2018年6月23日土曜日

ロバの耳通信「レイルウエイ 運命の旅路」

「レイルウェイ 運命の旅路」(13年 豪・英)

主人公役のコリン・ファース(「英国王のスピーチ」(10年 英)でアカデミー主演男優賞受賞、最新作なら「キングスマン: ゴールデン・サークル」、とニコール・キッドマン(個人的には「コールド マウンテン」(03年 米)がベスト)が列車の中で出合うシーンが良かった。撮影時のニコールは45-6歳くらいなのだが、実にシットリした英国女性を演じていて、胸がときめいた。うん、英国女性が実際にどうかというのは全く知らないが、ニコールはよかった。

wikiには”第二次世界大戦中、タイとビルマ間を往来する泰緬鉄道の建設に捕虜として従事させられたイギリス人将校と当時施設にいた日本人通訳・永瀬隆の姿を描く「事実に基づく映画」”とあり、虐待やら拷問やら、英国側の視点で描かれた、結構「重い」映画。コリン・ファースの戦友役に、大ファンのスウェーデン俳優のステラン・スカルスガルド(「レッド・オクトーバーを追え!」(90年 米)のツポレフ艦長は実にハマってた)が出ていたばかりでなく、これも大ファンの真田広之が出ていて楽しめた。
英軍捕虜を虐待する日本の下士官役にオーストラリアを拠点に活躍(しているらしい)の泉原豊という日本人の俳優が存在感のある演技をしているのだが、キツネ眼のステレオタイプの日本人役。英米人から見るとこういうのが日本人なのだろう。

2018年6月17日日曜日

ロバの耳通信「フューチャーワールド」

「フューチャーワールド」(18年 米)

どういう仕組みになっているかはわからないが、アメリカで公開された映画はよほどのヒット作でもなければ、最短で凡そ1か月後にはネット動画で見ることができる。映画会社もヒット作じゃなければ、こまめに削除とかしないのだろうか。

先に試写会などで見たひとの批評は「MAD MAX」シリーズ(97年~ 豪)ほどではなかったが、マアマア良かったとあったのでそれを信じて動画を見たが、B級にも劣るものだった。
ジェームス・ブランコ監督・主演と言われてもね。「エイリアン・コベナント」(17年 米:ショートカットのオネエチャン「だけ」が良かった)くらいしか知らない。
あのミラ・ジョボビッチにしたって後半にキャラ不明の役で存在感もなく、こんな映画に出るなんておまえもここまで落ちたか。ポスターに堂々と写真入りのルーシー・リューだってオアシスの王女役とか言っても、病気のバーチャン役でせりふもほとんどないチョイ役だもの。だいたい、出ずっぱりの主人公オアシスの王子役ジェフリー・ウォールバーグとか、ヒロインにも相当するアンドロイド役のスキ・ウォーターハウスがポスターに顔も出てないなんてオカシイだろう。確かにふたりともダイコンだけど、ダイコンは主人公にしないでほしい。
比べられた「MAD MAX」が可哀そうだ。こういう世紀末ストーリーは好きだけど、訴えるものがないとね。「フューチャーワールド」なんて、ナカミなーんもないのよ。途中で紹介される歓楽街のトップレスバーのシーンばかりが長くて、そりゃキレイなオネーサンは好きだけどチョイ役の同じようなのがゾロゾロでてくるばかりじゃ飽きるよ。これから日本公開らしいけど、ゼッタイ、薦めない(キッパリ)。

2018年6月14日木曜日

ロバの耳通信「キュア」「冷たい夏、熱い夏」

「キュア」(10年 田口ランディ 朝日文庫)

「癌は呪いだ」と、医者の言うことよりずっと説得力があった。持病のせいで普段から医者との付き合いもあるし、多くの情報にも触れていて「肝心なところでは全くアテにならない医者の言うこと」に辟易しているからか、田口がシャーマンのケのある主人公の斐川医師の口を通して言う、ガンについての説明は何より丁寧でよくわかった。医者による治療(ケア)が経済の上に成り立っていて、救い(キュア)は自らの節制にしか見いだせない(というようなこと)も自分なりに理解できた。世の中の半分のひとがガンで死ぬというし、たぶんワタシや家族もガンで死ぬだろう。そんなことを思って、ガンがすごく怖い時期があった。

