紙の本の良いところというべきか、悪いところというべきか、どこを読んでいるかがわかっているから、残りのページの厚さが薄くなるに従い、辛くなるということ。電子本だと、ページ数や、どこら辺を読んでいるかのメータのようなものがでるから、同じように思えるのだが、面白い物語の残りのページの厚みが段々減ってゆく辛さは、紙の本だけで感じる。
「旅へ」はガク(「カヌー犬・ガク」(97年 小学館文庫))の名前を世間に知らせた野田知佑の青春時代の彷徨を描いた自伝。同じ世代を生きてきたから、うん、うんよくわかる。写真もいい。
放浪することに、ずっと憧れていた。大体のワカモノはだいたいそうなのではないか。一歩踏み出す勇気もないワタシは結局週末にちょっとした「遠出」をするのが精々。幼いときは自転車で、学生時代は電車で、結婚してからは自分の時間がすっかりなくなってしまって、出張先の知らない町を歩き回るくらい。そして、平凡な暮らしにいつもイソイソと戻るのだった。
ケチケチ旅行に憧れ、マイレージを貯めて香港へケチケチ旅行をしたことがある。ネットで探した安宿はエアコンの調整もできない部屋で、ガラガラとうなるエアコンの音がうるさく、寒くて夏だというのに毛布にくるまって寝たし、屋台とコンビニのメシも続くと侘しいだけでちっとも楽しくなくて、帰りの便の機内食の温かさと旨さに泣きそうになった。時間やお金に少し余裕ができた今、飛び出す勇気はまるでなくなって、イジイジと今の暮らしにしがみついている。昔はあんなに憧れた、外国の知らない町での暮らしや無人島暮らしが、ずっと、ずっと遠くなっていることに気付く。どこにも行けない、またどこへも行きたがらない自分が哀しい。
青春を手探りして進むような、「放浪記」(79年 林芙美子 新潮文庫)、「深夜特急」(94年 沢木耕太郎 新潮文庫)、「荒野へ」(07年 ジョン・クラカワ 集英社文庫)と、皆私の愛読書だ。といっても、悲しき団地暮らしだから置いておけるスペースもなき、面白いから読んでみな、とひとにあげては、また読みたくなって、ブックオフで買ってはひとにあげてをくりかえし、結局最近は図書館にお世話になっている。それらも段々読まなくなってきている。放浪もできなくなった、ワタシは何を失ったのだろう。