2025年3月30日日曜日

ロバの耳通信「眠れぬ真珠」「桜の下で待っている」「ザ・ブラックカンパニー」

「眠れぬ真珠」(08年 石田衣良 文春文庫)

いままで何作か読んで、面白かった著者だったし、叙情派を自称するワタシだから裏表紙の”最高の恋愛小説”の釣りに見事に引っかかってしまった。いや、面白くないとは言わないがこの違和感は何だ。読み始めたら、石田の作品であることを忘れるほどの「女性視点」なのである。男性作家が女性を主人公に書く、あるいはその逆の例もたくさんあるのだが、この作品、どうしても女性が書いたとしか思えない。40代の銅版画家が17歳年下の映像作家に惚れて、お互いの相手とひと悶着というのが大まかなスジなのだが、主人公も含め、やたらセックスや変質的なほどの女たちが出てきて、生臭い。エンディングはいい思い出を残すという中途半端な男らしさ。うーん、そこは残念。どうせなら最後まで女でドロドロのまま引っ張っていってほしかった。
何度かテレビドラマ化されているらしいが、奥様好みの昼メロ素材なのか。口直ししたいから明日は、図書館に行こう。

「桜の下で待っている」(18年 彩瀬まる 実業之日本社)

帰郷をテーマにした連作5編。文章が優しさにあふれていてなんだか染み入ったし、時々感じた男性とは違う強さのようなものに怖さも感じた。懐かしいばかりでない故郷の思いでを語るとこうなるのか。

ひさかたの改札口を振り向いて紺色の群れに君探す

いまになって思い出せばあんなに酸っぱくて、甘いことは先にも、後にもなかった。そんな思い出を持っていることだけでも幸せなのだろう。


「ザ・ブラックカンパニー」(17年 江上剛 光文社文庫)

ブラック企業のハンバーガー屋に勤める青年が友人たちと力を合わせ、カリスマ社長やオーナーの投資ファンドと闘う。まあ、面白い。が、面白いだけのエンターテインメント小説のハッピーエンドに食傷気味かな。新人俳優を主役にしテレビドラマ化されたらしい。

2025年3月20日木曜日

ロバの耳通信「小説・震災後」「愛と幻想のファシズム」

「小説・震災後」(12年 福井晴敏 小学館文庫)

ほかのフィクション作品とは大きく異なり、実際に起きた東日本大震災を題材にした「小説」仕立ての福井の主張である。”この世に「絶対」などありえない””どんなに苦しくとも現実を直視し、ありとあらゆることを極限まで突き詰めて考え、実現すること”を震災後に再三言い続けてきて、この本の解説でも繰り返している石破茂の主張とも齟齬がない。
子供たちにどんな未来を見せられるかと問われ、返事に困窮するだけではダメだと。ずしりと、重い。ただ、福井が主人公の口を通じて熱く語った”太陽発電衛星”は、どうかな。脱原発の代替案としての考えを持たないワタシに、福井の案を笑い飛ばす資格はないのだが。



「愛と幻想のファシズム」(90年 村上龍 講談社文庫)

テレビでやネットで見るくらいだが村上龍が好きじゃない。印象も物言いも。著名な作家なのに読んだ作品は少ない。「55歳からのハローライフ」(14年 村上龍 幻冬舎文庫)が気に入ったのに、「心はあなたのもとに」(13年 文春文庫)で裏切られ、図書館で手に取った「愛と幻想のファシズム」はキレイな本だったから、村上の新しい本が出たのかと奥付を見たら07年の27刷。そんなにたくさん刷られているのかと。

90年代を舞台にしているが、84年~86年の「週刊現代」の連載が元本だというから、30年以上前に書かれた本なのだと驚いたのは、昨日書かれたと言われても違和感のないことに、だ。アラスカを放浪していた青年”トージ”が政治結社”狩猟社”を立ち上げ日本を席捲するアナーキストともファシストとも呼べる主人公の数年を追った上下巻約1000ページの長編。こういう本を読むと、面白い本は快楽であり、麻薬みたいなものだと強く感じる。結局3日がかりで熱病のように読み耽った。連載小説らしく、同じ言い回しが何度も出てきたり、ストーリーの濃淡の激しさのためか、混乱したり、意味不明で途方に暮れたりもしたが、結局はキャタピラーで押しつぶしながら前に進む快感を十分に楽しんだ。著者紹介を見れば、未読の有名作品が多いのにあらためて気づいた。また、読みたい本が増えてしまった。

