2018年8月24日金曜日

ロバの耳通信「君の膵臓を食べたい」「ウンギョ」

「君の膵臓を食べたい」(17年 邦画)


原作本(15年 住野よる 双葉社)や漫画を見、実写版の予告編をYouTubeでチェックして「見ない」ことにしていたのだが< http://robamimi2.blogspot.com/2017/08/ (8月7日ブログ)>、テレビ放映があり録画していたものを台風の夜に。気温は30度を越え、外はすごい嵐で窓を開けることもできず、締め切った居間で夜中にひとりでみることになってしまった。いや、前文が長くなったのは、照れ隠しなのだが、つまり、その、主人公の少女山内桜良役を演じた浜辺美波が良かった。実に良かった。うん、それだけを言いたくてね。 <映画ポスター左上>

「ウンギョ」(12年 韓)

老年の詩人とその弟子の青年のふたり暮らしの家にお手伝いとしてはいった女子高生ウンギョ(キム・ゴウン)。詩人はウンギョの若さが羨ましく、ウンギョは青年にとっては欲望の対象。詩人はデキてしまった若いふたりの性愛を覗くしかない。ストーリーは下世話だが韓国ベストセラーの純文学の映画化だと。原作を読んだ気もするのだが、邦訳はないようだしYouTubeの予告編か映画評を見たのかもしれない。
キム・ゴウンは20歳を超えていたはずだが、女子高生の制服がよく似合う。韓国女性らしい腫れぼったい一重瞼は整形していないということなのだろうか。白っぽい服を着た時の透明感とそれを脱いだときの色気がアンバランスで、それがいい。

キム・ゴウン。全然キレイな女優でもないし、好きなタイプじゃないのに「コインロッカーの女」(15年 韓)、「トッケビ」(16年 韓ドラ)と追っかけのように彼女を探している自分に気付く。
昔の誰かに似ているのだろうか。

2018年8月19日日曜日

ロバの耳通信「祈りの幕が下りる時」

「祈りの幕が下りる時」(18年 邦画)

前作「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」(12年 邦画)を前にカミさんと泊まったホテルで見た。昼間はジムで汗を流し、風呂も食事も済ませ、することもなくテレビでも見ようかとチェックしていたら、ホテルのVOD(無料ビデオ)が当日無料と知った。貧乏人の哀しさで、無料と聞けばどうしても見ざるを得ない。ということで、見たのがこの「麒麟の翼」、同じ東野圭吾の原作の「白夜行」(11年 邦画)この映画でワルモノを演じた堀北真希のイメージが強く残り、その後ほかの映画やテレビで堀北を見るたびに、こいつ本当はワルモノなんだと思うようになり、嫌いになってしまった、「蛇にピアス」(08年 邦画)で吉高由里子が気に入ってしまい、大ファンになったーの3本。おお、そうだ「百夜行」は、韓国でリメイクされた「百夜行ー白い闇の中を歩く」(12年)のほうがずっとよかった。こういう裏のある女とか、裏切りとかを描かせたら韓国映画が群を抜いているよ。 
「祈りの幕が下りる時」は、原作(16年 東野圭吾 講談社文庫)を先に読んでいたのだが、ミステリー小説として意識してしまったせいか、情緒面がおろそかになってしまっていたようであまり印象に残っていなかったのだが、映画のほうは、キャスティングが素晴らしく最後は涙してしまった。こういう「人情モノ」では子役のデキが映画を決めるとおもうのだが、この作品で放浪者の父の小日向文世の娘役の桜田ひよりが最高だった。エンドロールで流れたJUJU「東京」もジーンときた。小説と映画の印象がこうも違うものかと驚いたが、東野のこのシリーズはゼッタイ映画だね。

2018年8月16日木曜日

ロバの耳通信「アイズ ワイド シャット」

「アイズ ワイド シャット」(99年 米英)

スタンリー・キューブリック監督の遺作ということで話題になって、ファンのトム・クルーズとニコール・キッドマンを映画館で見た記憶がある。映画のストーリーが難しく疲れてしまって、映画そのものの記憶もほとんどなく、映画館を出てボンヤリした頭で暗い街を歩いたことを覚えている。

