2020年4月26日日曜日

ロバの耳通信「プリデスティネーション」「ハンター」「デッドマン・ダウン」

このところ頑張って映画を提供してくれているGyaoのおかげで新型コロナで出かけられない日が続くも、映画三昧。ずっと無料でお願いします(かなり不安)。

「プリデスティネーション」(14年 豪)

ロバート・ハインライン原作のSF映画。このテのモノではどうしようもないのだが、時標変換キットとかタイムスリップとかをスジの根っこに置くと、場合によっては原作をはみだしても脚本をキチンとしていないと観客は混乱し、不満が残る。
人間は自分が納得できないことを突き付けられると、そこで思考が固まってしまうのだ。パソコンのプログラムに論理の一致しないところがあれば、そこでストップするか演算を延々と繰り返し、ついには発熱して故障してしまうのに似ている。
ハイラインの小説のように時空の旅が普通にできるなら、まずは自分の黒歴史を修正したいと思うが、その結果、今が修正前より良くなるかどうかはなんとも言えない。所詮、今は過去の積み重ねではあるが選択肢は無限にあったに違いないのに。
映画の原題のpredestinationはシソーラスだと「決められた場所」つまりは「運命/宿命」の意味。映画では謎のバーテン、実は時空警察官、さらには爆弾魔の役がイーサン・ホーク。豪女優のサラ・スヌークの役が元は女の男だったりでココも混乱するところだが、サラ・スヌークは目が好きじゃない。

「ハンター」(11年 豪)

ウィレム・デフォーがオーストラリアで幻のタスマニア・タイガーを追う渋いハンター役で好演。タスマニアの大自然を背景にしたサバイバルストーリーと思いきや、前任者が謎の死をとげたり軍事産業がらみで別のハンターに狙われることになったりで、緊迫のミステリーを楽しめた。サム・ニール(トム・クランシー原作の「レッドオクトーバーを追え」(90年 米)ほか多数、実はワルモノーの役が多い)も出ていたがカゲ薄かったかな、まあいつもそうだけど。大好きデフォーの一人勝ち。

「デッドマン・ダウン」(13年 米)

殺し屋役のコリン・ファレルが、向かいのビルに住む顔に傷のある女役のスウェーデン女優ノオミ・ラパスに殺しの現場を見られ女の復讐の手伝いを迫られる。まあ、こういう場合は女も消されて終わりーというのが普通なのだろうが、映画では殺し屋が女と心を通わせるという、より安直なスジ。ノオミが引き攣れのある顔で殺し屋を脅すところなど、完全に殺し屋ファレルを超えている。まあ、ファレルなんて所詮、殺し屋の顔じゃないと思う。殺し屋を雇ったワルのボス役のテレンス・ハワードがいい。口元に浮かぶ微笑みがなんとも冷徹なワルらしく決まってた。


2020年4月25日土曜日

ロバの耳通信「Alice Fredenham/ Claire Forlani ふたりとも大好き」

「Alice Fredenham/ Claire Forlani ふたりとも大好き」

公開オーディション番組<英 Britain's Got Talent、米 America's Got Talent>をYouTubeでよく見ている。とんでもなく歌のうまいのがたくさん出て、素人だからほとんどが誰かのヒット曲のカバーなのだが、オリジナルよりうまかったりして感動することも多い。

いつものように、YouTubeを渡り歩いていたら、なじみの顔を見つけて歌を聞いてみたら

本当にしびれた。私の好きな女優<「ジョー・ブラックをよろしく」(98年 米)でブラピと共演した英女優クレア・フォーラニClaire Forlani>にそっくりだったので勘違いしてしまったのだ。

”自分がどれだけうまいかわかっていない”と辛口 サイモンコーウェルに言わせたのがアリス・フレデンハム Alice Fredenham。恥ずかしそうに歌い始めたのがジャズのスタンダードナンバーの My Funny Valentine もともと好きな曲なのだが、この時は鳥肌が立った。もちろん、泣いた。
結局、最終選考には至らなかったアリスはプロデビューしたもののオリジナル曲に恵まれず、相変わらずカバー暮らしのようだ。歌はいい。マイアルバムを作って、就寝前に楽しんでいる。

新型コロナ肺炎のため、外出自粛中。もし、テレビ、YouTubeなど動画サイトがなかったら、オカシクなっているにちがいない。ワタシは持病持ちのジジイだから、まあいつ死んでも何で死んでもいいとタカ食っていたが、いま、大切なひとたちを失うことを心底怖いと思う。