数年前に若くて有名な歌舞伎役者の妻が亡くなったということがあった。とてもきれいな人で、幼い子供もいるとのことだったので、段々弱ってゆく姿をテレビで見るたびに気の毒な気がした。大きな病院で著名な医師にかかったり、いくつかの民間療法にもチャレンジしていたと、週刊誌の記事も見ていたが結局亡くなった。そのとき、ああ、こんなにお金持ちで、有名人でも死んでしまうんだと妙な気持がした。若かったから、ガンの進行が早かったとか、医者に相談するタイミングが遅かったとか、色々な理由もあったのだろうが、ワタシが強く感じたのは、ガンって公平だなと。つまり大金持ちでも超有名人でも、そうでない人もガンからは逃れられないのだと。じゃあ、そう怖がってもしょうがないのかと。

「キュア」の中でも精進したり、信心をしていても結局は死ぬ、まさに呪いだ。砂糖の摂取がよくないとか、玄米食が良いとか色々な知見も紹介されるが呪いからは逃げられないようだ。

倫理学者の竹内誠一が解説を書いていて田口の勉強熱心を誉め、その中に田口が自分の父親のガンの発見から看取りまでやったと。また、巻末の参考文献の層の厚さにも田口がこの作品にどれだけ力を入れたかがよくわかる。ただ、田口は何を言いたくてこの作品を書いたのだろう。

「冷たい夏、熱い夏」(90年 吉村昭 新潮文庫)

田口ランディの「癌は呪いだ」に説得されてしまい、メゲてしまったが、記録文学の吉村が「記録」したこの小説は弟が肺癌で苦しみながら死んでゆく姿を冷徹に残酷なまま描いている。弟は最後まで苦しみ抜いて、死ぬ。痛い、痛いと叫びながら。死に方に楽もないのだろうが、こういうのはイヤだな。
たまたま、体調が悪いときにこの小説を開いていたら、そういう暗いの読んでると”うつる”からヤメロとカミさんに窘(たしな)められた。”深淵をのぞく時、深淵もまたお前をのぞいているのだ”(ニーチェ)ということか。

2018年6月10日日曜日

ロバの耳通信「神の火」

「神の火」(高村薫 95年 新潮文庫)

高村薫を初めて読んだのが「李歐」(99年 講談社文庫)。男らしい(後で、女性の作家と知る)硬い文章のハードボイルドが気に入ってその後いくつかチャレンジしたのだが、読み出しの数ページで挫折し、最後まで「なんとか読んだ」のは直木賞をもらった「マークスの山」(11年 新潮文庫)くらいか。

「神の火」も、出だしのとっつきにくさで挫折しそうになったが、裏表紙に原発テロを主題としているとあったのでかなり我慢して読み進めるうちに、主人公の元原子力技術者がロシアのスリーパーという設定が面白く、どんどん嵌っていった。下巻の半分を過ぎた頃からは、公安やCIAとの駆け引きや、時系列に進む原発テロが「怒涛の如き」展開でラストまで一気に突っ走れた。

スパイミステリーは本も多く、元外交官の佐藤優著作を読むことで想像がつくし、本当のところは知りようがないからどうとも書けるのだろうが、原子炉の構造設計やら原子力発電設備のディテールやらは、どうやってこんなに細かなところまで書けるのだろうか。判断はつかないが、実にそれらしく真に迫ってくるのは著者の努力によるものではないか。

昔この分野で仕事をしたこともある元技術者の私も脱帽。

高村薫の再チャレンジを決意。

2018年6月4日月曜日

ロバの耳通信「メイズ・ランナー:最後の迷宮」

「メイズ・ランナー:最後の迷宮」(18年 米)


「メイズ・ランナー」(14年)、「メイズ・ランナー: 砂漠の迷宮」(15年)と続いてきた3部作の最終作が終わった。3部作を比べてみると、初作は、突拍子もない設定にこれはどうなるんだとワクワクドキドキ、ミステリー映画の導入部のようでに手探りで楽しむ感じが良かった。当時は最先端だったと思うコンピュータ・グラフィックがめっちゃキレイ。2作はもはや最初の大きな壁(迷路)を抜け出しという最大の山場を過ぎているから、砂漠の放浪はやや退屈。3作は、伝染病の治療のために誘拐された友人の救出と新しい世界に向けての旅立ちというスジで、シリーズのなかでコレが一番面白かった。
主人公が亡くなりそうになり、まあ、結局は助かるだろうなという期待通りでドキドキしながらも安心して見られた。若者たちが仲間を引き連れて冒険の旅に出て、力を合わせてボスキャラを倒して満足感を得るというのは、昔はやったテレビゲームの「ドラゴンクエスト」(86年~)とか、チャットしながらネットの中で戦うオンライン・ゲーム例えばC.O.D(コール・オブ・デューティー)と同じ感覚か。

