2025年10月28日火曜日

ロバの耳通信「アポストル 復讐の掟」「アシュラ」「6時間」

「アポストル 復讐の掟」(18年 米)

Netflixオリジナル。カルト宗教の島に誘拐された妹の救出に行った男の物語。時代や場所は曖昧だが、旧式だが銃もあるから近世か、米五大湖にあるアポストル諸島かと想像、寒そうだし。このカルト宗教がなんともすごい。ただのババアを女神にして悪いことは皆この女神のせい、リーダーたちの娘や息子がデキてしまい、見せしめに片方を殺したことからリーダーたちが反目。ババアが実は魔女で、妹を救出に行った男がババアの魔力を引き継ぐとかハチャメチャ。ストーリー展開は場当たりに思えるほどの雑さだし、エロなしグロだらけのスプラッタ劇に納得できるワケもない。うーん、脚本どうなってるのだろうと思うが、まあいいか。

配役は知らない役者ばかりだけど頑張っていて、撮影もキチンとしているから安っぽさはない。まあ、こういう映画もアリかな。切られたり抉られたり、あげくアタマにドリルで穴を当てられて悪魔を追い出す儀式とか、キモイけどドキドキしながらみられたし、妹の救出に来た男の視点を変えず、島の中あちこち冒険を楽しめたからまるでRPGゲームのようだった。

「アシュラ」(16年 韓)

R15+のノアール映画。架空の都市・アンナム市の市長、市長の子飼の刑事、検事ほか全員ワルモノ。その中で極ワルの市長ソンベ役のベテランのファン・ジョンミンがいい。優しい笑顔はすぐにブチ切れる、ステレオタイプの韓国の権力者のイメージ。

暗くて行き場のない怒り。韓国ノワール映画では、権力者はいつも極ワルに描かれる。テーブル一杯に並べられた酒肴、刑事たちの出前の食事、拳銃、鎌、金づち、ヤッパなど韓国映画の定番メニュー。メッチャ面白かった。見終わって気付いた、イカン、中毒になっている。韓国ノワール、蜜の味。

「6時間」(15年 チリ)原題 6Hours:The End

原子炉爆発までの残された時間は6時間。ラストの大爆発までは、アパートの一室内での若い男女のダラダラセリフのやりとりだけ。最後のエッチのあと女はどこかに出て行き、残された男は訪ねてきた友人とマリファナトリップ。隣の若い女が合流したところで、友人はその女に無理強い。男は友人に怒りをぶつけ、”最後に正義を行う”と意味不明なことを隣の女に告げ、その女を連れてどこかのビルの屋上に<意味不明だって、そんなの>。最後にドカーンでオシマイ。残り何時間と切られた人間が何をするかという命題にエッチだけだとぉ?66分作品だが、それでもダラダラ感いっぱい。観客を舐めてるどうしようもない映画。

2025年10月15日水曜日

ロバの耳通信「ロビン・フッド」「コップ・カー」

「ロビン・フッド」(18年 米)

「キングスマン」シリーズ(15年~ 英・米)ですっかり顔なじみになたタロン・エガートンだが、子供顔のせいかロビン・フッド役には合わないかなと思っていた。前作(ただし続きものではない)「ロビン・フッド」(10年 英・米)では、巨匠リドリー・スコットらとともに自身も制作にかかわったラッセル・クローが主演で強面のロビン・フッドのイメージがあったから。新しい「ロビン・フッド」ではレオナルド・ディカプリオ監督が今までと味付けを変え、ロビン・フッドと元妻役マリアン(アイルランド女優イヴ・ヒューソン)との愛憎を入れたり、出だしを序章の物語と語りで英国風の味付けにしたりの新しい試みを入れ、また、ロビン・フッドの戦いの場を街中のアクションにもってきたりで新鮮味のある映画となっている。馬車同志の戦闘シーンは迫力の出来で、ウィリアム・ワイラー監督。チャールトン・ヘストン主演の「ベンハー」(59年 米)を思い出した。
さらにリトル・ジョン役ジェイミー・フォックスは存在感があり、悪代官役ベン・メンデルソーンなど、特にワル役のキャスティングが良く時間を忘れるほど。終わりでボスキャラとその手下を残したのは続編への布石か。近日日本公開とのことだが、これは薦められる映画だ。

「コップ・カー」(15年 米)

10歳のふたりの悪ガキがパトカーを乗り回すというだけの映画。悪徳警官役のケビン・ベーコンが総指揮・主演。
オープニングでふたりの悪ガキが覚えたての汚い言葉を言いながら草原を歩いて行くシーンから「スタンド・バイ・ミー」(86年 米)の甘酸っぱい思い出の悪ガキ物語のつもりでみていたら、ゼンゼン違っていた。山中でパトカーを見つけ、乗り回して遊んでいたらシェリフのケビン・ベーコンに執拗に追い回される。パトカーのトランクには死体が積んであったのが、シェリフが必死で追いかけた理由。映画って、すごく面白いか、怖いか、哀しいか、なにか訴えるものがないとね。狂ったか、ケビンベーコン。

