表紙を見ただけで、あ、これはいけないと。涙の予感だ。奈良美智のイラストの少女の顔がいままで読んだよしもとの何冊かを思い出し、それだけで泣きそうになった。最後まで読んで、奈良美智の挿絵が映画のエンドロールのように現れ、「名もなく貧しく美しく」(61年 邦画)を見終わって暗い映画館で大泣きしたことまで思い出した。
「アルゼンチンババア」には、どのページにもよしもとの「死の予感」が描かれていて、ミシリミシリと薄氷を踏みながら恐々歩く感じだ。そのくせ、どこも優しかった。映画化(同名 07年 邦画)もされているのだが、配役がイケナかった。映画にしないほうがいい作品もあると思う。哀しくて優しいよしもとの本の思い出をそのままにしておきたくて、映画は半分も見ないうちにやめてしまった。
「五年の梅」(03年 乙川優三郎 新潮文庫)
乙川の作品では先に「椿山」(01年 文春文庫)を読んですっかり惚れ込み、山本周五郎賞を受けたという本作にたどり着いた。
5編の短編を収めた本書では、「五年の梅」が突出してよかったのだが、それでも「椿山」のときの感動はなかった。ほかの4短編も含め、物語はよくできているものの、心情の描写が浅い感じがした。物語のスジや結末を纏めることに作者が急ぎ、乙川が持っている、待つとか過ぎるとかいう忘れられない「間(ま)」の哀しさが描けていない。
時間の流れがいつも平穏や静けさにつながるわけでもないが、良い物語を描こうと急ぎ過ぎた作品に魅力を感じない。特に、「五年の梅」の目の不自由な娘との交流はホッとさせるものもあるが、ここでは急いでハッピーエンドにするより、叶えられない思いを引き摺ったままのほうが良かったかと。作家が頭の中で書いた絵空事で読者の心を掴もうとするならば幸せの共感より、哀しさの深みのほうが心を打つと思うから。