2025年3月10日月曜日

ロバの耳通信「ファントム 開戦前夜」「ザ・マミー」

「ファントム 開戦前夜」(13年 米)

ロシアの潜水艦にファントムという偽装装置ーほかの国、例えば中国の潜水艦の音を出す装置を乗せ、米国の潜水艦を核ミサイル攻撃させ米中の核戦争を起こさせようとしたという史実に基づき作られた映画、と思っていたが実際のところは、事実の部分はハワイ近海でロシアの潜水艦が行方不明になったということ「だけ」が事実らしい。事実に基づき作られた映画とタイトルのあとにそれらしい字幕がはいり、ああ、実話かと誤解してきたが、なんてことはない、映画の一部に事実が含まれているくらいの意味らしい。

とはいえ、映画はすごく面白かった。ロシア艦の艦長にエド・ハリス、ファントムを持ち込んだKGB役にデイヴィッド・ドゥカヴニー(「X-ファイル」(93年~米テレビシリーズなど)のモルダー捜査官)、副長役 ウィリアム・フィクナー(「アルマゲドン」(98年 米)シャープ大佐)ほか、有名な役どころを揃えてはいるが、なんといってもエド・ハリスの存在感はすごい。無名の音楽監督ながら、最高の効果音楽で閉鎖空間の音響とあいまってすごい緊迫感も味わえた。
潜水艦モノの映画は大好きで結構見てきたが、ベスト3を上げれば「U・ボート」(81年)、「レッド・オクトーバーを追え!」(90年)、「クリムゾンタイド」(95年)か。共通しているのは閉塞感と緊迫感、結末はわかっていても、手に汗握ってしまう。

「ザ・マミー」(17年 メキシコ)原題:Vuelven

”未体験ゾーンの映画たち”は、12年より毎年開催の映画祭。有名スターが出ていない、宣伝予算が出ないーつまりは”売れないだろう”という作品を集めてマイナーな映画館で見せている。今年は56の映画が出品され、「ザ・マミー」はその中のひとつ。ほぼ同名の「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」(17年 米)がトム・クルーズ主演で、テレビCMもガンガンやったのに売れなかったが、このメキシコの「ザ・マミー」はよくできた映画だったとワタシは思う。うん、ネットでの評判は良くなかったし、確かにハリウッド向きじゃない。

母親がギャングに誘拐され、ストリートチルドレンと一緒に生きるしかなくなった少女が、彼女だけにしか聞こえない母親の声に導かれ、ギャングと闘う。ストリートチルドレンたちの明るい表情は救いだが、そこでは警察の腐敗、誘拐、殺人。母親の声や死んだ仲間の霊の導きで復讐を果たすなんて、スティーブン・キング好みか。

2025年2月28日金曜日

ロバの耳通信「とせい」「食堂かたつむり」「麻雀放蕩記」

こうやって、読んだ本を並べてみると、かなり乱読か。図書館から借りる本はカミさんとシェアしているから、まあこうなる。ワタシだけだと、ミステリーばっかりになる。

「とせい」(09年 今野敏 07年 中公文庫)

中公文庫は字が小さいし、細いから読みにくいのだよとカミさんにこぼしていたら、今野敏は面白いからそれくらいのことは我慢せよとのご神託。

ヤクザが出版社の経営を引き受け、精密加工屋のコンサルを請け負うというとんでもない物語。経営再建の勘所など押えるところはキチンと押えていて、主人公がヤクザの代貸という非現実感はあるものの、ワタシは会社員やコンサルを生業にしていた時期もあるからうんうんとうなづきながら楽しく読めた。
今野の作品の魅力は痛快さか。主人公が刑事だったり、一匹狼だったりヤクザだったりではあるが、勧善懲悪の結末と痛快さで面白さを外すことはない。

「食堂かたつむり」(17年 小川糸 ポプラ文庫)

