2025年5月20日火曜日

ロバの耳通信「最愛の大地」「タイガーランド」

「最愛の大地」(11年 米)原題 In the Land of Blood and Honey

アンジェリーナ・ジョリーの初監督・脚本ということで話題になった”恋愛映画”。交際していたセルビア警察官とムスリムの女画家がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でセルビア将校とムスリム勢力という敵味方の関係に。見終わって、これアノ映画と同じスジじゃないかと。ナチ将校ダーク・ボガードとユダヤ女シャーロット・ランブリングの「愛の嵐」(74年 イタリア)Il Portiere di notte だ。倒錯の愛はいつでも後をひく。

結局「最愛の大地」も、盗作騒ぎやら人権問題で映画界を騒がせ、アンジェリーナの名前だけで鳴り物入りで公開されたもののヒットしなかったのは暗すぎる話だったせいか。アンジェリーナは嫌いだが、この映画、個人的にはカメラワークも音楽も良かったし、なにより何を考えているのかわからないムスリムの女画家を演じた女優に、「愛の嵐」のユダヤ女シャーロット・ランブリングと似た不可解な女の何かを感じ、忘れられない映画になった。

「タイガーランド」(00年 米)

タイガーランドはベトナム戦争時代の米軍の訓練施設。新兵の訓練施設の最終ステージにあたり、ベトナムのジャングルを再現していて米兵とベトコンに分かれた模擬戦をやる。それまでの訓練で疲労や不平、不満が溜まっているからつい本気になってしまう。
コリン・ファレルが飄々とした新兵になってまとめ役に。ほぼ無名の役者ばかりだから、ほとんどこれはコリン・ファレルのための映画。あんまり変わってないな。
実際の戦闘シーンはないが、お決まりの古参軍曹による新兵のシゴキやら新兵同志のイジメやらが延々。まごうことなき反戦映画。厭戦といってもいいか。

60年代の終わり。私はノンポリだったから、学内を練り歩くベトナム反戦のデモにも集会にも参加せず。ずっと後になって、それらに参加しなかったことで失ったもののことを考えた。停学になることも、怪我をすることもなかった代わり、何か大きなものを失ったような気がしたが、いまもそれが何かわからない。相変わらず、今もノンポリのままだ。

2025年5月10日土曜日

ロバの耳通信「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」「ブレイン・ゲーム」

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(17年 米)原題 The Post

監督がスティーブン・スピルバーグ、主演がメリル・ストリーブ、トム・ハンクスと揃えば面白さを保証されたもの、にも拘わらずこの映画、初見。ひとこと感想、いやー、面白かった。
ベトナム戦争の調査レポート「ペンタゴン・ペーパーズ」をマクナマラ司法長官に握りつぶされた軍事アナリストがレポートをニューヨークタイムスに持ち込み、発表したニューヨーク・タイムズに司法の手が伸びる。ニューヨーク・タイムズに遅れをとったワシントン・ポストの編集長(トム・ハンクス)はアナリストから同じレポートを入手し、訴追覚悟で大々的に暴露した。メリル・ストリーブはワシントン・ポストの社主の役。親から引き継いだ会社をつぶすかどうかの瀬戸際に立たされるも、編集長支持の結論を出す。
日本の司法制度との違いをまざまざと感じるのが、記事掲載日に司法省より編集長への記事差し止めの電話、翌々日には最高裁判所による公聴会と決定とアクションが早い。しかも、レポートを最高機密文書として隠そうとする政府に対し、報道の自由を理由に記事の掲載を最高裁が適法と裁定するなど、ちょっと格好良すぎのウソ臭さもあるが、経緯はおおむね事実にのっとっているだろうから、映画の説得力もある。まあ、この映画が70年代か80年代なら大いに評価されるだろうが、当事者たちのほとんどが死んだり、引退している17年の公開じゃあ、ただのサクセス・ストーリーかな。
ワシントン・ポストは13年にAmazon創始者のジェフ・ベゾスに売却され、”スローガンを「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」とすることを発表”(wiki)したりしているから、案外この映画、ワシントン・ポストのキャンペーン映画かなと。まあ、面白かったから文句はないけれど、時期的にはちょっと後味が・・。