「メイズ・ランナー:最後の迷宮」のラストシーンは主人公が自分の血から作られた伝染病の血清を見つめる思わせぶりな印象で終わっているから、原作を飛び出した4作以降が作られるのかもしれない。

延々と続いたテレビシリーズ「ウォーキング・デッド」(10年~米)はシリーズ8で宿敵を倒し、終わったように見えるが、ヒット作の味をしめたディレクターがシリーズ9に行くのかな。惰性で見続けてきたが、裏切りの繰り返しで本当のところ辟易していたのだよワタシは。

2018年6月1日金曜日

ロバの耳通信「追憶」「思いわずらうことなく愉しく生きよ」

「追憶」(17年 邦画)

不幸な育ちの3人の幼友達が、刑事、被害者、容疑者(岡田准一、柄本佑、小栗旬)として邂逅する。青島武のオリジナル脚本だという。そうか、脚本先にありきのせいだったのか、原作のないストーリー展開のあちこちの綻びが気になった。主人公は刑事役の岡田なのだが、その心情を描きだすサブストーリーに、岡田の妻役で流産の罪悪感を引きずる長澤まさみ、岡田の母役でアルコール中毒のりりィ、幼い3人の世話をした喫茶店の女主人の安藤サクラなどなど、多くの芸達者に役を持たせたために、饒舌な脚本になったのかもしれない。ただ、監督降旗康男、撮影大村大作、音楽千住明というこれ以上ない組み合わせのおかげで、いい作品に仕上がっている。

題の「追憶」は恋愛映画「追憶」(73年 米)やバーブラ・ストライサンドの歌を思い出してしまう。なんだ甘すぎるようで、そぐわない。やはり「記憶」のほうがいいような気がする。抒情に走りすぎ「ゆきわり草」(3人が育った喫茶店の名前)にしなかったのはいいと思うが。

不幸な育ちの3人が成長して犯罪に絡むというストーリーはいかにも韓国映画にありそうで、韓国映画なら主人公に思い切りスポットを当てニヒルな辣腕刑事、幼友達は極悪犯罪人という設定か。陰湿で暗めのクライム作品にしてくれそうな気がする。もちろん、邦画のハッピーエンドはナシだ。

「追憶」の3人の子役たちの演技が良かったよかったので、この映画を見る少し前に読んでいた本の3人姉妹の物語のつまらなかったことを思い出してしまった。

「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(07年 江國香織 光文社文庫)。3人姉妹をステレオタイプに描きすぎたために、どの女性にも魅力や共感を覚えず、読み進めるうちに情景や時間の流れまでもが曖昧になり、半分も行かず投げ出してしまった。カミさんに言わせれば「女の」流行作家なんてそんなもの。男の感覚では受け入れられないのでは、と。うん、そういう十把一絡げで説明されると納得しにくいが、当たっているかもしれない。しばらくは江國を遠ざけるだろう。

人は皆違うけれど、人は皆似ている。ソレを書いてほしいと思う。

「細雪」(55年 谷崎潤一郎 新潮文庫)は4人姉妹の物語だが、こちらも性格の異なる4人がそれぞれに魅力的に描かれ、多感な学生時代によくあんな長い本を読んだものだと。最初に読んだのは「谷崎潤一郎全集」(58年 中央公論社)の函入りだった。学校のある地方都市の大きな書店は、入って右奥に全集モノの棚がありほぼ毎日そこに通い立ち読みしていた記憶があり、そのあと文庫本を持っていた記憶もあるから、谷崎がお気に入りの作家であったに違いない。カミさんに言わせると谷崎の作品は「アヤシイ」と。うん、「春琴抄」「刺青」「卍」などいわゆる耽溺モノで面白かった。だからこそ、毎日の立ち読みを続けられたのだ。