 なにかのことで小川糸の作品が何度かカミさんとワタシの話題に。

「犬とペンギンと私」(17年 幻冬舎文庫)を読んで、うーん。面白くなくもないが、心を打たんなーということで、もう一冊、これがどーしても名前を思い出せないーを読んで、それでは代表作はと借り出したのがこの「食堂かたつむり」。カミさんもワタシも食いしん坊だし、料理も楽しむ方なのだが、いまいちねーということで変な意見の合致。凝った料理が紹介されるのだが、カタカナの料理名に材料、手順をサラッと紹介され、「おいしそう」が伝わってこない。映画化もされたと。小川糸はもういいかな。

「麻雀放蕩記」(16年 黒木博之 ポプラ文庫)

ワタシは阿佐田哲也の「麻雀放浪記」(69年~ 週刊大衆 双葉社)、同名漫画(93年~ 近代麻雀ゴールド 竹書房)、同名映画(84年 真田広之主演)で育ってきたから、ちょっとね。黒木も一応直木賞作家だからと期待もしていたし、裏表紙の釣りには”ギャンブル小説の金字塔”とあったけれど。金字塔って、なんだかね。

「失格社員」(07年 江上剛 新潮文庫)

10編の短編集。寝る前の気楽な読み物のつもりでいたら、結構シニカル。モーゼの10戒になぞらえたサラリーマンの物語は、ずっとサラリーマンとして暮らしてきたワタシにも身につまされる話が多かった。著者は元銀行員らしく、特に銀行員を主人公にした物語は結構な迫力。ワタシも一時憧れた銀行員は高給エリートのイメージだったが、偏見だったようだ。

2025年2月20日木曜日

ロバの耳通信「変死体」

「変死体」(11年 パトリシア・コーンウェル 池田真紀子訳 講談社文庫)

「検屍官」シリーズ(92年~ パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 以下同じ)で最初に読んだのは多分「死体農場」(シリーズ5作目 94年)。面白さにすっかりはまってしまい、出先で本屋を見つければコーンウェルの本を求め、それ以来熱病のように講談社文庫の青い背表紙(海外ミステリー)を追いかけていたのが20年前。仕事に追われる日が続き、入院。会社もいくつか変わっていまの暮らしに落ち着き、いつの間にか遠ざかっていた図書館の青い背表紙の群れなかにこの「変死体」(11年)を見つけた。表紙も読んだ記憶もない。早速借り出して、裏表紙の解説を読んだら、”緊迫のシリーズ第18弾”と。18作もでているのかの驚きとともに著者紹介のコーンウェルの写真を見たら、すっかり容貌が<悪い方に>変わっていて、浦島太郎の感。ちなみに、wikiのコーンウェルの写真は格好良くて、「検屍官」シリーズの主人公のケイ(主人公の検屍官の名前 ケイ・スカーペッタ)とダブらせていたのに。


「変死体」を読み始めてすぐに気づいた。昔のケイじゃない。馴染みのFBI捜査官のベントンと結婚していたのはいいとしても、強迫観念にあらぬことばかりを口走るただのヒステリーの中年女じゃないか。ガスの出る怪しげなナイフとか、マイクロドローンとか、軍用ロボットとか聞きかじりの<あたらしモノ>を消化せずに盛り過ぎ。トリック満載で読者を迷わせるには成功したが、種明かしの説明のつかなかったことを、死んだヤツにおっかぶせて口拭うなんて、昔はなかったぜ。コーンウェルおばさん、儲けすぎて狂ったか、ゴーストライターに丸投げしたか。

読んでいて気付いた違和感はストーリーだけでなく、文章もなんだか。で、もう一つ気付いた。訳者が違うよ。で、本格的にネットで調べたら、シリーズは24作目「烙印」(18年)まであって、ワタシのなじみの訳者(相原真理子)はすでに亡くなっていて16作目「スカーペッタ」(09年)からは新しい訳者(池田真紀子)に代わっていると。コーンウェル・相原真理子コンビでは「検屍官」シーリーズ以外でも、警察官アンディ・ブラジル シリーズの「スズメバチの巣」(98年~)、捜査官ガラーノ シリーズ「捜査官ガラーノ」(07年~)など、みんな手に汗握る面白さだったのに。そうかそうか。

