2019年5月24日金曜日

ロバの耳通信「いじめの鎖」「憑かれし者ども」

「いじめの鎖」(12年 弐籐水流 幻冬舎文庫)

弐籐水流(にとうみずる)は「仮面警官」シリーズ(10年~ 幻冬舎文庫)の著者として有名らしいことを知ったのは、この「いじめの鎖」が、ワタシの相性に合わなかったためどんな作家かとwikiや読書メーターをチェックしていて知った。ワタシは「羹に懲りて膾を吹く」みたいなところがあって、最初に読んだ本との相性が悪いと、その作家の本をなかなか選ばないことが多い。

「いじめの鎖」がワタシの相性に合わないと感じたところは、大好きな警察小説なのに警察署内の不倫をギャグにしてチャカしたり<関係ないところでムリに笑わせないで>、頭の皮を剥いで宅配で送るなんてスプラッタが出てきたり<あまりにもスプラッタ>、昔のイジメの仕返しを題材としている<改題前のタイトルは「怨み返し」>とはいえ、現在と過去が交互に出てきて幼なじみの誰かと誰かが入れ替わったり<三流探偵小説風>、うーん、考えられる限りの複雑怪奇なプロットにしたため、<ありえないだろ、そんなハナシ>なところ。で、羹に懲りてしまった。<読むと意味が分かるが>「いじめの鎖」いいタイトルなのになあ。



「憑かれし者ども」(13年 松本清張 新潮文庫)

若い頃に初めて松本清張の本に出会い、これはイケナイ、憑かれてしまうぞと不安にも似た気持ちになった。禁断の麻薬を知ったときの気持ちはきっと、こうなるんじゃなかろうか。確かに、そのあと未読の作品を探しては、あるいは何度も読んだ作品を繰り返し読んできた。
電車通勤をやめ、ネットの発達で時間を動画サイトの映画に使うようになって読書量も昔に比べ格段に減ったし、松本清張も全集モノを制覇したからあらかた読み終えた気もして、近年はあまり読んでいなかった。

カミさんの買い物に付き合って、ちょっと時間つぶしに立ち寄った本屋の棚に見つけた「憑かれし者ども」。サブタイトルに桐野夏生オリジナルセレクションとある松本の傑作選で、目次をチラ見して巻頭の「発作」を立ち読みしていたら、嵌まってしまった。また「憑かれ」てしまっていた。少なくとも一度は読んだ作品たちなのに、いかん、また捕まってしまったのだ。ほかに読みたい本が山のようにあるのにだ。

「憑かれし者ども」は6編の短編からなる。「発作」は別居の妻への仕送りや浮気性の愛人との費用のために借金を重ねる小心な出版社員の話。「鬼畜」では逃げられた愛人に押し付けられた3人の子供を正妻に疎まれ、針のムシロ状態になって子供を次々に殺す印刷工。などなど共通するのは小心な主人公が、愛欲やら借金に追いつめられ破滅してゆくハナシ。

松本清張にハッピーエンドはない。人の不幸は蜜の味、松本の作品はいつも思いっきり甘い蜜の味。カタストロフィーが待っているとわかっていても蜜を遠ざけることはできない。私の性根は、人の不幸を喜ぶワルらしい。

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