2016年10月31日月曜日

ロバの耳通信「夏の終わり」

「夏の終わり」(13年邦画)の満島ひかりが良かった。瀬戸内寂聴の自伝小説の映画化ということで、不倫女の身勝手さを描いた映画かと偏見を持って見て、フムフムやっぱりそうだったかと得心しながら見たのだが、それらの嫌悪感を全部チャラにするくらい満島の魅力に参ってしまった。

満島を最初に知ったのはカロリーメイトのCM「ファイト」(12年)なのだが、同じ満島かと思うくらい。女の本性というのはこんなものなのだろうが、こんな女を相手にしたら疲れるだろうな。

ロングショットからのカメラワーク、ワンシーンの長さ、切り取ればそのまま写真になりそうなフレームワーク、舞台劇のような大声のセリフなど昭和の映画と見紛うこの映画は、初めてなのになぜか懐かしい。満島の元カレ役の綾野剛が未練タップリ男を演じ良かった。

最も印象に残ったのは満島の家(妾宅)に不倫相手(小林薫)の妻から電話がかかってくるという想像するだけでも恐ろしいシーン。

「だって、愛しているの。」という言葉で、すべてを押し通す女の論理が怖い。

2016年10月26日水曜日

ロバの耳通信「共喰い」

「共喰い」(13年邦画)17歳の少年の役で日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得した菅田 将暉(すだ まさき)は確かに良かった。ただ、この映画の良さは原作(田中慎弥による第146回芥川龍之介賞受賞の同名の短編小説)であり、田中裕子(片腕の魚屋の母)、木下美咲(恋人)、篠原ゆき子(父の愛人)、三石研(父)ほか、これ以上は考えられない配役のせいではなかったか。

舞台となった下関の言葉はワタシの故郷のソレと似ていて、映画のあちこちの風景やセリフにデジャビュを感じてドキリとする。ワタシの時代は、こんなに激しくはなかったとはおもうが、青春の鬱屈に大小はない。時間がたてばなおさらそれが大きく響いたり、掠れて小さくなったりもするが。

雨漏りを受ける洗面器の音、夕立の雨の騒ぎ、競って鳴くセミの声がいい。先週買い替えたばかりのオーディオテクニカのヘッドフォンがウレシイ。エンド・クレジットでは「帰れソレントへ」のギターで思い切り泣かせてくれるが、なぜかこの映画にぴったり。暗い映画館だったら、泣いたかも。辛いとか、悲しいとかじゃなくても涙は出る。





2016年10月20日木曜日

ロバの耳通信「天国の扉をたたくとき」

「天国の扉をたたくとき 穏やかな最期のためにわたしたちができること」(ケイティ・バトラー 16年 亜紀書房)

ジャーナリストである著者が、過剰医療に苦しめられた終末期の父親と、朽ちてゆく夫を支えながらも夫の死にざまに納得できず自らは終末医療を拒否した母の姿をこれでもかこれでもかと、メスで刻むように生々しく描いたノンフィクション作品。法外な医療費や医療保険が高度医療器メーカーや専門医の報酬へ吸い込まれてゆくアメリカの医療制度にダメ出しをしながらもそこから一歩も出ることができなかった家族のジレンマが伝わってくる。疾病、排泄障害、認知などに一気に襲われた老人とその家族の彷徨の末は戦うことも逃げることもできない暗黒の深い穴。
救いのように散りばめられた愛の物語は、戦争で片腕を失った若者が妻と出会い、幼子を連れて南アから新天地ニューイングランドに移住し家を買い家族で内装を楽しむというアメリカンドリームのよう。ただ三人の子供たちは家を出てそれぞれの暮らし。
南アを田舎に、新天地ニューイングランドを都会と置き換え、老老介護、健保制度崩壊など、どこかの国と問題は似ているが、同じように答えがないことに気付く憂鬱。

2016年10月17日月曜日

ロバの耳通信「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

朝から雨の朝、テレビ放送された「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(11年米)を録画で。立ち上がりからファンのトム・ハンクスが出ていてプロットもなかなか面白いのだが、BSながら民放なので、テレビ通販のCMでコマ切れにされるやら、地震の速報やらで集中出来ず、結局、CMなしのネット動画で見ることに。テレビは情報番組やバラエティーの専用箱になってしまったか。