15作目「異邦人」(07年)までは、相原真理子訳だというから、まずはそこまで未読作を遡って、読んで見よう。16作目以降のコーンウェルの「棚卸」はそれから。


2025年2月10日月曜日

ロバの耳通信「ミッドナイトイーグル」「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」

「ミッドナイトイーグル」(07年 邦画)

高嶋哲夫「ミッドナイト・イーグル」(03年 文春文庫)を読もうと検索していたら、同名の映画を動画サイトで発見。主演に大沢たかお、ワキに大好き竹内結子の懐かしい名前を見つけ、映画を先に見ることに。
元戦場カメラマン(大沢たかお)が後輩の新聞記者(玉木宏)と長野の山中で行方不明となった米軍機が核搭載のステルス戦闘機であったことを知り冬山を捜索に。途中で一緒になった自衛官と、搭載された核爆弾を爆発しようとする北朝鮮兵士と闘う。
高嶋の小説では、日本の政治家は”優秀に”描かれることが多いが、この映画では冷静沈着に見えながらも、重大な決断を任されたことに悩む内閣総理大臣を演じた藤竜也、内閣危機管理監役の袴田吉彦、内閣官房副長官役の橋爪淳がなかなかリッパで良かった。
大沢たかおは、今年「キングダム」(19年 邦画)で久しぶりに会ったが、全然歳とってないなの感。

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」(17年 米英)原題 Darkest Hour

欧州戦線で周囲が皆ドイツにヤラれる中、徹底抗戦を叫び続けたチャーチル英首相の役をゲイリー・オールドマンが演じていて、チャーチルを魅力的なジジイに。すごいぞ、ゲイリー・オールドマン。頑固で癇癪もちなのは地かもしれないな、あまりにもピッタリ。

英国の議会や内閣府の様子など、興味深いところもたくさん見れたし、ダンケルクの戦いなど当時の歴史もおさらいができた。一か所だけ気になったところが、最初はチャーチルを冷遇した英国王ジョージ6世が、英国陸軍の大苦戦に接し、日和見から一転しチャーチル支持に転じるところ、まあ格好良く描かれているがやむを得ないところか。

原作や脚本がいいのか、衒わずチャーチルにスポットを当てていねいにその人となりと不安な時代を描いた秀作。

2025年1月30日木曜日

ロバの耳通信「エキゾティカ」「毒麦の季」

どうでもいいどころか、読むのに費やした時間に損をしたと感じた「エキゾティカ」と、哀しみや苦しさに浸ってしまいそうになるも、こういうのだけじゃ耐えられないと感じ、やっぱり避けている「毒麦の季」

「エキゾティカ」(10年 中島らも 講談社文庫)

中島らもの個性あふれた小説は、嫌いじゃなかった。そんなノリで読み始めた「エキゾティカ」だったが、9編の短編は、舞台が中国とかタイであったりの面白い切り口で始まりオチで終わるいわゆる、「大人の寓話」だ。

旅行雑誌に月替わりで連載されるほどの品もなく、娯楽雑誌の広告ページまでの穴埋めに使われるような話ばかりで、少なくとも書き手は楽しんで書いている。それもお金になるというから、小説家は有名になるに限ると、なんだかバカにされているように感じてしまった。こっちも、図書館でタダで借りたものだから偉そうなことも言えないが、とにかくこういう本にかけたムダな時間が哀しい。


「毒麦の季」(09年 三浦綾子 小学館文庫)

救いのない物語ばかりを集めた短編集。読んだのはずっと前だが、今も忘れることができない「貝殻」。嫁いだものの子供ができなかったため、亭主が若い女と作った子供を育てるよう姑に迫られ、家を出て死に場を探すうちに列車の中で知り合った知恵遅れの男の純粋さに触発されて死を思いとどまり、新しい生活を始めた女。暮らしも落ち着き、捜しあてた知恵遅れの男はすでに死んでいた。知恵遅れの男が迷い込んだ町で憲兵隊にスパイに間違われて虐め抜かれ、軍隊の服を見ただけで委縮するようになり、ついには死んでしまっていた。この物語と題名の「貝殻」とのつながりは忘れてしまったが、不条理の繰り返しに胸が痛んだ。

この本、みんなこんな話。暗い話ばかりだったが、これほど不幸じゃなかったと自分の過去と比べ、ため息をついた。