2016年3月28日月曜日

ロバの耳通信「あやうく殺人」

始発電車を待って座った帰り、発車間際に乗ってきた2人連れの女性が私の前に立つ。電車が動き始めるのを待っていた様におしゃべりが始まった。おしゃべりというより、年嵩の方の声高な誰かの悪口を、若い方が大きく頷きながら聞いている。<おいおい、それはいけないよ、こういうところでは軽く受け流すだけにしてくれませんか。>年嵩はわが意を得たとばかり、機関銃を撃ちだした。<ちょっとちょっと、ここは電車の中。となりのヒトにしゃべるのにそんなに大きな声出さないでくれませんか>
若い方も、負けずに撃ちだした。こちらも機関銃。ふたりで、共通の誰かの悪口雑言を叫びあっている。応戦ではなく、共感し叫びあっているから、トーンは益々高くなり、ケンカではないので制止するヒトもいず、延々と撃ち合いが続く。楽しみにしていた文庫本の続きにとりかかったものの、目の前の機関銃音のためか全く集中できない。右隣の私と同年輩の男性はすでに白川夜船。<あんた、こんな状態で、よく眠れるますね>左隣はスマホを抱えた若い男性。イヤフォンから音を漏らしながら、ゲームに夢中<きみ、それは賢いですよ>
どうしても本に集中できない。マイケル・グルーバーの夜の回帰線の上巻の終わり近く。プロットが込み入っているので、ちゃんと読まないと下巻の出だしでスジがわからなくなってしまうし、明日、もう少しで終わる上巻と下巻の2冊をカバンに入れておくのも業腹。できれば、予定通り上巻を下車までに終えたい。あいかわらず年嵩の意地の悪い顔がちょっと横を向いて、若い方に機関銃を打っている。意地の悪い顔。若い方も底悪に思えてきた。<もう、勘弁してくださいよ。本読みたいんですよ、ちょっとで良いから黙っててくださいよ>
いくつかの駅を過ぎても、機関銃は治まらない。私は、文庫本の読みかけのページに指を挟んだまま、目を閉じ、時間が過ぎるのを待つ。席を立ってしまえばいいのだが、折角座った場所。抱えたコートやカバンを持って、込み合った電車のなかを移動するのもメンドウ。<拳銃がほしい。バーン!>
私が降りるひとつ前の駅で、若い方が降りた。相手のいなくなった年嵩は突然機関銃をしまい、静かになる。年嵩の顔は相変わらず憎憎しい。殺意は去らない。<オマエのせいだ>
殺人なんて、こんなツマラナイことからおきるのではないのだろうか、と思う。

ロバの耳通信「活字中毒」「ギフテッド」

活字中毒なので本は手放せない。雑誌などは7インチのタブレットでも充分だが、ハードカバーの読みやすさと文庫本の手軽さは「紙」でジックリ反芻しながら味わいたい。最近の電子ブックリーダーはかなり読みやすくなっているとで大型書店で試させてもらったが、染入るような活字のキレイさと行間の広がりの豊かさでは「紙」のほうがずっといい。
ブログや書店の広告で面白そうな本を見つけると、図書館に予約を出す。順番待ちの番号が段々少なくなってくるのを見る楽しみは、私鉄の駅の改札口から吐き出される紺色の制服のなかに彼女を探すようなドキドキ感に似ている。数字は中々減らなかったりするのだが。
自室に積んでハードカバーはとっておきの楽しみでこれは非常食。
山田宗樹「ギフテッド」(2015年幻冬舎)。この本を読むようになったのは、図書館でカミサンから「おとーさんの好きそうなタイトルじゃないの、借りたら」の一言だった。幻冬舎の本で外れたことはほとんどないし、確かに魅かれるタイトルだった。プロローグが「職員室」から始まるし、生徒たちの会話も多いからはやりのLN(ライト・ノベル)風なので、ああここから憧れの先輩とかが出てきて恋するオトメがでてくるのかとはやくも脳が拒否反応を起こし出したところ(実は、LN-この手のハナシは嫌いなのだ)、第一章の「異物」という題目だけでもオドロオドロシイ、うん実にワクワクする本編はスティーブン・キングかナイト・シャマランかと思われるほど。結末の脈略が曖昧になった「ハッピーエンドにしたから許してね」の締めはちょっと残念だったが、奇異な始まりの物語の落とし前はこうするしかないのだろう。
おなじ著者の2冊目は「人は、永遠に輝く星にはなれない」。タイトルの付け方がうまいなー、目次の題目も。この著者にハマりそうな気がする。