2020年4月17日金曜日

ロバの耳通信「月光」「境界 横浜中華街・潜伏調査」

「月光」(09年 誉田哲也 徳間文庫)

「ストロベリーナイト」(08年 光文社文庫)、「あなたが愛した記憶」(15年 集英社文庫)と面白さに味をしめ、女子高生の表紙のこの「月光」を借りてきて、雨の日の楽しみにしようと積んでおいて、我慢できずに読みはじめたらこれがなかなか進まない。月刊大衆小説誌の乗り。いや、大衆小説誌でもたまに面白いのもあるから、ちょっと違うかもしれないか。とにかく期待外れ。ピアノ・ソナタ「月光」だと、スカしてるんじゃないよ。なんだか、エロシーンばかりを微に入り細に入りで長くした、ピンク映画の台本じゃないか、これ。ピンク映画で女子高生にピアノ・ソナタ「月光」とか弾かせないでくれよ。
エロシーンをバッサリ切って、音楽教師と女子高生の恋、女子高生に憧れたふたりの男子高校生の想い。事件を追い詰める刑事、週刊誌記者と妹。切り口はたくさんあるのだから、大衆小説への乗りを捨てれば、いい作品になるって。頼むから、書き直してくれないか。いい素材をもったいないって、ピンク映画の台本にするのは。

「境界 横浜中華街・潜伏調査」(15年 本城雅人 講談社文庫)

1981年、中華街で獅子舞の練習に励む3人の中華系高校生が失踪。31年後、失踪していた3人のうちのひとりが死体で発見される、消えた3人の捜査が始まるが、同じタイミングで若い警察職員もいなくなっていたことが明るみに。「境界」は、今と昔、日本と中国、大陸系中国人と台湾人、刑事と外事警察、ベテラン刑事と若い刑事などの「隔たり」を浮きだたせながら時代を超えた謎解きミステリーを楽しんだ。
約30年前の中華街の高校生たちが、懐かしさとともにイキイキと描かれていて、ワタシも遊んだことのある中華街や横浜元町を思い出し、ノスタルジーに浸ることができた。
新聞記者出身だという著者の文章は読みやすく、500ページを飽きさせずラストまで引っ張ってもらったが、ラストの謎解きが意外にあっけなかったかな、と。

2020年4月11日土曜日

ロバの耳通信「透明人間」「ラスト・デイズ・オン・マーズ」

「透明人間」(20年 米・オーストラリア)原題:The Invisible Man

ネタ本は「透明人間」(87年 H・G・ウェルズ)で、私が今までみたどの「透明人間」よりつまらない映画だった。現代風に味付けされ、捻ってストーリーを複雑にした為、ラストのオドロキはあったものの、ああ、そういうスジだったのねと納得を後付けした恰好に。透明人間というアイデアがとんでもないことなんだから、辻褄合わせなんてしようとするから、泥沼に。主演のエリザベス・モスが好みじゃないのもつまらないと感じたところか。こういうキワモノでは主演女優はすごい美人かメッチャ可愛いかにするのが定説じゃないのかなぁ。<あまりにもつまらなかったので、八つ当たり・・>

公開されたばかりの新作だということで期待してたのに。このところ、新作が期待外れというのがパターン化している気がする。

それよりも、コロナウイルス蔓延で、アメリカも映画どころじゃないだろうから、当分面白い映画はむりかなぁ。映画館での鑑賞はとっくにあきらめているけれどもね。

「ラスト・デイズ・オン・マーズ」(13年 英・アイルランド)原題:The Last Days on Mars

2036年火星探索隊があと何日かで地球に帰れるというタイミングで未知の病原体に感染。次から次へと隊員たちがゾンビ化してゆく。火星の基地や宇宙船といった閉鎖空間で隊員たちが追い詰められてゆくところが、切迫感があった。

いままさに、蔓延しているコロナウイルスと100%絵空事のこの映画の未知の病原体と一緒にするのもどうかとも思うが、ジワジワと見えない菌にに迫られてくるところは実感として怖さが伝わってきた。

2020年4月7日火曜日

ロバの耳通信「ミッドウェイ」「ボーダー 二つの世界」

「ミッドウェイ」(19年 米)

新作映画のテレビCMや雑誌の紹介を見るのは楽しい。本作も、結構いい評価が書かれていたので楽しみにしていたのだが。この秋に日本公開だそうだが、直感的にダメだろうね。CGだけじゃお客呼べないし、日本負けちゃうし、豊川悦司、浅野忠信、國村隼のキャスティングじゃね。
なにより辛いのが、この映画、何を伝えたいのかわからないこと。たぶん、情報戦で圧倒的な日本海軍を破ったということを言いたかったのだろうとは思うが、とにかく脚本にメリハリがないからダレた。

