2025年4月30日水曜日

ロバの耳通信「アメリカン・ウオー」「アイアンクラッド」

「アメリカン・ウオー」(原題 Memorial Day12年 米)

日本国内では公開されていないらしい。祖父が孫に大戦中の辛かった思い出を語り、その孫はいまイラク戦争で戦っている。ポスターと中身はえらい違いで、ハデなドンパチものではない。この映画で見せるのは、戦争の悲惨さだけでなく、アメリカ中西部の豊かな自然、頑固ジジイと孫たちの交流、ジジイの妻の暖かな眼差し、父と子のギクシャクした親子関係、戦友たちの死や彼らとの友情、とにかく全部が「アメリカ」。有名な俳優はジジイ役のジェームズ・クロムウェルだけだけど、主人公(孫)役も子役(孫)もジジイの妻も全員が無名ながらスゴイ。監督も撮影も音楽までも無名の人々。カメラワークや音楽はちょっとないくらい素晴らしい。クラス分けではB級に入るのだろうが、丁寧に綴られたアメリカン・ヒストリーをシミジミ楽しめ、こういう小品でも素晴らしい映画を作ることができるアメリカ映画の底力を感じる作品。

近年、観客受けばかりを狙っているオスカーなんてくそくらえだ。動画サイトを探してみてもらうしかないのだが、ひさしぶりにココロに染み入る「いい映画みたよ」と、強く勧めたい。

「アイアンクラッド」(12年 英米独)

「マグナカルタ」は受験勉強で言葉と年号だけはなんとなく覚えていたが、意味については全く理解していなかった。この映画は、英ジョン王がフランス軍との戦いに執着したため再三の戦いを強いられたイングランド貴族が反乱し、英国王の存続を認めることを条件に国民の自由を保障させた合意書が「マグナカルタ」だということをやっと理解できたのはこの映画のおかげ。もっとも貴族たちに従前の貴族特権を保障させること英国王が強制させられた文書という言い方をしている歴史の本もあるようだが、まあそういうことらしい。
とにかく、歴史背景をよく理解できた。歴史なんて、映画を見せてくれればよくわかる。年号なんて必死で覚えるんじゃなかった。

全編、ジョン王とその抵抗勢力との戦いを描いたものだが、大きな剣やマサカリで切られるわ手足は落とされるわは、グロ多すぎ。とはいえ、英国と英国王の歴史が血塗られたものだということを知ったのだが、興味深かったのがジョン王が映画の中で声高に叫んだ”神から授けられた王の血筋”。神ってなんだよ、権力者はみんなこういう言い方をしているよね。



2025年4月19日土曜日

ロバの耳通信「ようこそ、わが家へ」「火の粉」

「ようこそ、わが家へ」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

通勤電車で横暴な割込み男に注意したことでストーキングされ嫌がらせを受け続けるマジメな会社員は、勤め先で営業部長の不正を指摘したことで、社長からまでも疎まれ居づらくなるハメに。読み進めるにつれ心理的にも八方塞がりに追い込まれてゆく会社員の気持ちは同情に値する。ただ、池井戸の小説は辛い、悲しいでは終わらない。

池井戸潤のウリは「痛快」「半沢直樹」(13年 テレビドラマ)も花咲舞大活躍の「不祥事」(16年)など、知ってる限りすべてハッピーエンド、勧善懲悪でキッチリ締めくくる。この「ようこそ、わが家へ」もそう。痛快で面白かったけれど、実生活はだいたい、腹立ちまぎれの悔し涙なんてことばっかりじゃないかな、フツーの人は。マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

で、考えた。「ようこそ、わが家へ」もマジメな会社員を主人公にするのでなく、ストーカーなり、ワルモノ営業部長を主人公にしたら、もっと面白かったんじゃないかとか。マゾのワタシはハッピーエンドよりクライム・ノベルのほうが好きというだけのハナシなのだが。
ヒトによく聞かれる、好きな作家。ジャック・ケッチャム、花村萬月、沢木耕太郎、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

「火の粉」(05年 雫井脩介 幻冬舎文庫)

裏表紙の釣りは”私は殺人鬼を解き放ってしまったのか?”。無罪判決を下した男が退任した裁判官の隣に引っ越してきて、「善意の隣人」になる。筋立ては面白く、どんでん返しの後半を想像していたのだが、550ページの道のりは長い。たぶん始まるであろう後半の展開の前に、元裁判官の家の日常が説明される。隣人の善意を際立だせ、あとの物語の伏線になっているのだろうが、嫁姑問題、昔の恋人、墓、聞き分けのない幼子、などなど、まあ普通の家にはたぶんひとつやふたつ必ずあるであろうイヤなことが次々に明らかにされる。その嫌悪感にゾッとして読むことを躊躇し、目移りしたほかの本を先に読んでいたら、図書館の返却期限が来てしまった。
カミさんは、終わらなかったならまた借り直せば言うのだが、実のところ辟易してしまったのだ。イヤなことはなるべくやりたくない、負けるから勝負事はキライな根性ナシのワタシの性格は救いがたい。274ページ、ちょうど半分のところに栞。いつか、そこから先を読む元気をだすことができるだろうか。

2025年4月10日木曜日

ロバの耳通信「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」「バッド・ガイズ!!」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(08年 米)

