2019年4月30日火曜日

ロバの耳通信「散り椿」「白河夜船」

「散り椿」(18年 邦画)

出だしの雪の中の殺陣がいい。セットじゃなくすべてロケーションだという撮影(木村大作、監督も)は、どのシーンをとっても絵になっている。雪景色、雨の竹林、雪を冠した遠景の山と川のある風景、城の石垣などなど、どれをとっても日本の原風景。カメラワークの素晴らしさをさらに情緒豊かにしたのが音楽(加古隆、ピアノ演奏も)。配役では主役の岡田准一だけでなく、その妻を演じた麻生久美子の儚さがいい。<うん、この役だけは松たか子にやってほしかった> ほかの作品ではパッとしないことが多かった黒木華もこの作品では光っていた。
同名の原作は葉室麟(角川文庫版)。謀略のため国を追われた武士が友を助けるために戻るという、葉室得意の武士道物語を、原作を良く読み込んだ優れた脚本(小泉 堯史(こいずみ たかし)「雨あがる」(00年)、「阿弥陀堂だより」(02年)の監督)が感情を抑え、優れた作品に仕上げている。泣かせ、涙を強制させるような時代劇が多い中で、異色ともいえる。

映画は総合技術だと思っている。原作、監督、脚本、音楽、配役のどれが欠けてもつまらない。このところいい邦画作品にめぐり会えず鬱々としていたが、平成最後の日にいい作品に出合えた。雨の降る寒い日だったか落ち着いて見れて良かった。いつか、また見たい。
<ここまで書いて、気付いた。昔は古い名作を見れる映画館があって、ソコでは3本立てとか、週末には入れ替えなしで女優△△シリーズ、オールナイトとかを見れたのに。近年は、封切りを見逃すと、DVDかネットレンタルでしか見れなくなった。ワタシは大画面で暗い映画館でスルメを齧りながら映画を見ることが好きなのだ。残念。>

「白河夜船」(15年 邦画)

よしもとばななの原作ということで期待だけ先走ったのがマズかったか。安藤サクラの寝姿や下着姿は見飽きた。サクラが好きなヒトには堪らないのだろうが、映像の美しさだけならスチールのほうがずっと良いことのほうが多い。
生活感は求めていないが、退屈感はどうにもならず。原作を先に読めばよかったのだろうか。そうすればすこしはサクラ演じる寺子を、あるいは寺子の恋人や寺子の友人の気持ちでこの映画をより理解できるようになるのだろうか。もともと登場人物が少ない映画ではあるが、主演のサクラを置いておいても、ほかの役者の存在感のなさ。サクラだけでいいのならいっそ、モノローグにしても良かったか。
セリフと効果音や挿入音楽のバランスもゼンゼン(良くないとは書けないから、好きになれなかったと)。監督・脚本は写真家として有名なヒトらしい。写真家の感性だけでなく、どういう映画にしたかったのだろうか、聞いてみたい気がする。

2019年4月21日日曜日

ロバの耳通信「ザ・テキサス・レンジャーズ」「ゾンビランド」

「ザ・テキサス・レンジャーズ」(19年 米)

Netflixの新作。原題はThe Highwaymen。(ウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェイの「俺たちに明日はない」(67年 米)でメッタ撃ちされる)銀行強盗ボニーとクライドを追いつめた、ふたりの交通警察官テキサス・レンジャーズの物語。一度は引退したものの、暴れ回るボニーとクライドに手を焼いたテキサス州知事(憎まれ婆さんキャシー・ベイツ)に要請されたふたりの元テキサス・レンジャーズ隊長役のケヴィン・コスナーと副長役ウディ・ハレルソン(リンドン・B・ジョンソンを演じた「LBJ ケネディの意志を継いだ男」(16年 米)を勧める)の粘り強い捜査活動を描いている。ふたりの個性がしっかり描かれていていて退屈させない。
ラストは「俺たちに明日はない」とは異なり「メッタ撃ち」だけに終わらない。いい映画だったと思わずため息をつく。これだけの制作陣・配役を揃えられるのはすごい。Netflixがメジャーを超えたと思った瞬間。
監督は「パーフェクト ワールド」(93年 米)の脚本を書いたジョン・リー・ハンコック。
似た名前「テキサス・レンジャーズ」(01年 米)があるが、こちらは全く別物。

