「草にすわる」には「草にすわる、砂の城、花束」の3中編、「心に・・」は女性が主人公で同級生の元ヤクザとの邂逅を描いた、登場人物を思い切りステレオタイプに描いたマンガや映画のような作品。設定は嫌いじゃないが。
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主人公の何もしないと決めた5年間にちょっとあこがれたが、心中相手の曜子(なぜか作品中ではずっと”さん”付け)が、私にはちっとも魅力的でなかった。どの小説でも重要な役割を持ち描かれる女性像は、だいたいは魅力的に思えるのだが、白石の作品に出てくる女性はほとんど私のダメな「しっかり」タイプ。うーん、好みが違うということだけなのだろうか。「草にすわる」では、若くして妻子を残し30歳で死んだ詩人八木重吉と残された家族の不幸を引用しているが、作品の主題もこれ。八木重吉の悲しさは伝わるが、白石の気持ちは伝わらない。「砂の城」は文学者が自説を述べるというだけの作品で、白石の意図がコレだとしたらつまらない。「花束」は白石が文芸春秋で記事を書いていた経験で書いたらしい経済小説で、この手の作品に必要な「臨場感」や「切迫感」が思い切り欠けていて入り込めなかった。どうして「花束」なんて名前にしたのか。場違いな花束にこじつけられたエンディングのせいで作品がダメになっている。ちっ(舌打ち)。
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ハイライトの主人公が、婚約相手の母親にタンカを切るところ、うんうん、気持ちはわかるけど、ほぼ2ページを費やす長いタンカはやたら饒舌。声高の長いだけのタンカは相手を怒らせるだけで、自分の気持ちを伝えることも、自分の高ぶりを収めることもできない。
と、白石には文句タラタラだが、この4作品の出来、不出来を考えると、「当たり」もありそうな気がする。ほかの作品も読んでみよう。
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