「ブレイン・ゲーム」(15年 米)原題 Solace

アンソニー・ホプキンスのファンで、だいたいは同じ映画を2、3回は見ている。サンソニー・ホプキンス主演の映画のなかでも、この「ブレイン・ゲーム」は、味わい深い優れた作品だと思う。脚本も、音楽もいい。特に気に入っているのはフラッシュバックのシーン。ホプキンスがFBIに委託された、預言者の役だから、未来に起きることをフラッシュバックで見せるのだが、数秒の映像が実に迫力があり、何度みてもドキッとするほど。あと、FBI女性捜査官役のオーストラリア女優のアビー・コーニッシュがいい。ブロンドの美しい髪を束ねた制服姿は見てるだけで萌える。
この映画、アンソニー・ホプキンスを雇うFBI捜査官の役で準主役ジェフリー・ディーン・モーガンが末期がんの捜査員という難しい役で出ていていい味をだしているのだが、一年ほど前まで夢中になってみていた「ウォーキング・デッド」(10年~ 米テレビドラマ)では、極悪の親玉の役だったから、その役柄の落差に頭が混乱。ポスターではホプキンスと並んで、コリン・ファレルが出張っているが、連続殺人犯という重要な役柄ながら、後半にちょろっと、いつものトボケ顔。彼はミスキャストだと思うよ。
原題のSolace「癒し」の意。ここで明かさなくても、映画を見れば納得。

2025年4月30日水曜日

ロバの耳通信「アメリカン・ウオー」「アイアンクラッド」

「アメリカン・ウオー」(原題 Memorial Day12年 米)

日本国内では公開されていないらしい。祖父が孫に大戦中の辛かった思い出を語り、その孫はいまイラク戦争で戦っている。ポスターと中身はえらい違いで、ハデなドンパチものではない。この映画で見せるのは、戦争の悲惨さだけでなく、アメリカ中西部の豊かな自然、頑固ジジイと孫たちの交流、ジジイの妻の暖かな眼差し、父と子のギクシャクした親子関係、戦友たちの死や彼らとの友情、とにかく全部が「アメリカ」。有名な俳優はジジイ役のジェームズ・クロムウェルだけだけど、主人公(孫)役も子役(孫)もジジイの妻も全員が無名ながらスゴイ。監督も撮影も音楽までも無名の人々。カメラワークや音楽はちょっとないくらい素晴らしい。クラス分けではB級に入るのだろうが、丁寧に綴られたアメリカン・ヒストリーをシミジミ楽しめ、こういう小品でも素晴らしい映画を作ることができるアメリカ映画の底力を感じる作品。

近年、観客受けばかりを狙っているオスカーなんてくそくらえだ。動画サイトを探してみてもらうしかないのだが、ひさしぶりにココロに染み入る「いい映画みたよ」と、強く勧めたい。

「アイアンクラッド」(12年 英米独)

「マグナカルタ」は受験勉強で言葉と年号だけはなんとなく覚えていたが、意味については全く理解していなかった。この映画は、英ジョン王がフランス軍との戦いに執着したため再三の戦いを強いられたイングランド貴族が反乱し、英国王の存続を認めることを条件に国民の自由を保障させた合意書が「マグナカルタ」だということをやっと理解できたのはこの映画のおかげ。もっとも貴族たちに従前の貴族特権を保障させること英国王が強制させられた文書という言い方をしている歴史の本もあるようだが、まあそういうことらしい。
とにかく、歴史背景をよく理解できた。歴史なんて、映画を見せてくれればよくわかる。年号なんて必死で覚えるんじゃなかった。

全編、ジョン王とその抵抗勢力との戦いを描いたものだが、大きな剣やマサカリで切られるわ手足は落とされるわは、グロ多すぎ。とはいえ、英国と英国王の歴史が血塗られたものだということを知ったのだが、興味深かったのがジョン王が映画の中で声高に叫んだ”神から授けられた王の血筋”。神ってなんだよ、権力者はみんなこういう言い方をしているよね。



2025年4月19日土曜日

ロバの耳通信「ようこそ、わが家へ」「火の粉」

「ようこそ、わが家へ」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

通勤電車で横暴な割込み男に注意したことでストーキングされ嫌がらせを受け続けるマジメな会社員は、勤め先で営業部長の不正を指摘したことで、社長からまでも疎まれ居づらくなるハメに。読み進めるにつれ心理的にも八方塞がりに追い込まれてゆく会社員の気持ちは同情に値する。ただ、池井戸の小説は辛い、悲しいでは終わらない。

