「永い言い訳」(16年 西川美和 文春文庫)
映画化されていたのも知っていたから、本と映画のどちらを先にするかを悩んで本を先にした。裏表紙のあらすじを読んでスタートしなかったら、髪結いの亭主の作家がバス事故で妻を喪い、同じ事故で死んだ妻の親友の子供たちの面倒を見るなんてストーリーを、作家や、その編集者や、作家の愛人やそのほかの人々が主語になって物語が語られるから、混乱せずちゃんと読み通せたかどうか。
西川の文章は読みやすいのだが、主人公の作家の性格設定がちょっと洒脱というか、気取りのようなところもあって、深刻な場面もなんだか遠眼鏡で見ているように切迫していないから落ち込まずに済んだから、まあいいけど。ずっとあとになって亡き妻への手紙や妻の形見を整理しながら泣くところなんてのも軽めで、いい映画になるなと。
ところが、だ。同名の映画(16年 邦画)は、作家役が本木雅弘、その妻役が深津絵里と、ほかの配役が思いつかないくらいピタリとはまっていた。難を言えば監督と脚本。マルチタレントした原作者が監督、脚本ということも近年では珍しくもないのだが、うーん、監督は「監督」、脚本は「脚本家」の手にしてほしかった。西川は意識はしていないだろうが、340ページの本のすべてをを2時間の映画に押し込めようとした、というか逸脱しないようにしたために、役者を生かせなかったかなと。原作にないセリフを原作にない役者に語らせることなんてできないだろうね、原作者が監督をやれば。うん、本木雅弘と深津絵里は買いだけれども映画のほうは薦められない。
ここまで書いて、どうでもいいけど書き忘れていたことを思い出した。「永い言い訳」の題名を見た時に、レイモンド・チャンドラーの名作「長いお別れ」を思いだした。同じハヤカワ・ミステリ版だがふたつの訳本がある、「長いお別れ」(76年 清水俊二訳)と「ロング・グッドバイ」(10年 村上春樹訳)。原書は比喩が多くて読みこなせないので偉そうなことは言えないが、清水俊二訳のほうがチャンドラーらしい情緒があって好きだ。
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