2019年5月4日土曜日

ロバの耳通信「長いお別れ」

「長いお別れ」(18年 中島京子 文春文庫)

本については最後に。以下、全部自分のこと。「死、そしてガンとボケ」

40歳で死ぬからそれまでに好きなことをしろ。嫁さんも紹介する。△△(地名)で郵便局長やってる〇〇さんの娘はどうだ、とか真顔で祖母に言われたのはまだハタチにもなっていなかった時。生まれ育ったところは、モノミに色々な相談をする習慣があり、祖母がワタシの写真を持って懇意にしているモノミのところに行ったらしい。片親を亡くして、淋しかったワタシをとても可愛がってくれていた祖母だったから、信じてしまった。

それまでは漠然と死ぬことが怖かった。思いつめたことがあり、死について考えた時に、死んでしまうと意識がなくなってしまいうのかと、闇の中の落ち込むような気がして「あっち」へは行けなかった。周りにはカミサマやホトケサマを信心している人が多くて、特に祖母はいつもナミアムダブツを唱えている信心深いヒトだったから、天国や地獄などの話を死ぬほど聞かされていたのに、なぜか、死んだら意識がなくなってしまうと、思い込んでいて、ただただ怖かった。

郵便局長の娘を貰うことはなかったが、早い結婚をしたり、当時としては法外な生命保険に入っていたのは、40歳での死を意識していたのだと思う。もしかしたらと思いつつも結婚をしたり、子供を作ったりしたのは、無責任の極みでもあるが40歳で死ぬことはなかった。そのころ考えてた死ぬことの恐ろしさは、自分の意識がどうこうではなく、残った家族の悲しみや暮らしのこと。

50歳になった時救急車のお世話になったが、死ぬことはなかった。救急車に乗ったが受け入れる病院までに時間がかかりかなりヤバいところまでいったが。その時思ったのは、直前まで苦しい思いはしたが、死はカンタンなものだと。その時死んでしまっていたら、かなりの額の生命保険も残せただろうし、いまこんなに色々なことに思い煩うこともないだろうにと、本気で思ったりしている。

いま亡くなるひとの半数はガンだという。

だいぶ前だが有名な歌舞伎役者の若い妻がガンで亡くなったり、ほんのこの間、金メダリストの若いスイマーに白血病が見つかったりで、有名無名とか金持ち貧乏でもなく、公平かどうかはよくわからないまでも、みんないずれは死んでしまうのだし、ガンが自分や家族の間近に迫って来ている気がする。結構、苦しかったり痛かったりするものらしいから、死ぬことよりもガンは怖い。

ガンを含め、色々な病気に色々な治療法も発見されているようだし、まあ、長生き「させられる」方向にあるようだが、もっと怖そうなのはボケか。いやいや待てよ、ボケはなってしまえば本人はわからないだろうから、残された家族に迷惑をかけるのか。結局のところ、ガンもボケも、なにかもう「そんなに長く生きてはいけないよ」という、創造主の意思に反して、ワタシも含め人々が傲慢にも生にしがみついて長く生きしようとしていることへの警告でなのだろう。

痴呆症だと診断された中学の元校長先生の物語「長いお別れ」を読みながら、こんなことを考えていた。
和みや癒しを感じるいい本である。しかし、認知が不治の病であることに変わりはなく、その避け方も、逃げ方も教えてくれるわけではない。あたりまえだが。



1 件のコメント:

  1. ボニー&クライドみたいに駆け抜けることもできたはずなのに、生活の澱が溜まり、どうでもよいことばかりに拘泥する日々は、自分は変えられるのではと考えて連休は終わり。

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