2016年12月30日金曜日

ロバの耳通信「元気がほしい時はAKB48とドリカム」 at the end of 2016


「恋するフォーチュンクッキー」「365日の紙飛行機」「ヘビーローテーション」がマイベストかな。「恋する・・は」前奏が始まったら、カラダが自然にリズムをとっている。

ドリカムは美和ちゃんの元気+シットリ情感で、誰かに愛されているような気がするから不思議だ。「うれしい!たのしい!大好き!」「LOVE LOVE LOVE」「晴れたらいいね」とかね。

早朝でも夜中も、Audio Technicaのヘッドフォンは良く働いてくれる。ありがとうね。

2016年もあと2日で終わりだ。来年に期待するものもないけれども、なぜか感慨深い。At the end of 2016...

2016年12月24日土曜日

ロバの耳通信「私たちが好きだったこと」

「私たちが好きだったこと」(98年 宮本輝 新潮文庫)

夜中に読んでいて、気が付いたら鼻が膨らんでいてハナミズが詰まって、マブタの端からミズが流れていた。女と同棲していた頃を思い出し、なつかしさに胸がイッパイになって。いや、実は同棲なんぞしたことはないから、そんな気がしただけ。

優しくワガママな4人の男女の出会いと別れの青春物語。普通の結婚をして平凡な暮らしをしてきた私にはうらやましいほどの夢物語が切ない。しおりのかわりに挟んだ指まで何度も振り返って読んだところがたくさんあったから、結末がわかったけれど、反芻するために最初からまた読もう。
この文庫本の表紙はいけない。トレンディー風というか軽すぎ。いや、このトレンディドラマが本筋で、経験もないシェアハウス生活に妄想を膨らませ、懐かしがって深読みしたワタシがオカシイのかもしれない。

著者については学生時代にかぶれた宮本百合子、のダンナ(宮本顕司元共産党委員長)だと勘違いしていたし、あんなに感動した映画「泥の河」(81年邦画)の原作者とは知らなかった。「私たちが・・」も映画化されているとのことだが、4人の配役が本のイメージとかなり違うようだし、映画評はあまりよくないようだから、・・やめとこう。

2016年12月19日月曜日

ロバの耳通信「ノース -北極の宿命-」

「ザ・ノース -北極の宿命-」(07年仏・英)

「グリーン・デスティニー」(00年中ほか)、「SAYURI」(05年米)以来の大ファンのミシェル・ヨーの主演ということで期待して見たが、予想を裏切らない「怖い」女だった。ミシェルの前では英のハードボイルド男のショーン・ビーインもただの脇役の感。追われてツンドラに住む母娘にも似た二人の女が助けた男を取り合い、男は娘に惑い、最後には男は女の怖さにおののき逃げ出すという海外版「ぼっけえ、きょうてえ」。全編極寒のツンドラが舞台。雪の景色の繰り返しとセリフの少ないシーンは時に静止画のようでもあり、妙に印象に残る。ツンドラの狩りの暮らしは興味深く、サバイバル映画としても楽しめる。
薄暗い空。外は吹雪、夜はテントの中のランプの明かりだけ。固めたようなカメラワークで舞台劇のように切り取られた画面の中で男を絡め、汗ばんだミシェル・ヨーはいつものように艶めかしい。

2016年12月8日木曜日

ロバの耳通信「しあわせの隠れ場所」

「しあわせの隠れ場所」(The Blind Side 09年米)

悪いのがあんまり出てこなくて、ホロリとさせたりドキドキさせたり、とにかくステキな人たちによるハッピーエンドストーリーは典型的な米映画だから安心して見ていられる。NFL選手のマイケル・オアーを主人公にした実話だと。

この映画の実際の主人公は、孤児マイケルの後見人ママ役になったサンドラ・ブロック。元気いっぱいのサンドラは、涙っぽい肝っ玉かーさん。たぶん「地」じゃないかな。昔通った英語学校にちょっと似た感じの先生がいて名前は忘れてしまったけれど、大げさなしぐさと元気な声でみんなにビッグマウスと呼ばれていたことを思い出してしまった。

サンドラ・ブロックとの出会いは「スピード」(94年)ああ、元気なおねえちゃんだなというのが第一印象、そのあと「デンジャラス・ビューティー」シリーズ(00年、05年米)が格好良くて、「ゼロ・グラビティー」(13年米)も良かったけれど、いつも「いいひと」じゃなくて、たまには意地悪な「わるもの」もやってくれないかな。

「しあわせの隠れ場所」では、あの足切りおばさん「ミザリー」(90年米)役のキャシー・ベイツがあまり似合わない「いいひと」役で出ていた。
サンドラの娘役で「あの」英ミュージシャンのフィル・コリンズの娘、リリー・コリンズがめっちゃ可愛かった。「白雪姫と鏡の女王」(12年米)の白雪姫も可愛かったけれど、色白のこのコは真っ赤な口紅がとても似合うのだよ<「シャドウハンター」(13年米)>。

2016年11月27日日曜日

ロバの耳通信「長女たち」「薄暮」「ブラックボックス」

首都圏が半世紀ぶりの雪とニュースで騒いでいた日、風邪でダウン。いろんなことをするのが面倒、テレビの音もうるさい。気休めの風邪薬と読書。


「長女たち」(14年 篠田節子 新潮社)

