2018年2月24日土曜日

ロバの耳通信「(r)adius ラディウス」

「(r)adius ラディウス」(17年 カナダ)

キャッチコピーは「半径(r)15メートル以内 全員即死」とある。バタバタと人が死んでゆくのは、M・ナイト・シャマラン監督の「ハプニング」(08年 米)を彷彿させる。気味の悪さがこの映画のウリ。気味の悪い映画は大好きだから、ウキウキ・ワクワク(ちょっと違うか・・)しながら見ていたのだが、途中で頭がついてゆかなくなった。人や動物が白目を剥いて死んでゆく予告編は衝撃的だったんだがなぁ。


人々がバタバタと死んでゆくことを、神による人間の絶対数の管理というとんでもないが、わからないでもない理由をこじ付た「ハプニング」とは違い、「ラディウス」は辻褄を合わせようとあがいて、うまくいってない。

男女ふたりの主人公がそれぞれに記憶障害であった、男がその女と離れた時に男から15メートル以内のイキモノは人であれ鳥であれ皆白目を剥いて死んでしまうとかの本筋のストーリーに加え、女には双子の姉がいたとか、男は実は変質者だったとかの枝葉末節にもこだわり、挙句の果てが、NASAの宇宙船が事故にあって、その影響で特殊な電波を浴びたふたりが「ひも付き」になったとか、気味悪い現象を不条理という言葉で片付けようとあがいたが、NASAのなんとかかんとかの、「結局ソコかよー」と、映画が終わってもなんだか消化不良になってしまった。

まあ、B級ゾンビ映画みたいな気味の悪いシーンが好きな向きには薦めてもいいけど。

2018年2月18日日曜日

ロバの耳通信 花粉の日の「オイアウエ漂流記」「あなたが愛した記憶」「星への旅」

乱読ではあるが好みに合わない本は最初から避けるから、大きな失敗をすることは少ないが、どしても好きな作家で本を選ぶ傾向にある。面白くない本に時間を遣ってしまうとなんだか損をした気がするから。で、花粉が飛び出して出かけたくない今週のために荻原浩、誉田哲也、吉村昭を選んだ。

「オイアウエ漂流記」(02年 荻原浩 新潮文庫)

若年性アルツハイマーを扱い渡辺謙主演で映画化された「明日の記憶」(07年 光文社文庫)、クレーマー対策室に左遷された会社員の物語「神様からひと言」(05年 光文社文庫)、ほんわか家族を描いた「愛しの座敷わらし」(11年 朝日文庫)など、いつも違う切り口で「本を読む喜び」を感じさせてくれた荻原だから、普段はあまり読むこともないユーモア小説らしかったが、大好きな「無人島サバイバル」を題材としていたので読んでみた。登場人物の多彩なキャラや、コミックのようなストーリー展開が面白かった。なにより、「サバイバル」について、まあそんな機会もないだろうが風雨のしのぎ方やら椰子の実の汁を飲む方法とか、使えそうで面白かった。

「あなたが愛した記憶」(15年 誉田哲也 集英社文庫)

警察小説第一人者の本田(姫川玲子シリーズ「ストロベリーナイト」(08年 光文社文庫)ほか)だが、この「あなたが愛した記憶」を読むと、ホラー作家としても一流であると強く感じる。興信所を営む男が殺人罪で逮捕され、弁護人から真実を明かせと詰め寄られるシーンから始まる。映画だと〇年前と字幕が入るように時間がさかのぼり、男が男の実の娘だと称する女子高生から人探しの仕事を受けるところから謎解き。
親の遺伝子がそのまま子供に伝わり、性格や好みなどの先天的なものだけでなく、体験や記憶などの後天的なものも引き継がれるため、男が悪の種子ともいえる1歳児を殺すーという結末は最後近くまで明かされない。シナリオの展開が面白いから、これは映画になってるなと思っていたら、まだのようだ、多分。連続殺人とか、両手の親指を切断とか血生臭いところがたくさんあるから、韓国映画に合うか、な。

「星への旅」(73年 吉村昭 新潮文庫)

短編集。表題になっている「星への旅」は太宰治賞を獲っているということで期待をしていたが、吉村らしくない気がした。発表が65年(「展望」)だから、初期の作品か。偏った私見ではあるが、語り手が定まらず登場人物の特徴付けも十分ではなく、ほかの5作も得るところがなく期待外れであった。記録文学の雄とされる吉村作品では「ふぉん・しいほるとの娘」(93年)やら「破船」(85年)、「破獄」(86年)、「仮釈放」(91年 以上 いずれも新潮文庫)など、「どれも」緻密かつ骨太の文章がワタシを決して欲求不満にさせることはなかったのに。ちと、残念。