ゾンビランド」(09年 米)

ここまで書いてきて、トツゼン思い出した、ウディ・ハレルソンを語るにはこれをヌキでは語れないゾンビランド」
ゾンビに席巻されたアメリカ北部でウディ・ハレルソン紛する磊落なゾンビ始末人タラハシーが、ヒキコ青年コロンブス、ウィチタとリトル・ロックと名乗る詐欺師姉妹の4人で、ゾンビがいないとされれるロサンゼルス郊外にある遊園地パシフィック・プレイランドを目指すという物語。
廃墟となったスーパーでゾンビと闘ったり(このシーンが好き)、コンビニに寄って好き放題したり、ビバリーヒルの有名ロックスターの留守宅で暴れまわったりで、これぞアメリカというところをたっぷり見せてくれるのがアメリカかぶれにいい。大好きなウディ・ハレルソンのタラシーが活躍する「ゾンビランド2」が近く公開とのことで、めっちゃ楽しみ。


2019年4月15日月曜日

ロバの耳通信「FOR RENTー空室ありー」「霞町物語」

「FOR RENTー空室ありー」(12年 森谷明子 幻冬舎文庫)

表紙のデザインは好きだ。題もいい。少年の肩についていた痣の謎解きから始まる、いい出だし。ただ連作の形を意識しすぎたせいか、各話の視点がコロコロ変わる。登場人物の数は多くはないのに、セリフに年齢差も男女差もないためこれって誰が誰と話してるのかとか、混乱する。ヒトの名前を憶えるのが不得意なワタシは、よくメモ用紙に登場人物の名前と関係などの図を書いて整理しながら読み解いていったのだが、これに時代が加わるから年表まで必要となった。
複雑な家庭環境とそのために起きた悲劇を解き明かすというスジなのだが、読者にソレを解かせるのでなく、登場人物たちがとんでもないくらい冴えた推理力で解き明かすという形をとっている。だから解説ばかりになっていてダレる。ダレてくクドクなっているから最後に明かされるナゾの部分に感動がこない。作られすぎた感動物語を細かに説明されても共感できないのだ。
映画にしたらいいと思う、ただし練り直した脚本付きで。初めての森谷明子のこの作品だけで何かを言うのはイケナイとは思うが、ミステリー作家には向いてない。読者は真実に自分で近づく快感や、騙されて悔しがることを望んでいるのだ。最初からイカサマの手口を丁寧に説明しながら見せてくれる手品師を面白いとは思わない。

「霞町物語」(00年 浅田次郎 講談社文庫)

写真屋の息子が高校の友人たち、家族そして恋の思い出を語る。8編の連作はそのひとつひとつが珠玉である。作者とほぼ同じ頃の青春を送ったワタシには、すべてが自分の思い出とつながり、甘酸っぱい。深窓の令嬢との恋物語もなかなか良かったが、元芸者の祖母、頑固一徹の祖父を語る浅田が彼らを惜しむ思いがワタシにも伝わってきて涙を堪えて読んだ。裏表紙の解説には、著者が初めて書いた自身の思い出だと。
一度しか読まないのはもったいない気がする、そんなお気に入りの本になった。

2019年4月9日火曜日

ロバの耳通信「トリプルフロンティア」

「トリプルフロンティア」(19年 米)

