2024年2月29日木曜日

ロバの耳通信「1944 独ソ・エストニア戦線」

 「1944 独ソ・エストニア戦線」(15年 エストニア)原題:1944

第二次世界大戦で占領軍ドイツ側とこれを迎え撃つロシア側の二手に分かれ、同じ国の国民たちが殺し合うことになってしまったエストニア兵士たちの物語。初めてのエストニア映画だったが、画像はキレイで音楽もピッタシ。なにより、誰も知らない俳優たちが、演技なのか天然なのかの想像もつかないがなかなかソレらしい兵隊たち。気負わず自然で、怒ったり悲しんだりの”彼ら”に親しみを感じるのだが、みんなあっけなく死んでゆく。喪失感が半端ない。

塹壕の中を走り回るシーンが多く、さっきまで攻略サイトを見ていた戦争ゲームのCall of Dutyを思い出した。ゲームのように不死身のヒーローは出てこない。主人公がいないから丸太を断ち切るような終わり方。悲しみだけが残った。

エストニアについて全く知らなかった。大国に挟まれ同じ国の人々が殺し合ったという歴史を知って、朝鮮戦争やベトナム戦争を思った。

香港でも、ミャンマーでも同じことが起きている。

2024年2月20日火曜日

ロバの耳通信「UKコネクション」「レジェンド 狂気の美学」

 「UKコネクション」(15年~ 英)

邦題の付け方に感心することもあるが、この邦題は”意味わからん”の極み。

50年代の英国で活躍(?)していた実在のギャング、クレイ兄弟の伝記映画で「伝説の幕開け(15年)原題:The Rise of the Kraysと「狂気と破滅」(16年)原題:The Fall of the Kray の前後編からなる。実際の兄弟はかなりのワルだったらしいが、ケヴィン・レスリーとサイモン・コットンが冷徹レジーと狂気ロニーの一卵性双生児の兄弟を演じていて、例の鼻にかかったキングス・イングリッシュといつもきまっているスーツ姿がメッチャ格好良くてまいった。

<ふふふ、実は英国かぶれなのだ>

ワタシは学生時代の英語教育を読み書き中心の日本人英語だけで育ち、仕事でアメリカ英語に少し慣れた40歳後半に、香港生まれの英国人の個人教師について半年くらい本格的に”英”会話を学んだことがある。年下の英国人から、ワタシの通じればいいやの俗語だらけの米語のひとつひとつを細かく言い直させられ、なによりも会話するときは正面からメを見て、語尾までキッチリと100%通じたと確信するまで話すこと。良く分からなかったら、曖昧にニヤニヤせずに、こういうことをあなたは言っているのだねと言い方を変えて、相手に確認することで、聞き取りと話す力を付けることを学んだ。最もタメになった半年間だったとおもうが、何とかは易きに流れのたとえのように、その後のアメリカ暮らしで、すっかり元の、”通じればいいや”に流れてしまった。たまにBBCドラマとかを見ていると、その香港生まれの英国人をなつかしく思い出す。


大ファンのトム・ハーディーが一人二役でクレイ兄弟を演じている「レジェンド 狂気の美学」(16年 英)も好きな映画だ。トム・ハーディに狂気を演じさせたら無敵。「ヴェノム」(18年 米)なんか、最高だね。映画そのものはコミックの焼き直しだから、まあつまらないのだが、トム・ハーディの狂気は良いよ~。

悪人に憧れても、実際はハエ一匹も良心の呵責なしに殺すこともできない小心モノのワタシは映画のなかでワルになり切り白日夢に酔いしれる。

2024年2月10日土曜日

ロバの耳通信「沈まない三つの家」「福福荘の福ちゃん」

「沈まない三つの家」(13年 邦画)

離婚するからどっちと暮らすか決めろと告げられた姉妹(神田家)、自転車のカギを失くしたため父親に迎えを頼んだがその父親が途中で事故を起こし死んでしまったため、母親に”あんたがわがままを言わなければ・・”と責められた女子高生(相模家)、スマホに夢中になり目を離した隙に幼い息子を川で失くした母親(最上家)-の三つの家の物語を描いている。それぞれに重い物語で、十分悲しいのに三つの物語を行き来しながら川を中心につないだだけの脚本だからか、感情が長続きしない。悲しさは浸るからより感情が高ぶり感動につながるのだ。オムニバス映画や短編小説集は、かなりの名作でも振り返ってみても感動したのはひとつかふたつ。
「沈まない三つの家」はどれも悲しい物語なのだが、充分に浸れなかった。

「福福荘の福ちゃん」(14年 邦画)

いわゆる人情ドラマで、普段はほとんど見ることがないのだが、予告編で見たペンキ塗装屋のオッサン役の大島美幸(森三中)の表情が良く、大ファンの平岩紙(この映画でも、いい感じ)も出ていたのでチョイ見のつもりが、結局最後まで見てしまった。ストーリーも役者のキャラも作りすぎのこそばゆさもあったが、まあ楽しめたからヨシ。
エンディングにつながる挿入歌「出発の歌」(上條恒彦と六文銭)が懐かしく、滲みた。