同名の映画(76年 米)はアメリカ建国200周年を記念映画でチャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、グレン・フォードvs三船敏郎と、これ以上ないキャスティング。今回、あらためて見て、稚拙な模型による戦闘シーンに笑ってしまったが。CGがない代わりに、モノクロの記録フィルムを挿入するなどで昔、見た時の胸ワクワク感が十分よみがえって、また楽しめた。なにより、豪華配役の迫力ある演技が良かった。

「ボーダー 二つの世界」(18年 スウェーデン)原題:Gräns

映画紹介ではファンタジーとあったが、ちょっと違っていた。
スウェーデンの港で税関職員として働くティーナには、違法物を嗅ぎ分けることができる特殊能力があり、重宝されていた。嗅ぎ分けられるのは未成年が持っていた大量の酒、危険薬物、携帯に隠した児童ポルノのメモリーカードとか。
ティーナの悩みはほかの人たちと容姿がかなり違う、あからさまに言えば「醜い」こと。そのせいで、幼い頃からイジメに遭ったりで、現在も森の一軒家でブリーダの男と、ひとりで暮らすのがイヤというだけで一緒に暮らしている。
この映画のオチは、実はティーナが”トロール”ー北欧にいると言われている伝説の妖精だったということ。妖精というとティンカーベルのような可愛いイメージが先行しているが、”トロール”は、乱暴、醜い、低知能などの悪いイメージが強い。醜いティーナに近づいてきた”虫を食べる男”ヴォーレも実はトロールで、人間の赤ちゃんを攫っては売り飛ばし、自分が生んだ醜いトロールの赤ちゃんを押し付けている。ティーナが男でヴォーレが女だったとか、なんとも、とんでもないストーリーなのだが、”トロール”を、可愛くない子や障がい者に置き換えて考えれば、彼らの孤独と疎外感を身近なものとして重く感じることができる。
ラストシーン。行方をくらましたヴォーレから木箱で送られてきたトロールの赤ちゃんを抱きあげたときのティーナがこの映画で初めて見せた微笑みが、唯一の救い。

原作は「ぼくのエリ 200歳の少女」(08年 スウェーデン)、「モールス」(10年 同)のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト、これらも忘れられない秀作。映画を見なければ、出会えなかった作家だと思う。

2020年4月3日金曜日

ロバの耳通信「ぽっぽや(鉄道員)」「ランボー ラスト・ブラッド」

追悼 志村けん 「ぽっぽや(鉄道員)」(99年 邦画)


健さんも、ヒロスエも、しのぶちゃんも良かったけれど、忘れられないのが志村けん。筑豊から幌舞に移り住んだ炭鉱夫の役。ただの酔っぱらいの役だったけれど、哀しみが刺さってきた。
降ってわいたようなウイルスにやられ、あっという間に亡くなってしまって惜しむ時間もなかった。



「ランボー ラスト・ブラッド」(19年)原題 Rambo: Last Blood

シリーズ第1作(82年)からずっと見てきて、題名からこれが最後かと惜しむ気持ちになりながらも、楽しみにしていた第5作だったのになぁ。

アリゾナの牧場で暮らすランボーが牧場主の孫娘がメキシコで人身売買の組織に捕まったことを知り、奪還を目論むが失敗。組織を牧場に誘いこみ復讐を遂げるが、自らも傷つくという、まあ、いつもの”もう我慢ならん、復讐してやる”という勧善懲悪なのだが、今回は酷すぎ。後半は組織のワルたちを誘い込み、延々と殺戮を繰り返す。こうなるとゾンビを殺しまくるスプラッタ映画と同じで、胸糞が悪くなっただけ。

第1作では権威をかさにきてベトナム帰還兵のランボーをいたぶる保安官や州兵と戦い、第2作(85年)では戦争終了後にも収容されていた戦時捕虜をベトナム軍から救い出し、第3作(88年)では元上官を救助に行ったアフガンでソ連軍と戦い、第4作(08年)では虐待されていた少数民族を救うためにミャンマー軍事政権と戦って、うん、ランボーよく我慢したね、もうキレてもいいぞと一緒に戦ってきたつもりになっていたのに、最後に泥まみれにされた残念な気持ち。スタローン自らの脚本だからしょうがないか。スタローンもただのしわくちゃジジイだし、もう沢山。