Triple Frontier はアルゼンチンとブラジルとパラグアイが接するエリア。この映画の舞台となったところ。
引退して食い詰めていた元特殊部隊のスペシャリスト5人が、南米の麻薬王の金を狙って再結成。リーダー役のベン・アフレックほか芸達者を揃えたから、武器の入手と周到な計画に期待は高まる。ジャングル戦かドンパチで金を奪って脱出か、まあありそうなスジだなと思っていたらとんでもない結末に。
ストーリーが進むにつれて、元戦友と言いつつ退役後田舎でバラバラな暮らしで糊口をしのいで男たちのキモチのギクシャク差が伝わってきて、あ、これはイケナイかなと半分楽しい予感。とはいえ、ベン・アフレックをいいポジションに据えているから、まあ最後はハッピーエンドかなとも。
麻薬王の自宅でとてつもない現金を見つけた時から、またまた彼らが「それぞれに」狂い始める。とにかく、彼らの現金への執着がすごい。まあ、なんとなくわかるけど。抱えきれないほどあるから、袋に詰めるのも大変、車も一台じゃ足りない、重すぎてヘリコプターの高度が上がらず山越えできない。途中で投げ捨てたがそれでもヘリコは墜落。あっと驚きは、後半でいつものマジメな顔したベン・アフレックも死んでしまったこと。焚きつけにしたり、ロバで運んだり、持てない金を谷に隠し、残った金は死んだ仲間の遺族に。結局、もとの無一文。
現金を手に入れる前の緊張感が後半の撤収劇にはすっかり薄れてしまい、面白いはずの「ジェットコースターの下り」が退屈でつまらないものに。
やることなすことチグハグになってしまった金に憑かれた男たちの物語は、哀しすぎてコミカルでもある。

この映画、wikiによれば、映画化スタート(10年)以降、監督も交代しジェフリー・C・チャンダー(「マージン・コール」(11年 米)ほか)に。出演もトム・ハンクス、ジョニー・ディップ、チャニング・テイタムとトム・ハーディ、マーク・ウォールバーグほかのキャスティングが変更になったと。脚本(ジェフリー・C・チャンダー)がちょっとね、3月に米で公開されたばかりだけど、当たらないと思う。

2019年4月7日日曜日

ロバの耳通信「せつない話」「不貞」「太陽の賛歌」「反抗の論理」「異邦人」

「せつない話」(93年 山田詠美編 光文社文庫)には15の国内外の名作短中編が収められている。就寝前とか空き時間にちょっと読むために図書館から借りてきていて、目次も見ずに拾い読みをしていたら、第10編にドキっとするほどの感動があった。通りすがりの街で、ずっと会っていなかった親しい友人に偶然出会った感じ。それが「不貞」(アルベール・カミュ 窪田啓作訳)。半世紀近く前のことだから、スジも何も思い出せなかったのだが、句読点の多い、懐かしの窪田啓作の文章の中に確かにワタシの青春時代を鮮明に思い出したのだ。

まだ10代だったと思う。当時付き合いだした読書オタクの女友達から”シュジュフォスの神話を知っているか”と聞かれ、何のことかと聞いたらカミユの本に書いてある物語で、神の怒りをかった男が岩を背負い山に登り、山頂についたらその岩が麓まで落ち、また背負って登ることを繰り返させられるという罰を受けたという話。つまりは苦労が報われないことらしかったのだが、シュジュフォス(後でわかったことだが、シシュポスだった)の神話もカミュも初めての言葉。当時はネットもなく、調べようもなかったためにいつものように、大きな書店でカミュを探し、シシュポスの神話も調べたと思う。ここらへん曖昧なのは、シシュポスの神話を例えにそのコがワタシに伝えたかった事、たぶん”アンタは何もわかってない”みたいなことはどうでも良くなって、その時に初めて手に取ったカミュの本にまいってしまったからである。