池井戸潤のウリは「痛快」「半沢直樹」(13年 テレビドラマ)も花咲舞大活躍の「不祥事」(16年)など、知ってる限りすべてハッピーエンド、勧善懲悪でキッチリ締めくくる。この「ようこそ、わが家へ」もそう。痛快で面白かったけれど、実生活はだいたい、腹立ちまぎれの悔し涙なんてことばっかりじゃないかな、フツーの人は。マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

で、考えた。「ようこそ、わが家へ」もマジメな会社員を主人公にするのでなく、ストーカーなり、ワルモノ営業部長を主人公にしたら、もっと面白かったんじゃないかとか。マゾのワタシはハッピーエンドよりクライム・ノベルのほうが好きというだけのハナシなのだが。
ヒトによく聞かれる、好きな作家。ジャック・ケッチャム、花村萬月、沢木耕太郎、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

「火の粉」(05年 雫井脩介 幻冬舎文庫)

裏表紙の釣りは”私は殺人鬼を解き放ってしまったのか?”。無罪判決を下した男が退任した裁判官の隣に引っ越してきて、「善意の隣人」になる。筋立ては面白く、どんでん返しの後半を想像していたのだが、550ページの道のりは長い。たぶん始まるであろう後半の展開の前に、元裁判官の家の日常が説明される。隣人の善意を際立だせ、あとの物語の伏線になっているのだろうが、嫁姑問題、昔の恋人、墓、聞き分けのない幼子、などなど、まあ普通の家にはたぶんひとつやふたつ必ずあるであろうイヤなことが次々に明らかにされる。その嫌悪感にゾッとして読むことを躊躇し、目移りしたほかの本を先に読んでいたら、図書館の返却期限が来てしまった。
カミさんは、終わらなかったならまた借り直せば言うのだが、実のところ辟易してしまったのだ。イヤなことはなるべくやりたくない、負けるから勝負事はキライな根性ナシのワタシの性格は救いがたい。274ページ、ちょうど半分のところに栞。いつか、そこから先を読む元気をだすことができるだろうか。

2025年4月10日木曜日

ロバの耳通信「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」「バッド・ガイズ!!」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(08年 米)

ずっと前に予告編だけ何度も見ていたのに、今日までついぞ見る機会がなかった映画。予告編や映画雑誌で、ジジイの顔をした捨て子の赤ちゃんが養老院で育てられ、年を経るにつれて若返るというおおまかなスジは知っていたが、主演のブラッド・ピットの演じるベンジャミンが予告編では予想もできないいい味を出していた。優しいメロディーで始まり、主人公の追憶とことわざのような警句モノローグで進んでゆく映画は「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年 米)を思い出した。

ジジイ顔で生まれ、ついには若返って死んでしまうベンジャミン。幼なじみでのちに妻となるデイジー役のケイト・ブランシェットが映画当時40歳ちかくなのに、若いバレーダンサー役で、これがとても若々しくてドキドキするくらいきれいで、ソロダンスシーンもメッチャよかった。ベンジャミンが若い頃(外観はジジイ)にロシアで横恋慕してしまう人妻役の英女優ティルダ・スウィントン(「フィクサー」(07年 米)ほか)の身についた上品さに、ワタシもまいってしまった。

年老いてゆくデイジーと若返りしてゆくベンジャミンの切ない思いが伝わってきたが、この何とも言えない複雑な感情、若いのにはわからないだろうな、きっと。「フォレスト・ガンプ」も何度も見たが、この映画もきっと何度も見ることになるだろう。うん、うまく言えないが、とにかく思い出に残るいい映画だった。

「バッド・ガイズ!!」(16年 ロシア)原題 War on Everyone

なぜか愛すべきドジ刑事役が多いメキシコ系アメリカ人マイケル・ペーニャ(ワタシは結構好き)、とスウェーデンのイケメン俳優アレクサンダー・スカルスガルドが性格真反対の悪徳刑事のペア役。人種差別やら、小児肥満問題などアメリカの社会問題をネタにし、シュールに苦笑いさせられる。これがロシア映画とは驚きだが、アメリカ大統領選挙での助け合い?とか見てると、もはや仮想敵国関係とも言えなくなった米ロだからこれくらいの揶揄はOKなのか。刑事が相手をするギャングがロシアンマフィア風、じっさいのところロシアンマフィアなんて映画でステレオタイプ化されたものを見るだけだから、当たっているかどうかわからないが、ソノ気取ったロシアンマフィアがラストでみんな殺されてしまうというなんともマヌケな自虐映画。まあ、退屈せずに雨の日を過ごせたからヨシとしよう。

