2016年9月2日金曜日

ロバの耳通信「警察小説」


図書館にリクエストを出して何か月か待ちで読むことができた「64(ロクヨン)」(13年横山秀夫 文藝春秋社)をスタートに「第三の時効」(02年)、「臨場」(05年)、「ルパンの消息」(91年)、「看守眼」(04年)、「深追い」(05年)と横山の警察小説にはまっている。キッカケは週刊文春の広告欄で「64(ロクヨン)」が紹介されていて、どうも映画化され(まだ、見ていない)話題になり、原作本をもう一度売り込もうというハラだったのだろうがキャッチコピーが秀逸で、翌日には本屋に走り手に取ってみたら、これは面白そう、と。

「半落ち」(02年)ー直木賞候補になりつつも、大揉めして横山が直木賞との決別宣言をした話題作ー04年に寺尾聰主演で映画化ーこれも良かったー以来の横山作品。


「後悔と真実の色」(09年貫井徳郎 幻冬舎)

書き出しがこうである。「申しわけ程度にいくつかの星が瞬いているだけの暗い夜空を見上げたとき、大崎通晃はなぜか『いやだな』と感じた」(本文のママ引用)。なんだかこれだけで、この本に引き込まれてしまった。幻冬舎の本で外れを経験したことがない。明るく、楽しい小説は殆んど読むことがない。暗いジメジメしたところを、なにかを引きずって歩くような小説が好きである。主人公がどこかに行き着いた時の到達感が好きなのか、引きずられて歩く可哀想な人を上から目線で見るのが好きなのか。



「地の底のヤマ」(11年西村健 講談社)

ハードカバー2段組の860ページは確かに読み応えがあったし、これだけの大作を軸をずらさずに書ける作家のチカラを感じた。かっての炭鉱の町大牟田(福岡県)の警察官の物語が大牟田弁の訛りで語られていた。ただ、主人公はこの刑事というより、ヤマ(炭鉱)を支えてきた男たちであり女たちであり、ガキ。だから、これらの人々がページの中で、石炭を掘り、酒を飲み、ケンカに明け暮れる、その間を警察官たちが自転車で駆け回る物語は、例えば新聞紙を一旦丸めてそれを広げて、その端に火をつければジワジワと炎が広がって行くような、一気に燃え広がる不安を感じながらも、同時に最後まで燃えて白い灰になるだろうという確信を持って読むことができた。決して、曖昧なままでは終わらない、警察小説がここに。

これは警察小説であると同時に、ワルガキたちの「スタンバイ・ミー」物語である。家庭を捨て、定年間近になって同じく警察官であった殺された父の犯人をやっと突き止めた警察官は、ただただ寂しい。

ページをめくるのがもどかしい位、どっぷり浸かった。もうこれほどの本には会えないような気がする。


「劇場版 MOZU」(15年邦画)

主人公の警視庁公安部の倉木警部を演じた西島秀俊は、妻子を殺された役柄とはいえストイックで恰好良すぎ、ワキ役の警視庁刑事部の大杉警部補の香川照之がゼンゼン刑事らしくなくてよかった。香川照之はドラマ「半沢直樹」(13年テレビドラマ)ですっかりファンになってしまい、私のアタマの中では「悪人に見えるが、実は善人とみせかけ、その実、極悪人」なのだ。スピンオフドラマの「大杉探偵事務所」では刑事をやめた大杉が怪しげな私立探偵になるというからそっちのほうが面白そうな気がする。

MOZUはドンパチだけでなく双子の殺し屋や架空の国ペナム共和国(撮影はフィリピンのマニラ)でのカーチェイスなど、ハチャメチャなシーンが続くから退屈はしない。この映画の原作は、「百舌の叫ぶ夜」「幻の翼」(逢坂剛 集英社文庫)なのだが、私は逢坂剛とは相性が良くないらしい。根がケチなので、手に入れた本は、我慢しても最後まで読む、気に入らなかったら同じ著者の別の本を探しても読むということで、多くの本を読んできたが、逢坂剛は何冊も途中で挫折している。

0 件のコメント:

コメントを投稿