三話からなる。カミさんにどれが面白かったかと聞いたら、糖尿病を患った母「ファーストレディー」(第三話)だと。長女に生体移植を迫る糖尿病を患ったワガママ母がワタシに似ていると。うーん、そうかもなと落ち込む。自分でもそう思いながら読んでいたから。いやいや、ワタシはワガママだけれどもそこまでの犠牲を強いたりしない・・・筈、と断定できないほど、家族に迷惑をかけている自覚と反省はある。
「ミッション」(第二話)は、未開地に現代医療を持ち込む難しさに例えをとっているが、医療漬けにして生を無理強いする現代医療そのものへの問題提起。
「家守娘」(第一話)は認知症の母との葛藤。ホラー作家らしく、どの物語も読者を心底怖がらせるが、追い詰めてしまわず、逃げ道を残してくれていてホッとした。
昔見た怪談映画では、どんなにおどろおどろしいシーンの連続で怖がらせても、ラストはお墓に手を合わせて回向するシーンが多かった気がするが、そうでもなければ(書く方も、読む方も)続けられないのではないか。


「薄暮」(09年 篠田節子 日本経済新聞社)

売れなかった郷土画家の足跡を追う画集編集者の物語の体裁をとっているが、長く重い物語の主役は嫉妬に狂って惚けてしまった画家の妻。ほかの登場人物も汚れた沼から浮かび上がって、水面に風船をつくるメタンガスのように弾けることがなく、いつまでも物語から消えない。底なし沼で遮二無二にもがいているうちに、最後はぽかっと浮かび上がって息がつけた。すべての不都合を痴呆という言葉で曖昧に片付けてしまわなかったのが良かった。
「薄暮」という題に違和感を覚えていたのだが、調べたら文庫版になった際(12年新潮文庫)に「沈黙の画布」に改題されていた。うん、すこし良くなったか。



「ブラックボックス」(13年 篠田節子 朝日新聞出版)

野菜「工場」のパートタイマーが暴露する「工場」野菜のすべて。コンビニとかで売っているパック野菜はきっと食べられなくなる。研修生と名打った外国人労働者を酷使する社会も告発しつつ、答えを出せていない。
篠田の小説にしては珍しく出口がない、救いがない。

2016年11月23日水曜日

ロバの耳通信「バンド・オブ・ブラザーズ」

「バンド・オブ・ブラザーズ」(01年米テレビドラマ)をやっとまとめて見ることができた。シリーズものは手許に揃えてからスタートしなければならない性質(たち)なので、10話がまとめてアップロードされるのを待っていた。シリーズもので楽しんだのは、「東京ラブストーリー」(91年フジテレビ 台北の夜市でVCD版を購入)、「24-Twenty Four」(01年米)以来か。

製作のスティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスは共に大ファンなので、「プライベート・ライアン」(98年米)の兄弟作ともいえるこの「バンド・オブ・ブラザーズ」を楽しみにしていたが、無料動画サイトでもなかなかアップロードされず、また画質も良くないのであきらめかけていたところ、アメリカドラマの専門サイトで偶然見つけ、小躍り。日本語吹替え版のDVDも出ていて、それをアップロードした様子で、画質も良く、真夏の夜のひとり映画会で楽しむことができた。

主人公のウィンターズ少佐を演じた英男優ダミアン・ルイス、瞳の色が薄い個性ある顔は「ドリーム・キャッチャー」(03年米)でエイリアン役をやっていたので、やたら懐かしかった。

ストーリーはアメリカ陸軍第101空挺師団第506歩兵連隊第2大隊E中隊の訓練から対ドイツ戦勝利・終戦までを描いた(wiki)ものだが、激しい戦闘シーンは4話くらいまでで、その後のエピソードは厭戦と友情。9話「なぜ戦うのか」では、ユダヤ人収容所の悲惨さがドキュメンタリーフィルムのように描かれ、これが反戦ドラマであることに強く印象付けられた。

2016年11月14日月曜日

ロバの耳通信「ポーラースター ゲバラ覚醒」

「ポーラースター ゲバラ覚醒」(海堂尊16年文藝春秋)

キューバ革命のリーダーだということのほかには、星の印の付いたベレー帽をかぶったイラストが私にとってのゲバラだった。ベストセラー作家がゲバラを描いた4部作の1作目だという。

喘息の発作で「まだ早いよ」と死神に嫌われた幼いゲバラが、ベッド際で両手を組み合わせていた母に、自分のために神に祈っていたのかと聞いた息子に、否と。さらに、どうして神を信じないのかと問うた息子に母は答える。「神様を信じないのではなくて、神さまなんていないと思っているだけ。もしも神さまがいるのなら、世の中に不幸せの人がいるはずがないでしょう?」それでも、母は何かに祈っていたのだ。

啓示的な物語が時間を行き来しながら語られる。まだ100ページをすこし超えたところだが、この本は450ページ「しか」ない。もう4分の1を超えているじゃあないか。なんと惜しむ時間の短いことか。オレンジ色の表紙の本に魅せられている。こんなに、続きを早く読みたいと思ったことは、このところついぞなかった。