2018年2月11日日曜日

ロバの耳通信「からだのままに」「100回泣くこと」

「からだのままに」(10年 南木佳士 文春文庫)

50代に書いたらしいこの作品だが、悟りを得た老師のような趣きがある。医者として多くの死に立ち会い、自らもパニック障害やら肺ガンや諸病を患ったらこうなるのだろうか。文章は衒いがなく優しく染み通ってくる。著作リストをチェックしたが、ほとんど知らない。「阿弥陀堂だより」だけが、映画を見たような覚えがあるくらい。芥川賞ほかいろいろな賞をとっているようだ、読んでみたい。
長野県佐久市在住、総合病院勤務とある。大きな町ではなかった気がする。
かって、新幹線の佐久平駅ができた頃に何度か訪れた。駅前には商店もまばらでお昼を食べる場所もなく、仕事が終わる夕方まですきっ腹を抱えていたのにもかかわらず、帰りの新幹線の車内で買ったぼったくりの弁当がやたら不味かったのを思い出す。佐久平駅前は今は少しは賑やかになっているだろうか。

「100回泣くこと」(07年 中村航 小学館文庫)

裏表紙に島本理生が書いた解説をがひどかった。ここに結末まで示唆してどうするんだ。愛する人との暮らしと別れ、愛する人は末期のガン。ちょっと、安易すぎないか。悲しくないのは、この物語が「つくりごと」だからだろうか、それともつらい悲しいと書きすぎているせいだろうか。カミさんが図書館から借りた本なんだが、なんだか時間を損した気分。導入部の文章の自然さで後まで読み切ったけれど、ワタシを「泣かせる」本ではない。ベストセラーにもなりたくさんの人を号泣させたと書評には書いてあったが。映画化もされアイドルグループのひとりが主人公、悲しく死んでしまう恋人役をいまも活躍のアイドルが演じ話題になったと。うーん、そういうものか、今の時代は。

2018年2月7日水曜日

ロバの耳通信「ダンケルク」

「ダンケルク」(17年 英、仏ほか)

「インセプション」(10年 米)「インターステラー」(14年 米)など、数多くのヒット作の監督を務めたクリストファー・ノーランの監督・脚本・製作ということで期待。テレビCMでチラ見してネット放映を首を長くして待っていたが、失敗。いや映画が失敗というのではない。この映像や音響の迫力は映画館の大画面・大音響で鑑賞すべきだったと大いに反省。

DVDなどない昔と違い、今や映画は封切り時に映画館で楽しむしかない。ほんの、30年ほど前は、封切り館だけでなく名画座とかもあって、2、3年待てば、洋画は2本立て、邦画なら3本立てで安く楽しめたものだった。そういえば、週末のフィルムの切り替え時は前週と翌週のプログラムを連続して流す「オールナイト」なんてものもあったし、もちろん「入れ替え」もない時代だったから、夕方に菓子パンと牛乳を買って入り前の座席に足をかけ、時々居眠りしながら朝まで映画を楽しんだものだ。

「ダンケルク」の音楽は大ファンのハンス・ジマー、ラスト近くにこれも大ファンのトム・ハーディを見つけて見知らぬところで旧友に出会ったように嬉しかった。トム・ハーディが英仏軍の撤退を支援するスピットファイアのパイロットという結構いい役をやっていたのだが飛行服とゴーグルで彼だとわからなかったようだ。英国の名だたる俳優たちの見せ場をあちこち作ったせいで、映画がオムニバス風に散漫になっていたのは残念。まあ、いい映画だったよ。

2018年2月2日金曜日

ロバの耳通信「相聞」

「相聞」(17年 中島みゆき)

倉本聰脚本のテレビドラマの主題歌を、どこかでちらっと聞いてこの42枚目のアルバムが出るのを待っていた。主題歌「慕情」、挿入歌「人生の素人」は、いつもの中島(みゆきと名前を呼び捨てにするほど、ワタシには軽くない、青春からずっと中島の歌を高い位置の恋人にしていたのだから)らしい旋律と歌詞が良かった。「いつもの」だけど今回も新鮮。昔の中島のように、思いつめて、恨んで、身を焦がして・・のような歌は最近は少なくて、大人の歌が増えたかな。こう一歩引いて離れて見つめるように、それでもやっぱり恋しいと歌っている。

アルバム名の相聞(そうもん)は、万葉集の相聞歌(恋歌)からとったと。いつものように染み入る歌が多いが、いつものように今回も、切り口を変えた一曲「ねこちぐら」も。初めてこの言葉を知ったが、藁とかで編んだ猫の家のようなものらしい。うーん、いいね、ねこちぐらで暮らすとか。