2025年9月30日火曜日

ロバの耳通信「追憶の森」「エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略」

「追憶の森」(16年 米)

妻(ナオミ・ワッツ)を失ったアメリカ人(マシュー・マコノヒー)が自殺するために青木ヶ原を訪れ、そこで謎の男(渡辺謙)と出会うというただそれだけの物語。ヒネリは、アメリカ人は自らの浮気のため妻とは不仲だったのが、妻のガン治療からの回復とその後の交通事故で妻を失っていた。謎の男はどうも、森の精とか死んだ妻の霊だったかとか曖昧のまま。
映画の中の青木ヶ原は明るく、川もある。アメリカ国内のどこかの森でロケしたらしく、陰鬱で暗い溶岩だらけの本当の青木ヶ原のイメージじゃないし、アメリカ人がなんで日本まで自殺に来るんだ?ナオミ・ワッツのヒステリー女ぶりはゾッとする迫真の演技だし、アメリカ女ってのはだいたいそんなものだと想像するが、ナオミの怒った顔は怖い。マシュー・マコノヒーは有名な俳優らしいが、この映画ではダイコン。渡辺謙は好きな役者だが、存在感がない。幽霊みたいな役だから、まあ、いいのか。

題名もポスターもスピリュチアル感いっぱいだが、実際のところは男が森の中をウロウロするだけの映画。保証する、時間の損。

「エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略」(15年 デンマーク)

なんだかおかしな邦題だが、原題は9.April。第二次世界大戦でドイツ軍にデンマーク国境が破られた「記念日」らしい。だいたい戦争映画といえば、行け行けドンドンの勝ち戦か哀しい負け戦のどちらかだろう。この映画、ドイツ侵攻から数日で降伏を決めたデンマークの前線にいた自転車部隊の、螳螂の戦いを描いたもの。新兵を含む若者だけの兵隊たちとそれを率いる少尉(ピルー・アスペック)の物語。これが中学生と担任の先生のイメージ。雑談しながら射撃訓練、自転車のタイヤを交換する訓練など淡々と描かれる。それを監督する将校はコーヒーやブランデーを飲みながら。おいおいこんなのありかよ。
戦争シーンはあるが、ほぼ小銃や機関銃だけで、一方的にドイツ軍の機甲部隊に追いつめられ、あっという間に降伏してしまうから邦題からドンパチを期待していると違和感を憶えてしまう。
デンマーク軍の上級将校たちは皆、無責任。ドイツ軍が来てる、どうすればーに対し、待機せよ。圧倒的な兵力にやられている、どうすればーに対し、後方で別部隊と合流せよ。兵隊はもとより、将校たちも自律的な働きができない。
ドイツ軍将校がえらく紳士的に描かれているから、この映画がデンマーク映画かと疑う。戦争なんか、結局は不条理なものだから、こういう自虐的なものもあってもいいのだろうが、それにしてもこの映画が何を観客に訴えたかったの。デンマーク軍への当てつけか。
戦場で兵隊たちに頼られながらもうろたえ、最後は降伏してしまう少尉役のピルー・アスペック、結構見る顔じゃないか。スカーレット・ヨハンソン大活躍のハリウッド版「ゴースト・イン・ザ・シェル」(バトー役17年 米)とか「オーヴァーロード」(主演 18年 米)とか、デンマークの俳優とは知らなかった。
少尉の上官のこれも頼りない将校役で出ていたラース・ミケルセンも結構有名な俳優らしい。名前に見覚えがあるからチェックしたら「ハンニバル」シリーズ(14年~ 米テレビ)でハンニバル博士を好演のデンマーク出身マッツ・ミケルセンの兄らしい。

2025年9月15日月曜日

ロバの耳通信「SPY/スパイ」「アメリカン・サイコ」

「SPY/スパイ」(15年 米)

動画サイトで俳優名で検索して見つけた映画。大好きジェイソン・ステイサム、ジュード・ロウじゃあ面白くないわけないだろうと期待。うん、めっちゃ面白かったが、普段ほとんど見ることもないコメディー。

