2017年4月12日水曜日

ロバの耳通信「沈黙 Silence」

「沈黙 Silence」(16年 米)

始まりのタイトルも終わりのタイトルバックの出し方もいい。監督はスコセッシだから衒わず、残酷なシーンも丁寧にというより淡々とさえ思えるし、撮影(撮影監督ロドリゴ・プリエト)のすばらしさは、海岸や山を良くとっているが、主役(「アメイジングスパイダーマン」(12年、14年 米)のアンドリュー・ガーフィルド)にスポットが当たっていない。配役に失敗したのだろうか、主題は困難さの中で神を信じ切った宣教師と迫害された隠れキリシタンの哀しみなのだが、もっと深い「何か」が伝わってこない。

同名の原作(遠藤周作 81年 新潮文庫)を読んだ際も、もう一歩奥にジブンを持って行けない気持ちになった覚えがあるから、原作を大切にするスコセッシがあえてそうしたのかもしれない。効果音楽はほとんど気にならないくらいだし、深淵なところをそのままにして、カネ目当てのエセ宗教のように勝手な解釈で弱者を混沌に引きずりこもうとしていないのは好感が持てるが、スコセッシの映画だからこそ踏み込んでほしいところでもあった。

原作では踏み絵を踏むことを選んだ神父の描き方などで、67年の初版以降、遠藤は世界中のキリスト教関係者の非難を浴びたが、この映画についてはどうだったのだろうか。

窪塚洋介が演じきった何度も転びながらも信仰を捨てきれないキチジロー、キリシタンを迫害する筑後守のイッセー尾形、通辞の浅野忠信ほか多くの日本俳優のハマり具合は秀逸。wiki によれば同名の邦画(71年 篠田正浩)があるらしい。配役をチェックしたらマコ岩松のキチジロー、岡田英次の筑後守、戸浦六宏の通辞と皆鬼籍にはいっているが、当時これ以上のステレオタイプの配役も考えられない。こちらも見たくなった。
うむ、近いうちに。

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