「どれくらいの愛情」(09年 白石一文 文春文庫)

4編の中編からなっており、3編目の‘
ダーウィンの法則‘は特につまらなくて、途中で何度か挫折しそうになったが、本書の表題になっている書下ろしの‘
どれくらいの愛情‘に、ああ、こういう小説を読みたかったとつくづく思い、噛みしめながら読んだ。
ぜんざい屋チェーンの社長とスナックに勤める若い女の恋愛物語を軸に、女の病気やヤクザの兄妹、青果屋夫婦、男の母親など多数の人々が絡むが、白石は軸をずらすことがないから混乱はない。面白いのは九州北部で昔からいる先生と呼ばれる
「占い師」の語り。下北のイタコのようなものだが、九州のソレはもっと人々の暮らしのなかにいた占い師。昔は結構盛んで、病気、結婚、転居などで相談に乗ってくれる人がいて、私も祖母に連れられて行った憶えがある。とにかく、この先生と呼ばれる占い師が主人公に、病気について、恋愛について、親の愛についてなどを諭すところが私のココロに染み入った。幼い頃から身近な存在であった占い師との接触が、無意識に白石の小説の中の占い師の話により耳を傾けさせたのかもしれないのだが。
「どれくらいの愛情」でスナックに勤める女の名前が晶。九州の女らしく情の濃い男っぽい性格に描かれているが、
「新宿鮫」シリーズ(90年~大沢在昌)の鮫島警部の恋人で元不良少女の名前が晶(しょう)で、こっちも男っぽい性格でついダブってしまった。ちょっとワルっぽい情の濃い女なんて男の理想なのかもしれない。
「黙示」(15年 真山仁 新潮文庫)

農薬散布していたラジコンヘリが小学生たちの中に突っ込み、農薬中毒になるとうセンセーショナルな出だしで読者のドギモを抜いた。アメリカ大資本による遺伝子組み換え作物を指摘し、中国による日本食品の買い占め、農協族の政治家の暗躍などなど、日本の食の問題を指摘しつつエンターメント小説に仕上げた真山の力量は買うが、いくつか読んでいるうちにちょっと飽きてきた。企業買収を題材にした
「ハゲタカ」(04年)の集中力に比べ、その後の作品は、「問題の食い散らかし」が気になる。厚い本であれもこれもと盛られれば食傷してしまう。
「黙示」も出だしのラジコヘリ事故で読者を引き込むワザはいい。ここから農薬中毒をもっと徹底的に詰めたドキュメンタリー風に仕上げればいいものを、被害者の小学生が農薬メーカーの役員の子供だったり、病院に気弱な妻を登場させたりでドラマ仕立てにするからソッチに気持ちが流れるのだ。
web辞書によると
「黙示」は”はっきりは言わず、暗黙のうちに考えや意志を示すこと。”あるいは、”キリスト教で、神が人に神意・真理を示すこと。啓示。”とある。
「黙示」のほうが、ずっと心に響くことがあることを、知ってってこの題にしたのか。小説家に黙示を求めるのはパラドクスだとは思うが。