新潮社のハードカバーだったと思う。結局何回もその書店に通い、立ち読みでそのシリーズ数冊を読み終え、それでも手許においてまた読みたくて、結局古本屋で手に入れた。しばらくは持っていたのだが、就職やら引っ越しで失くしてしまった。ああ、そうして何冊の愛読書と別れたことか。ずっとあとになって、文庫版でまた揃えることができた時は嬉しくて、いつも持ち歩いていたものだ。
カミュの本は、ちょっと世間ずれした印象がありヒトに自慢するような本でもなくて、そう、隠れキリシタンの気分。銀色の表紙にALBERT CAMUSのロゴの装丁の新潮文庫シリーズで何冊かあったのだが、特にお気に入りが「太陽の讃歌―カミュの手帖1」「反抗の論理―カミュの手帖2」  (74、75年  高畠 正明訳)、「異邦人」54年 窪田啓作訳)。そう、ワタシはその時以来しばらくはカミュにかぶれ、マストロヤンニが主役の映画「異邦人」(67年 伊)も「何度」か見たのだ。



2019年4月4日木曜日

ロバの耳通信「1922」「セル」

「1922」(17年 米)

あまりに暗い映画なので、途中でwikiを見たら、スティーヴン・キングの原作だと。「Full Dark,No Stars」(10年)というスティーブン・キングの原作の中の短編「1922」(13年 文春文庫)の映画化。Full Dark,No Starsは、真っ暗闇で星も出てないーという意味か。この映画も最初からおしまいまで真っ暗。

農場を売って街に住みたいという妻を殺す、それも息子に手伝わせて。続く不幸に息子も農場も家も失った男の「誰も運命からは逃げられない」のモノローグで終わる映画。男は、自らに巣食うもう一人の悪なる自分に誘導されてしまったと。その悪なる自分のせいですべての選択が全部裏目に出てしまうなんて、キングらしいというべきか。

映画はファーストシーンから、おいおいこれはと期待させるものがある。明るく幸せいっぱいへの期待もいいが、笑顔の向こうにジワジワと染み出す黒いシミを感じさせられるのも捨てがたい。この映画もそういう映画だ。他人の不幸は蜜の味と言う。その不幸が自分に来ない限り、それは娯楽でさえあるのだ。

自殺される妻役のモリー・パーカーが、夫婦の土地の大半を、自分が嫁に来た時に親にもらったものだからアンタ(夫)の好きにはさせないと凄む。農夫の妻の役なのに妙に色っぽくて、夫も息子も自分の意のままに繰ろうとするところが、怖い。それが、ネズミに齧られた顔を晒して、やっぱりネズミに食い荒らされた息子と夜中に出てくるのも怖い。1922年の恐慌の年のアメリカの田舎。果てしないコーン畑の向こうに怖いものを見た。


「セル」(16年 米)

原作者のスティーヴン・キングが脚本も担当し、主演はジョン・キューザックだというから期待して見たのだが、これは酷かった。原作と脚本が酷いのか、製作総指揮も兼任したキューザックが悪いのか。携帯電話のせいでゾンビ化した人々が、人間を襲う。主人公ジョンは別れた妻と息子の行方を必死で探す。それはわかるが、地下鉄運転手役サミュエル・L・ジャクソンの同行が意味不明。キングだから、多少おかしな筋立てでも驚きはしないが、携帯電話が何を悪さするのかとか、ゾンビたちが集団化するワケとか、キーとなる赤いマントの男は誰かとか、携帯電話のアンテナの役割とか、自爆した主人公とその息子がカナダへの道を歩いているのはなぜかとか、なにひとつそれらしい説明もない。もっとなんとかならなかったかと。そりゃ、「ウォーキングデッド」(ゲーム、テレビドラマ)とか近年はゾンビ流行(はや)りだけど、ちょっと安易に流れすぎ。
ほぼ同じ題名なのだが、小児精神科医のジェニファ・ロペスが昏睡状態の少年の脳に入り込んで治療を試みる「ザ・セル」(00年 米)のほうがゼンゼン良かった。