主役が二段アゴのデブ女メリッサ・マッカーシーでゲンナリだが、アクションシーンなんかも結構丁寧な造り。「007ジェーム・スボンド」シリーズ(62年~ 英)と「ジョニー・イングリッシュ」シリーズ(11年~英)を足して割ったCIAスパイアクションモノ。「007」は、とんでもないアホ話に大スターが大真面目でアクション演技をするこそばゆさ、「ジョニー・イングリッシュ」は、桁外れのばかばかしさを感じながらもシリーズを楽しんでいたのだが、「SPY/スパイ」は、大真面目アクションをジェイソン・ステイサム、ジュード・ロウが、ばかばかしい方をデブ女がと分担、パクリなりに面白かった。
世界のほぼすべてで公開されていて、配給も20世紀フォックスと最大手なのに、日本では劇場公開されずDVDやヤミ動画で見るしかない。なぜ日本だけ劇場公開されなかったのだろう。

「アメリカン・サイコ」(00年 米)

投資会社のヤングエリート、クリスチャン・ベールは快楽殺人鬼だった。(レオナルド)ディカプリオが候補だったこの役をクリスチャン・ベールを引き継いだと。ディカプリオの幼い顔より、クリスチャン・ベールの狂気がずっと似合っている。

ふた昔の前の映画なのに、ウオール街の町並みはガラスのビルに囲まれ、ヤングエリートが集うクラブは革と葉巻の匂いのするソファーやコカインを吸うための小部屋、住まいは管理人つきで夜景がきれいな高層マンションのペントハウス、窓には天体望遠鏡、クローゼットにはダークスーツが並ぶ。憧れを通り越した夢のエグゼプティブの暮らしは、古さを微塵も感じさせない。
高級レストランで意味不明の料理を食し、パーティーではよく知らない友人たちや群がる女たちと意味のない馬鹿笑い。金持ちの暮らしとはこういうものなのか。空しいと感じさせても、憧れとのバランスはとれない。
同僚を斧で殺し、娼婦をチェーンソーで追いかけまわし、顧問弁護士に殺人を告げても信じてくれない。だから、空しい暮らしは変わらない。

楽しくも面白くもないが、忘れられないいい映画だった。同名の原作本(95年 角川文庫)があり、ソッチのほうがずっと過激で重苦しいらしい。また、読みたい本が増えた。

2025年8月29日金曜日

ロバの耳通信「下町ロケット」「花の下にて春死なむ」

「下町ロケット」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

ちょっと、考えあぐねているのが池井戸潤。この直木賞受賞作の「下町ロケット」も、予想通り面白かった。読み始めたら、途中で止めたくないほど、なのだが、何冊か読んできて、池井戸の勝ちパターンというか、読者を引き込む手口に飽きてきたらしい。カミさん曰く、”作ってる”から好きじゃない、と。
勧善懲悪、ハッピーエンドはキライじゃないが、ずっとこれだと飽きる。文章もうまいし、ストーリーを組み立てる素材というか、今回の「下町ロケット」でいえば、大企業・町工場の描き方、水素エンジンのバルブシステム、銀行と企業の駆け引きなどのディテールもおろそかにしていないから臨場感に引き込まれてしまうが。解説を読むと、江戸川乱歩賞受賞の「果つる底なき」、大企業の横暴を描いたという「空飛ぶタイヤ」、吉川英治新人賞受賞の「鉄の骨」などなど、紹介されているどの作品にも期待が膨らむ。飽きた、と期待のせめぎあい。読みたい作家はまだまだいるからね。

「花の下にて春死なむ」(01年 北森鴻 講談社文庫)

裏表紙の”日本推理作家協会賞”の釣りに惹かれ読み始めた連作6編。著者の作となる俳句やら、気の利いたビアバーのマスターとの洒落た会話など、著者自身が楽しみながら書いたに違いないミステリーは、ひとひねりもふたひねりもしてあって謎解き好きには堪えられないかも。
初めての作家だが、この作品は、ただ、好みに合わない、訳知りマスターが凝った料理の能書きを垂れながら謎解きをして見せるなんてのは。で、巻頭を読んで、中盤を拾い読みして、ヨイショだらけの郷原宏の解説ー実は、この郷原宏が好きじゃないから、坊主憎けりゃ・・になってるかも、と北森には申し訳ない気もするーで勧められた巻末短編も読みだしたが、途中でコンジョウが尽きた。

2025年8月20日水曜日

ロバの耳通信「ミッドナイト・バス」「虚の王」

「ミッドナイト・バス」(16年 伊吹有喜 文春文庫)

深夜バスの運転手として働く男には都会の暮らしに疲れ実家に帰ってきた息子とコスプレアイドルに夢中の娘、姑との諍いのため別れた妻がいて、前妻には新しい家庭があり、男も新しい伴侶を持つことを考えている。騙しも、殺しもない。普段ミステリー小説やノワール映画に明け暮れているから、こういう小説はちょっと退屈なのかなと不安もあったが、父と息子、父と娘、前妻と子どもたちの「どこにでもあるような話」ではあるけれど、ときどきウルウルしながら500ページを一気読み。カミさんは、元妻とまた一緒になるというラストが良かったと。ワタシは、男は前妻や小料理屋の女将のどちらとも撚りを戻さないというラストが良いと思ったのだが、伊吹は別のラストを準備していた。


