2025年8月29日金曜日

ロバの耳通信「下町ロケット」「花の下にて春死なむ」

「下町ロケット」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

ちょっと、考えあぐねているのが池井戸潤。この直木賞受賞作の「下町ロケット」も、予想通り面白かった。読み始めたら、途中で止めたくないほど、なのだが、何冊か読んできて、池井戸の勝ちパターンというか、読者を引き込む手口に飽きてきたらしい。カミさん曰く、”作ってる”から好きじゃない、と。
勧善懲悪、ハッピーエンドはキライじゃないが、ずっとこれだと飽きる。文章もうまいし、ストーリーを組み立てる素材というか、今回の「下町ロケット」でいえば、大企業・町工場の描き方、水素エンジンのバルブシステム、銀行と企業の駆け引きなどのディテールもおろそかにしていないから臨場感に引き込まれてしまうが。解説を読むと、江戸川乱歩賞受賞の「果つる底なき」、大企業の横暴を描いたという「空飛ぶタイヤ」、吉川英治新人賞受賞の「鉄の骨」などなど、紹介されているどの作品にも期待が膨らむ。飽きた、と期待のせめぎあい。読みたい作家はまだまだいるからね。

「花の下にて春死なむ」(01年 北森鴻 講談社文庫)

裏表紙の”日本推理作家協会賞”の釣りに惹かれ読み始めた連作6編。著者の作となる俳句やら、気の利いたビアバーのマスターとの洒落た会話など、著者自身が楽しみながら書いたに違いないミステリーは、ひとひねりもふたひねりもしてあって謎解き好きには堪えられないかも。
初めての作家だが、この作品は、ただ、好みに合わない、訳知りマスターが凝った料理の能書きを垂れながら謎解きをして見せるなんてのは。で、巻頭を読んで、中盤を拾い読みして、ヨイショだらけの郷原宏の解説ー実は、この郷原宏が好きじゃないから、坊主憎けりゃ・・になってるかも、と北森には申し訳ない気もするーで勧められた巻末短編も読みだしたが、途中でコンジョウが尽きた。

2025年8月20日水曜日

ロバの耳通信「ミッドナイト・バス」「虚の王」

「ミッドナイト・バス」(16年 伊吹有喜 文春文庫)

深夜バスの運転手として働く男には都会の暮らしに疲れ実家に帰ってきた息子とコスプレアイドルに夢中の娘、姑との諍いのため別れた妻がいて、前妻には新しい家庭があり、男も新しい伴侶を持つことを考えている。騙しも、殺しもない。普段ミステリー小説やノワール映画に明け暮れているから、こういう小説はちょっと退屈なのかなと不安もあったが、父と息子、父と娘、前妻と子どもたちの「どこにでもあるような話」ではあるけれど、ときどきウルウルしながら500ページを一気読み。カミさんは、元妻とまた一緒になるというラストが良かったと。ワタシは、男は前妻や小料理屋の女将のどちらとも撚りを戻さないというラストが良いと思ったのだが、伊吹は別のラストを準備していた。


「ミッドナイト・バス」(18年 邦画)


主演のバス運転手役原田泰造、その妻役山本未來も、音楽(川井郁子)も良かったが、とても重要な役柄だと思える小料理屋の女将役の小西真奈美がゼンゼンそれらしくなく、つまらなかった。製作スタッフもよく工夫したなと感心したのが、娘とその相手の両親を入れての会食シーン。原作にあった突然3人が玄関先に立つところで、このマザコンボーイフレンドと両親の態度に辟易感を感じているのに、映画では会食場所に向かうエレベータが騒々しい中国人たちに囲まれて辟易するシーン、そのあとのレストランでも騒々しい中国人に囲まれて、大事な食事会がワヤになってしまうところ。マザコンの母への憎々しさ倍増。
製作が新潟日報社で、公開も新潟千行ということでローカル色が強かったが、カメラワークが自然で信濃川と万代橋の風景も楽しめた。とはいえ、映画が原作を超えることのハードルの高さを感じた。

「虚の王」(03年 馳星周 光文社文庫)

馳のノワール小説は好きでずっと読んできた。この「虚(うつろ)の王」は、その中でも最も失望した一冊になってしまった。魅力的な4人のキャラでもっともっとノアールにしてほしかった。どうせ最後に殺してしまうんなら主人公を隆弘じゃなく、「最初から」極悪英司にすればよかったのにと残念でならない。美少女希生(のぞみ)にも、女教師潤子にももっと汚れて欲しかった。「不夜城」「漂流街」「夜光虫」(97年~99年)の、ページをめくるのが惜しくなるような興奮がなつかしく、恋しい。
600ページも読み進めてきて、本当に面白かったのがラストページだけなんて酷いよ。いくらワタシが速読だったって、600ページを読み終えるのに何日使ったとおもっているんだよ。

2025年8月10日日曜日

ロバの耳通信「フォース・プラネット」「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」

「フォース・プラネット」(16年 米)原題 Approaching the Unknown

火星探検の第1号として派遣された船長(マーク・ストロング)は、土から水を作り出す”水炉”の発明者で絶対の自信を持っていた。ところが、火星への長旅の間、水炉の調整時にバルブの接続を間違えるという”へま”をして水をつくることができなくなる。火星に行っても、水が作れなければなにもできない。地球に戻るには離れすぎ、しかも過大な期待をされて送り込まれた”専門家”の矜持もある。
ラストシーンは、火星に降り立ち生物はいないとモノローグするが、これが実際の出来事か、夢まぼろしだったのか。

「キングスマン」シリーズ(14年~ 英)で、スパイの先生マリーン役でいい味を出していたマーク・ストロングもこの「フォース・プラネット」では、自称専門家の鼻っ柱ばかり強い宇宙船の船長。思いがけない水炉のトラブルで、自分を失っておかしくなってゆく様がなんとも。

それにしても一年ちかく、ひとり宇宙船の中で過ごすってのはどうだろう。たとえは悪いが、ネット喫茶の個室で一年暮らすようなものか、それもいいんじゃないか、ワガママ放題、三食付きネット環境付き、うーん。一週間くらいならいいか、と楽しい妄想。

「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」(14年 ノルウェー・スウェーデン・デンマーク)

何と、安易な邦題だ。原題kraftidiotenは失踪、みたいな意味らしい。
雪上車の運転手(ステラン・スカルスガルド)の息子の大学生の死体が見つかり、麻薬の過剰摂取という警察の説明に納得せず真相を突き止めるべく、息子の友人関係から調査を進める。麻薬カルテルの末端から一人づつ殺してゆき、地元ラスボス”伯爵”までたどりつく。伯爵は、部下たちの失踪を、セルビア人ギャングの裏切りと勘違いし、地元ギャングとセルビア人ギャングの抗争に発展する。
面白いのが、舞台がノルウェーの街なのに、スウェーデン人、アジア人、セルビア人など多様の人々が登場するし、運転手もその兄の元ギャングもギャングのボスの伯爵も、みんなうるさい妻たちに悩まされていること。福祉が行き届いた北欧の特徴なのだろうか。

先週、映画にでもと放映プログラムをチェックしていたら、この映画のリメーク版「スノー・ロワイヤル」リーアム・ニーソンの主演で放映されていると。監督も本作と同じくハンス・ペテル・モランドらしい。リーアム・ニーソンって、どんな映画でも同じ演技。まあ、この役には合ってるとは思うけれど、映画館に行ってまでもという気はしないかなー。「スノー・ロワイヤル」って邦題もなんだかね。