

「ケープタウン」(13年 仏)

ケープタウンで殺人の捜査をする刑事フォレスト・ウィテカーとオーランド・ブルームが同僚や母を殺されながら麻薬カルテルと闘う。その麻薬は黒人撲滅のために開発されたもので、摂取により自殺や殺人を誘発するという。オーランド・ブルームはアル中で、別れた妻との間に年頃の息子がいて金が要る、フォレスト・ウィテカーは現地の下層階級ズールー族の出身という設定、幼い頃に犬をけしかけらたため男性器を失っていて、それでも売春婦のところへ通う。誰にでもある、心の闇。埃まみれのバラック、灯りは店の前だけ、角を曲がると暗闇、どこもそうだ。画面を見ていて、次に起きる怖いことが、もっと怖く、血生臭い。ナタやナイフも怖いが、表情も変えずそれを使う途方もないワルたちが心底ゾッとする。ケープタウンの闇をこうあからさまに描いていいのか。映画の底辺に、現地人の貧しさを同情しながら、未開人を馬鹿にし、そのくせ心底怖がっている自分と同じたくさんの観客の眼を感じる。少なくとも、二度見る映画ではない。

「TAKING CHACE/戦場のおくりびと」(09年 米)

イラク戦争のさなか、デスクワークに逃げ込んだという意識から罪悪感に苦しめられていたアメリカ海兵隊中佐(ケビン・ベーコン)が、亡くなった若い兵士の遺体を家族の元に送り届ける役を自ら引き受ける。戦死した兵士を家族の元に返す時は、必ず随行者が必要という決まりがあるらしい。

遺体が集められた軍の基地での納棺から家族のいる町の葬儀社までの道のりでは、随行者も含め航空会社や霊柩車での移動時に敬意を持って対応される。その厳格で決まりだらけの道行の一切を終え、自宅に戻った中佐が家族と抱き合うシーンが印象的だ。戦闘シーンも死亡シーンもないが、これは反戦映画であり、同時に国威高揚映画だ。ケビン・ベーコンが名優だと改めて、知る。

アメリカ国内で飛行機に乗ると、軍服を着た兵隊はエコノミークラスでもファーストクラスより優先搭乗案内される。それくらい国のために戦う兵士たちは、アメリカでは優遇される。奨学金制度や就業支援制度など多数の優遇制度がある。実態との乖離も指摘されてはいるようだが、どこかの国で、今はほとんど戦死者はいないものの、災害支援での事故死や過労死の話も聞く。国は彼らにどれくらい報いているだろうか。

前に見た映画で、兵士の死亡連絡は正装した軍人が家族の家を訪れるという決まりがあることを知った。第二次世界大戦中に留守家族が家の前に黒い車が止まり、中から正装した軍人(通常2名)が玄関口に歩いてくるのを見て、母親が息子の戦死を知るというシーンを見て、電報一本で戦死公報が届けられたどこかの国とはえらい違うなと感じたものだった。

「ディファイアンス」(08年 米)原題 Defiance

第二次世界大戦時のベラルーシのビエルスキ兄弟によるユダヤ人救出劇を描いている。原作は「ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟」(09年 ネハマ・テク 武田ランダムハウスジャパン)。主役が英007俳優ダニエル・クレイグだし、よくあるアメリカ軍の大活躍でもないから、ハリウッド作品なのにとちょっと不思議な感じ。ナチスに蹂躙されながらも、ユダヤ人の見識の高さというかワガママを描いているから、誰かがこの映画で何かを訴えたかったのか、とか政治的背景も考えてみるのだが、思いつかない。