「せつない話」(93年 山田詠美編 光文社文庫)には15の国内外の名作短中編が収められている。就寝前とか空き時間にちょっと読むために図書館から借りてきていて、目次も見ずに拾い読みをしていたら、第10編にドキっとするほどの感動があった。通りすがりの街で、ずっと会っていなかった親しい友人に偶然出会った感じ。それが「不貞」(アルベール・カミュ 窪田啓作訳)。半世紀近く前のことだから、スジも何も思い出せなかったのだが、句読点の多い、懐かしの窪田啓作の文章の中に確かにワタシの青春時代を鮮明に思い出したのだ。
まだ10代だったと思う。当時付き合いだした読書オタクの女友達から”シュジュフォスの神話を知っているか”と聞かれ、何のことかと聞いたらカミユの本に書いてある物語で、神の怒りをかった男が岩を背負い山に登り、山頂についたらその岩が麓まで落ち、また背負って登ることを繰り返させられるという罰を受けたという話。つまりは苦労が報われないことらしかったのだが、シュジュフォス(後でわかったことだが、シシュポスだった)の神話もカミュも初めての言葉。当時はネットもなく、調べようもなかったためにいつものように、大きな書店でカミュを探し、シシュポスの神話も調べたと思う。ここらへん曖昧なのは、シシュポスの神話を例えにそのコがワタシに伝えたかった事、たぶん”アンタは何もわかってない”みたいなことはどうでも良くなって、その時に初めて手に取ったカミュの本にまいってしまったからである。
新潮社のハードカバーだったと思う。結局何回もその書店に通い、立ち読みでそのシリーズ数冊を読み終え、それでも手許においてまた読みたくて、結局古本屋で手に入れた。しばらくは持っていたのだが、就職やら引っ越しで失くしてしまった。ああ、そうして何冊の愛読書と別れたことか。ずっとあとになって、文庫版でまた揃えることができた時は嬉しくて、いつも持ち歩いていたものだ。
カミュの本は、ちょっと世間ずれした印象がありヒトに自慢するような本でもなくて、そう、隠れキリシタンの気分。銀色の表紙にALBERT CAMUSのロゴの装丁の新潮文庫シリーズで何冊かあったのだが、特にお気に入りが「太陽の讃歌―カミュの手帖1」「反抗の論理―カミュの手帖2」 (74、75年 高畠 正明訳)、「異邦人」54年 窪田啓作訳)。そう、ワタシはその時以来しばらくはカミュにかぶれ、マストロヤンニが主役の映画「異邦人」(67年 伊)も「何度」か見たのだ。
布団の中でカブトムシになっておりぬるぬるした汗をかいて呆然としたことが、何度かある。あれは気持ちの悪いことだ。
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