2018年6月14日木曜日

ロバの耳通信「キュア」「冷たい夏、熱い夏」

「キュア」(10年 田口ランディ 朝日文庫)

「癌は呪いだ」と、医者の言うことよりずっと説得力があった。持病のせいで普段から医者との付き合いもあるし、多くの情報にも触れていて「肝心なところでは全くアテにならない医者の言うこと」に辟易しているからか、田口がシャーマンのケのある主人公の斐川医師の口を通して言う、ガンについての説明は何より丁寧でよくわかった。医者による治療(ケア)が経済の上に成り立っていて、救い(キュア)は自らの節制にしか見いだせない(というようなこと)も自分なりに理解できた。世の中の半分のひとがガンで死ぬというし、たぶんワタシや家族もガンで死ぬだろう。そんなことを思って、ガンがすごく怖い時期があった。

数年前に若くて有名な歌舞伎役者の妻が亡くなったということがあった。とてもきれいな人で、幼い子供もいるとのことだったので、段々弱ってゆく姿をテレビで見るたびに気の毒な気がした。大きな病院で著名な医師にかかったり、いくつかの民間療法にもチャレンジしていたと、週刊誌の記事も見ていたが結局亡くなった。そのとき、ああ、こんなにお金持ちで、有名人でも死んでしまうんだと妙な気持がした。若かったから、ガンの進行が早かったとか、医者に相談するタイミングが遅かったとか、色々な理由もあったのだろうが、ワタシが強く感じたのは、ガンって公平だなと。つまり大金持ちでも超有名人でも、そうでない人もガンからは逃れられないのだと。じゃあ、そう怖がってもしょうがないのかと。

「キュア」の中でも精進したり、信心をしていても結局は死ぬ、まさに呪いだ。砂糖の摂取がよくないとか、玄米食が良いとか色々な知見も紹介されるが呪いからは逃げられないようだ。

倫理学者の竹内誠一が解説を書いていて田口の勉強熱心を誉め、その中に田口が自分の父親のガンの発見から看取りまでやったと。また、巻末の参考文献の層の厚さにも田口がこの作品にどれだけ力を入れたかがよくわかる。ただ、田口は何を言いたくてこの作品を書いたのだろう。

「冷たい夏、熱い夏」(90年 吉村昭 新潮文庫)

田口ランディの「癌は呪いだ」に説得されてしまい、メゲてしまったが、記録文学の吉村が「記録」したこの小説は弟が肺癌で苦しみながら死んでゆく姿を冷徹に残酷なまま描いている。弟は最後まで苦しみ抜いて、死ぬ。痛い、痛いと叫びながら。死に方に楽もないのだろうが、こういうのはイヤだな。
たまたま、体調が悪いときにこの小説を開いていたら、そういう暗いの読んでると”うつる”からヤメロとカミさんに窘(たしな)められた。”深淵をのぞく時、深淵もまたお前をのぞいているのだ”(ニーチェ)ということか。

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