
いままで読んだ湊の作品では、不幸な子供たちの「思い」がいっぱい描かれていて、それが湊の小説の魅力でもあったと思う。きれいごとの表現を使えば傷つき易かったり、狡かったり、ワガママであったり、純粋であったりの部分を書き込んでいた。
それが、この小説の3つの家族の視点はすべて母親の女の冷めた視点だと感じてしまったのだ、ワタシは。つまりは、子供たちへの本質的な愛の欠落を感じてしまったのだ。無意識という悪意。
湊のデビュー作「告白」(08年)はまず映画、次に小説だったし、視点が変わることも少なかったし、スジで混乱することもなかったから、わがまま母親が暴走したり反省したりのワガママ物語の「夜行観覧車」ほどの疲れはなかった。
テレビドラマ化されているというから、そっちを見て、また本に戻ってこよう。テレビドラマでは母はどう描かれているだろうか。
「かずら野」(04年 乙川優三郎 幻冬舎文庫)
乙川の作品をいくつか読んできた。矜持のための今一歩を踏み出せない武士の物語だったり、思いを伝えられない切ない物語が多かったと思う。この「かずら野」は、物言うこともできず、男に翻弄され続けた女の物語である。
足軽の次女に生まれ、糸師(生糸生産者)の家に売られた女が、主人殺しの嫌疑をかけられたまま糸師の若旦那と落ちてゆく。丁寧に綴られるのは、糸師の元での生糸を紡ぎ、端糸を染めて縫物にし、塩を作り、鰯の干物を作るといった、当時の市井の人の暮らし。住処も松代、深川、行徳と彷徨う。女が、男に愛想をつかし、独り立ちを決心したその日に・・。
書評では、乙川らしからぬとか、チャレンジ失敗作とかの酷評が多かったが、ワタシには「流されてゆく女」の心情を男の乙川がここまで書けるのかとの驚きと感動を覚えた。いやいや、女の心情なんてのは乙川もワタシも、本当のところがわかっていないのに、勝手に想像しているだけかもしれないのだが。