
ぜんざい屋チェーンの社長とスナックに勤める若い女の恋愛物語を軸に、女の病気やヤクザの兄妹、青果屋夫婦、男の母親など多数の人々が絡むが、白石は軸をずらすことがないから混乱はない。面白いのは九州北部で昔からいる先生と呼ばれる「占い師」の語り。下北のイタコのようなものだが、九州のソレはもっと人々の暮らしのなかにいた占い師。昔は結構盛んで、病気、結婚、転居などで相談に乗ってくれる人がいて、私も祖母に連れられて行った憶えがある。とにかく、この先生と呼ばれる占い師が主人公に、病気について、恋愛について、親の愛についてなどを諭すところが私のココロに染み入った。幼い頃から身近な存在であった占い師との接触が、無意識に白石の小説の中の占い師の話により耳を傾けさせたのかもしれないのだが。
「どれくらいの愛情」でスナックに勤める女の名前が晶。九州の女らしく情の濃い男っぽい性格に描かれているが、「新宿鮫」シリーズ(90年~大沢在昌)の鮫島警部の恋人で元不良少女の名前が晶(しょう)で、こっちも男っぽい性格でついダブってしまった。ちょっとワルっぽい情の濃い女なんて男の理想なのかもしれない。
「黙示」(15年 真山仁 新潮文庫)

「黙示」も出だしのラジコヘリ事故で読者を引き込むワザはいい。ここから農薬中毒をもっと徹底的に詰めたドキュメンタリー風に仕上げればいいものを、被害者の小学生が農薬メーカーの役員の子供だったり、病院に気弱な妻を登場させたりでドラマ仕立てにするからソッチに気持ちが流れるのだ。
web辞書によると「黙示」は”はっきりは言わず、暗黙のうちに考えや意志を示すこと。”あるいは、”キリスト教で、神が人に神意・真理を示すこと。啓示。”とある。「黙示」のほうが、ずっと心に響くことがあることを、知ってってこの題にしたのか。小説家に黙示を求めるのはパラドクスだとは思うが。
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