アスペルガー症候群の息子(新人トーマス・ホーン)とその父親(トム・ハンクス)、母親(サンドラ・ブロック)や、口がきけない間借り人(マックス・フォン・シドー)、黒人女性(ヴィオラ・デイヴィス)などなどアカデミー賞俳優が続々、ただオールキャスト映画ではなく役がピッタシでキャスティングが素晴らしかった。いつもうるさいサンドラ・ブロックのヒス気味の母親も息子の気持ちを取り戻すシーンでは普通の優しい母親。キャスティングも映画の大切な要素だとあらためて実感。

ストーリーは9.11で父親を失った息子が、父親が残した一本の鍵にあうドアをNY中を探しまわるというだけなのだが、後半から感情が崩壊、鼻水と涙が止まらなくなった。悲しいとかそういうのではなく、なんだか「懐かしい気持ち」なのだ。何が懐かしいのかもわからない。こういう映画はなかなかない。パソコンの画面を見ながらしゃくりあげているジジイをほおっておいてくれたカミさんに感謝。

後で知ったことだが英監督スティーブン・ダルドリーの作品「リトル・ダンサー」(00年英)、「めぐりあう時間たち」(02年米)、「愛を読む人」(08年米)は見ていたが「トラッシュ!-この街が輝く日まで」(14年英・ブラジル)を見ていないことを発見。次の雨の日のために探しておこう。

2016年10月14日金曜日

ロバの耳通信「悪人 深津絵里の魅力」

「悪人」(吉田修一 朝日新聞連載、朝日文庫版)を読み終え、ネットで書評に書き込みをしていたら、映画を見てみろとのtwitterで教えてくれた方が。えっ、映画があるのか。こんなに面白い本なら映画があっても不思議ではないと、早速ネットで。DVDを借りに走る時代は終わった。晴れ渡った夕方だが風の強い中をDVD屋に行く代わりに、動画でスグ見れてしまう。なんて世の中になったもんだ。

「悪人」(2010年邦画)では、本と違い「九州訛」(長崎弁+博多弁)のセリフが直接耳にはいってきて懐かしさと聞かないで済ませたい気持ちが交錯した。わが故郷の九州は楽しい思い出があるばかりのところではない。殺され女を演じる満島ひかりも敷居というか、貞操観念が低く、怒りっぽいステレオタイプの九州の女性を演じ、普段はカロリーメイトCMくらいしかなじみがないこの女優の存在感もあったが、なんと言ってももう一方のステレオタイプの九州女、情が濃くて寂しがりや、になりきった深津絵里がとてもよかった。深津絵里はこの映画当時38-9歳、大分の生まれ(だから九州訛りが自然だったのか)だとか、「踊る大捜査線」の湾岸署刑事課盗犯係とはタイプが違う、倦んだ洋品屋店員の役がとてもハマっていた。こういう女性に連れて逃げてと言われれば、誰もが惑うにちがいない。

だれが悪人かという問いだけの、答えのないこの映画は、深読みすれば苦しくなるから、神経症の虞(おそれ)があるムキには薦めない。叶うなら何度か見るといい、深淵を覗くものは地獄に落ちる。

2016年10月7日金曜日

ロバの耳通信「タクシードライバー」


「タクシードライバー」(76年米) 

ちゃんとみたのは初めて。ジョディー・フォスターのファンだったし、彼女の出たシーンを覚えていたので、この映画も「ちゃんと」見たと勘違いしていたらしい。ジョディーのファンだったと強調したのは、近年のジョディがつまらないから。

「告発の行方」(88年米)「羊たちの沈黙」(91年米)がピークで、「コンタクト」(97年米)、「パニックルーム」(02年米)と煮え切らない作品で幻滅、2014年の同性愛結婚などニュースで見るくらい。額に青筋を立てた神経症のようなジュディが好きだったが、どの映画を見てもそればっかりじゃあ飽きるさ、そりゃあ。

「タクシートライバー」は例のニヤケ顔(これがなんとも言えないくらいいい)のめっちゃ若いロバート・デニーロの狂気、孤独と優しさを堪能できる。監督がスコセッシだから面白くないハズがないのだが、車の形が変わった以外今も当時と変わらないニューヨークは魅力的。不眠症の主人公が夜専門のタクシートライバーの役だから、背景に流れる夜のニューヨークの街並みとネオンがいい。サックスだろうか、全編むせび泣くような音楽がいい。

ラストは爆発してしまった主人公がギャングと打ち合うスコセッシらしいカタストロフィーをドキドキする心臓の鼓動のようなドラム入り音楽で楽しめる。半世紀前の映画とは思えない、懐かしさと新鮮さを同時に感じられる作品。ちゃんと見てよかった、台風続きの雨の夜。