2025年3月30日日曜日

ロバの耳通信「眠れぬ真珠」「桜の下で待っている」「ザ・ブラックカンパニー」

「眠れぬ真珠」(08年 石田衣良 文春文庫)

いままで何作か読んで、面白かった著者だったし、叙情派を自称するワタシだから裏表紙の”最高の恋愛小説”の釣りに見事に引っかかってしまった。いや、面白くないとは言わないがこの違和感は何だ。読み始めたら、石田の作品であることを忘れるほどの「女性視点」なのである。男性作家が女性を主人公に書く、あるいはその逆の例もたくさんあるのだが、この作品、どうしても女性が書いたとしか思えない。40代の銅版画家が17歳年下の映像作家に惚れて、お互いの相手とひと悶着というのが大まかなスジなのだが、主人公も含め、やたらセックスや変質的なほどの女たちが出てきて、生臭い。エンディングはいい思い出を残すという中途半端な男らしさ。うーん、そこは残念。どうせなら最後まで女でドロドロのまま引っ張っていってほしかった。
何度かテレビドラマ化されているらしいが、奥様好みの昼メロ素材なのか。口直ししたいから明日は、図書館に行こう。

「桜の下で待っている」(18年 彩瀬まる 実業之日本社)

帰郷をテーマにした連作5編。文章が優しさにあふれていてなんだか染み入ったし、時々感じた男性とは違う強さのようなものに怖さも感じた。懐かしいばかりでない故郷の思いでを語るとこうなるのか。

ひさかたの改札口を振り向いて紺色の群れに君探す

いまになって思い出せばあんなに酸っぱくて、甘いことは先にも、後にもなかった。そんな思い出を持っていることだけでも幸せなのだろう。


「ザ・ブラックカンパニー」(17年 江上剛 光文社文庫)

ブラック企業のハンバーガー屋に勤める青年が友人たちと力を合わせ、カリスマ社長やオーナーの投資ファンドと闘う。まあ、面白い。が、面白いだけのエンターテインメント小説のハッピーエンドに食傷気味かな。新人俳優を主役にしテレビドラマ化されたらしい。

2025年3月20日木曜日

ロバの耳通信「小説・震災後」「愛と幻想のファシズム」

「小説・震災後」(12年 福井晴敏 小学館文庫)

ほかのフィクション作品とは大きく異なり、実際に起きた東日本大震災を題材にした「小説」仕立ての福井の主張である。”この世に「絶対」などありえない””どんなに苦しくとも現実を直視し、ありとあらゆることを極限まで突き詰めて考え、実現すること”を震災後に再三言い続けてきて、この本の解説でも繰り返している石破茂の主張とも齟齬がない。
子供たちにどんな未来を見せられるかと問われ、返事に困窮するだけではダメだと。ずしりと、重い。ただ、福井が主人公の口を通じて熱く語った”太陽発電衛星”は、どうかな。脱原発の代替案としての考えを持たないワタシに、福井の案を笑い飛ばす資格はないのだが。



「愛と幻想のファシズム」(90年 村上龍 講談社文庫)

テレビでやネットで見るくらいだが村上龍が好きじゃない。印象も物言いも。著名な作家なのに読んだ作品は少ない。「55歳からのハローライフ」(14年 村上龍 幻冬舎文庫)が気に入ったのに、「心はあなたのもとに」(13年 文春文庫)で裏切られ、図書館で手に取った「愛と幻想のファシズム」はキレイな本だったから、村上の新しい本が出たのかと奥付を見たら07年の27刷。そんなにたくさん刷られているのかと。

90年代を舞台にしているが、84年~86年の「週刊現代」の連載が元本だというから、30年以上前に書かれた本なのだと驚いたのは、昨日書かれたと言われても違和感のないことに、だ。アラスカを放浪していた青年”トージ”が政治結社”狩猟社”を立ち上げ日本を席捲するアナーキストともファシストとも呼べる主人公の数年を追った上下巻約1000ページの長編。こういう本を読むと、面白い本は快楽であり、麻薬みたいなものだと強く感じる。結局3日がかりで熱病のように読み耽った。連載小説らしく、同じ言い回しが何度も出てきたり、ストーリーの濃淡の激しさのためか、混乱したり、意味不明で途方に暮れたりもしたが、結局はキャタピラーで押しつぶしながら前に進む快感を十分に楽しんだ。著者紹介を見れば、未読の有名作品が多いのにあらためて気づいた。また、読みたい本が増えてしまった。