書評家による解説に”読者の日常の安寧を爆破する一冊”で”本を閉じてからの毎日を不安の中で過ごさねばならぬはず”とあった。ワタシも読み終わって、そんな恐ろしさを感じた。
異常に患者が増加したクロイツフェルト・ヤコブ病を調べてゆくうちに、原因と思われる「ある疾病」に行き着く。潜伏期間が数年、伝染しない代わりに発病は突然、しかも治療法なし。あまりに恐ろしくて、詳しくは書けないが、強い不安としてワタシの記憶に焼き付いてしまった。もう、ダメだ。忘れられない小説になった。

ノンフィクション作家である柴田が、自らフィクションだと主張する小説の中で、殺し屋やら腕利きジャーナリストといった虚構の物語で味付けをしながら、「事実らしきこと」を読者に丁寧に説明しながらストーリーに乗せてくれた。読者は500ページの終点で、積み上げられた「事実らしきこと」に、途方もない不安以外に感じることができなくなっていることに気付くのだ。
怖かったといえば「残穢」(ざんえ)(15年 小野不由美 新潮社文庫)も怖かったが、「中国毒」の怖さは、もっと、もっと「ありそう」な怖さだ。柴田の説得力に脱帽。「残穢」は、読まなくても死にはしないが、この「中国毒」は、読まなければならない作品だ。
「日本国債」(03年 幸田真音 講談社文庫)
経済小説のつもりで借りてきたのに読み進めるうちに特捜刑事と一緒の気持ちになって、犯人捜しにハマってしまった。なにより、この幸田真音(こうだまいん)という作家、初めて。読みなれたいつもの作家を追いかけているうち、とんでもない傑作を見落としていたのかと、激しく後悔。

幸田真音か、まいったな。また読みたい本が増えた。