ずっと前に予告編だけ何度も見ていたのに、今日までついぞ見る機会がなかった映画。予告編や映画雑誌で、ジジイの顔をした捨て子の赤ちゃんが養老院で育てられ、年を経るにつれて若返るというおおまかなスジは知っていたが、主演のブラッド・ピットの演じるベンジャミンが予告編では予想もできないいい味を出していた。優しいメロディーで始まり、主人公の追憶とことわざのような警句モノローグで進んでゆく映画は「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年 米)を思い出した。

ジジイ顔で生まれ、ついには若返って死んでしまうベンジャミン。幼なじみでのちに妻となるデイジー役のケイト・ブランシェットが映画当時40歳ちかくなのに、若いバレーダンサー役で、これがとても若々しくてドキドキするくらいきれいで、ソロダンスシーンもメッチャよかった。ベンジャミンが若い頃(外観はジジイ)にロシアで横恋慕してしまう人妻役の英女優ティルダ・スウィントン(「フィクサー」(07年 米)ほか)の身についた上品さに、ワタシもまいってしまった。

年老いてゆくデイジーと若返りしてゆくベンジャミンの切ない思いが伝わってきたが、この何とも言えない複雑な感情、若いのにはわからないだろうな、きっと。「フォレスト・ガンプ」も何度も見たが、この映画もきっと何度も見ることになるだろう。うん、うまく言えないが、とにかく思い出に残るいい映画だった。

「バッド・ガイズ!!」(16年 ロシア)原題 War on Everyone

なぜか愛すべきドジ刑事役が多いメキシコ系アメリカ人マイケル・ペーニャ(ワタシは結構好き)、とスウェーデンのイケメン俳優アレクサンダー・スカルスガルドが性格真反対の悪徳刑事のペア役。人種差別やら、小児肥満問題などアメリカの社会問題をネタにし、シュールに苦笑いさせられる。これがロシア映画とは驚きだが、アメリカ大統領選挙での助け合い?とか見てると、もはや仮想敵国関係とも言えなくなった米ロだからこれくらいの揶揄はOKなのか。刑事が相手をするギャングがロシアンマフィア風、じっさいのところロシアンマフィアなんて映画でステレオタイプ化されたものを見るだけだから、当たっているかどうかわからないが、ソノ気取ったロシアンマフィアがラストでみんな殺されてしまうというなんともマヌケな自虐映画。まあ、退屈せずに雨の日を過ごせたからヨシとしよう。

2025年4月4日金曜日

ロバの耳通信「どれくらいの愛情」「黙示」

「どれくらいの愛情」(09年 白石一文 文春文庫)

4編の中編からなっており、3編目の‘ダーウィンの法則‘は特につまらなくて、途中で何度か挫折しそうになったが、本書の表題になっている書下ろしの‘どれくらいの愛情‘に、ああ、こういう小説を読みたかったとつくづく思い、噛みしめながら読んだ。
ぜんざい屋チェーンの社長とスナックに勤める若い女の恋愛物語を軸に、女の病気やヤクザの兄妹、青果屋夫婦、男の母親など多数の人々が絡むが、白石は軸をずらすことがないから混乱はない。面白いのは九州北部で昔からいる先生と呼ばれる「占い師」の語り。下北のイタコのようなものだが、九州のソレはもっと人々の暮らしのなかにいた占い師。昔は結構盛んで、病気、結婚、転居などで相談に乗ってくれる人がいて、私も祖母に連れられて行った憶えがある。とにかく、この先生と呼ばれる占い師が主人公に、病気について、恋愛について、親の愛についてなどを諭すところが私のココロに染み入った。幼い頃から身近な存在であった占い師との接触が、無意識に白石の小説の中の占い師の話により耳を傾けさせたのかもしれないのだが。

「どれくらいの愛情」でスナックに勤める女の名前が晶。九州の女らしく情の濃い男っぽい性格に描かれているが、「新宿鮫」シリーズ(90年~大沢在昌)の鮫島警部の恋人で元不良少女の名前が晶(しょう)で、こっちも男っぽい性格でついダブってしまった。ちょっとワルっぽい情の濃い女なんて男の理想なのかもしれない。

「黙示」(15年 真山仁 新潮文庫)

農薬散布していたラジコンヘリが小学生たちの中に突っ込み、農薬中毒になるとうセンセーショナルな出だしで読者のドギモを抜いた。アメリカ大資本による遺伝子組み換え作物を指摘し、中国による日本食品の買い占め、農協族の政治家の暗躍などなど、日本の食の問題を指摘しつつエンターメント小説に仕上げた真山の力量は買うが、いくつか読んでいるうちにちょっと飽きてきた。企業買収を題材にした「ハゲタカ」(04年)の集中力に比べ、その後の作品は、「問題の食い散らかし」が気になる。厚い本であれもこれもと盛られれば食傷してしまう。
「黙示」も出だしのラジコヘリ事故で読者を引き込むワザはいい。ここから農薬中毒をもっと徹底的に詰めたドキュメンタリー風に仕上げればいいものを、被害者の小学生が農薬メーカーの役員の子供だったり、病院に気弱な妻を登場させたりでドラマ仕立てにするからソッチに気持ちが流れるのだ。
web辞書によると「黙示」は”はっきりは言わず、暗黙のうちに考えや意志を示すこと。”あるいは、”キリスト教で、神が人に神意・真理を示すこと。啓示。”とある。「黙示」のほうが、ずっと心に響くことがあることを、知ってってこの題にしたのか。小説家に黙示を求めるのはパラドクスだとは思うが。