2018年11月9日金曜日

ロバの耳通信「老乱」

「老乱」(16年 久坂部羊 朝日新聞出版)

「認知」のジジイとその家族の物語。ジジイと家族の両方の視点でストーリーが進む。最初に読んだカミさんはツケだとジジイに腹を立て、ワタシは壊れてゆくジジイを悲しいと。
ワタシには持病があって、近年は高血圧もある。先は長くないことはわかっているし、これまでの不摂生からよくここまで生きてきたとも思っているから、健康不安も「まあ、何で死んでもまあ、同じ」と開き直り、若いころほど「死ぬこと」が怖くはなくなっているが、この「認知」は怖い。自分がわからなくなってしまい、家族に大迷惑をかけるのが怖い。

この物語は、散々家族に迷惑をかけたジジイがまだらボケのまま静かに死ぬという「ハッピーエンド」で終わる。ジジイ本人も、厄介もののジジイがいなくなった家族もハッピー。ちょっと、キレイすぎていないか。

すべての人が「認知」になるわけでもないらしい。生まれつきの障害があったり、ガンや難病になったり、早死にしたり、長生きしたりは先祖も含め、誰かの不始末のツケなのだろうか。サイコロを振って、ソレを決めているのは誰なのだろう。

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