「ミッドナイト・バス」(18年 邦画)


主演のバス運転手役原田泰造、その妻役山本未來も、音楽(川井郁子)も良かったが、とても重要な役柄だと思える小料理屋の女将役の小西真奈美がゼンゼンそれらしくなく、つまらなかった。製作スタッフもよく工夫したなと感心したのが、娘とその相手の両親を入れての会食シーン。原作にあった突然3人が玄関先に立つところで、このマザコンボーイフレンドと両親の態度に辟易感を感じているのに、映画では会食場所に向かうエレベータが騒々しい中国人たちに囲まれて辟易するシーン、そのあとのレストランでも騒々しい中国人に囲まれて、大事な食事会がワヤになってしまうところ。マザコンの母への憎々しさ倍増。
製作が新潟日報社で、公開も新潟千行ということでローカル色が強かったが、カメラワークが自然で信濃川と万代橋の風景も楽しめた。とはいえ、映画が原作を超えることのハードルの高さを感じた。

「虚の王」(03年 馳星周 光文社文庫)

馳のノワール小説は好きでずっと読んできた。この「虚(うつろ)の王」は、その中でも最も失望した一冊になってしまった。魅力的な4人のキャラでもっともっとノアールにしてほしかった。どうせ最後に殺してしまうんなら主人公を隆弘じゃなく、「最初から」極悪英司にすればよかったのにと残念でならない。美少女希生(のぞみ)にも、女教師潤子にももっと汚れて欲しかった。「不夜城」「漂流街」「夜光虫」(97年~99年)の、ページをめくるのが惜しくなるような興奮がなつかしく、恋しい。
600ページも読み進めてきて、本当に面白かったのがラストページだけなんて酷いよ。いくらワタシが速読だったって、600ページを読み終えるのに何日使ったとおもっているんだよ。

2025年8月10日日曜日

ロバの耳通信「フォース・プラネット」「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」

「フォース・プラネット」(16年 米)原題 Approaching the Unknown

火星探検の第1号として派遣された船長(マーク・ストロング)は、土から水を作り出す”水炉”の発明者で絶対の自信を持っていた。ところが、火星への長旅の間、水炉の調整時にバルブの接続を間違えるという”へま”をして水をつくることができなくなる。火星に行っても、水が作れなければなにもできない。地球に戻るには離れすぎ、しかも過大な期待をされて送り込まれた”専門家”の矜持もある。
ラストシーンは、火星に降り立ち生物はいないとモノローグするが、これが実際の出来事か、夢まぼろしだったのか。

「キングスマン」シリーズ(14年~ 英)で、スパイの先生マリーン役でいい味を出していたマーク・ストロングもこの「フォース・プラネット」では、自称専門家の鼻っ柱ばかり強い宇宙船の船長。思いがけない水炉のトラブルで、自分を失っておかしくなってゆく様がなんとも。

それにしても一年ちかく、ひとり宇宙船の中で過ごすってのはどうだろう。たとえは悪いが、ネット喫茶の個室で一年暮らすようなものか、それもいいんじゃないか、ワガママ放題、三食付きネット環境付き、うーん。一週間くらいならいいか、と楽しい妄想。

「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」(14年 ノルウェー・スウェーデン・デンマーク)

何と、安易な邦題だ。原題kraftidiotenは失踪、みたいな意味らしい。
雪上車の運転手(ステラン・スカルスガルド)の息子の大学生の死体が見つかり、麻薬の過剰摂取という警察の説明に納得せず真相を突き止めるべく、息子の友人関係から調査を進める。麻薬カルテルの末端から一人づつ殺してゆき、地元ラスボス”伯爵”までたどりつく。伯爵は、部下たちの失踪を、セルビア人ギャングの裏切りと勘違いし、地元ギャングとセルビア人ギャングの抗争に発展する。
面白いのが、舞台がノルウェーの街なのに、スウェーデン人、アジア人、セルビア人など多様の人々が登場するし、運転手もその兄の元ギャングもギャングのボスの伯爵も、みんなうるさい妻たちに悩まされていること。福祉が行き届いた北欧の特徴なのだろうか。

先週、映画にでもと放映プログラムをチェックしていたら、この映画のリメーク版「スノー・ロワイヤル」リーアム・ニーソンの主演で放映されていると。監督も本作と同じくハンス・ペテル・モランドらしい。リーアム・ニーソンって、どんな映画でも同じ演技。まあ、この役には合ってるとは思うけれど、映画館に行ってまでもという気はしないかなー。「スノー・ロワイヤル」って邦題もなんだかね。