ネットにアップロードされたのでまた見たのだが、2度目にも拘わらずストーリーは全く理解できず、当時32歳と女性が一番キレイな年代のニコール・キッドマンの色白でセクシーな姿態は息を飲む程で、そういう年齢の女性をキレイに感じられるようになった自分にも驚いた。セリフに比べボリューム上げすぎの音楽(ドミートリイ・ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲 第2番 ワルツ2」とジェルジ・リゲティの「ムジカ・リチェルカータ」)が頭の芯まで響いた。そうか、最初に見たとき、頭がおかしくなったのはこの音楽のせいだったかと、今更思い当たった。ショスタコーヴィチのワルツはいわゆるジンタで古めかしく、リゲティのは楽曲というよりは、ピアノの単音の繰り返しでトム・クルーズの不安に同期する。

トム・クルーズとニコール・キッドマン(当時は夫婦)はこの映画の封切り後2年後の01年に離婚するが、この映画のラストで「私たちこれからどうする?」と二人が言葉を交わすシーンは、倦んだ中年夫婦のようで映画と実生活が重なっているように見えてなんだかオカシイ。

2018年8月11日土曜日

ロバの耳通信「さようならドビュッシー」「死者の鼓動」

「さようならドビュッシー」(11年 中山七里 宝島文庫)

このミス大賞を見直した。犯人あてのミステリー小説なんて、どうせ捻くり廻したつまらない作品だと偏見と予断で読み始めたら、恐ろしく早いストーリー展開で物語がズンズン進む。ピアノ演奏について主人公が「語る」ところだけ、時間の流れが粘っこく、濃厚になる。作曲家についても学校で習ったくらいしか知らず、クラッシックにも全く明るくないから、これでもかこれでもかと語られるピアノ曲についての「蘊蓄」が、ついてゆけないくらい。真ん中くらいで倦んで半日置いた。

ピアノ教師、祖父、介護士、母親、叔父、刑事、いじめっ子の同級生などが強烈なキャラで浮かんでは消え、また出てくる。繰り返しオバケが出てきて驚かす、オバケ屋敷のよう。犯人捜しを無意識に初めていて、夢中になっていたことに気づき、表題の「さようならドビュッシー」が最後の結びの言葉となって納得ずくでストンと腑に落ちた。うーん、こんなの初めてだ。このミスよかったぜ。

当座の本探しをこのミス大賞作にしてみようか。

「死者の鼓動」(10年 山田宗樹 幻冬舎文庫)

山田宗樹は新刊で読んだ「ギフテッド」(15年 幻冬舎)以来の作品で、その際にもエラく感動したものだが、「死者の鼓動」の巻末に載せた参考文献の数には驚いた。感動させる小説はこれだけの準備をして書くものかと。心臓移植を扱った作品なのだが、手術の様子など専門家でなければとても書けないような詳細さだ。しかも、医者が普段ワレワレに説明するよりずっとわかりやすく、説得力もある。
結末の犯人捜しというか謎解きの部分は、やっぱりと思うほどのあっけないものだったが、このところ「ハズレ」の多かった本ばかりだったから、すごい得をした気分になった。うん、山田宗樹はいいぞ。

2018年8月7日火曜日

ロバの耳通信「ツィゴイネルワイゼン」

「ツィゴイネルワイゼン」(80年 邦画)

女優が一番輝く作品があるとすれば、大谷直子はこの映画だ。芸者と人妻の2役を演じる、というよりこの自然さはこの人の本質かもしれない。うん、芸者と人妻だから考えてみれば両極端のようなのだが、すべての女性がいくつもの顔を持っているようなものか。

監督に鈴木清順、原作が内田百閒、脚本、田中陽造ときて、スチールを荒木経惟が撮っているというこれ以上はないという制作陣に加えて、大谷のほかに原田芳雄、大楠道代、藤田敏八、山谷初男、樹木希林、佐々木すみ江と芸達者を揃えている。舞台設定は古いし、出だしの象徴的な役柄の盲目の旅芸人3人組、この3人組が夜汽車の中で手探りで飯を分け合うところ、3人が縦に連なって歩く姿など思い出しても滑稽で哀しいーとかも現代にはそぐわないだろうが、ストーリーに違和感はないから、誰かこの映画をリニューアルして作ってくれないだろうか。うん、一番悩むのが大谷直子のやった役か。高橋(関根)恵子はピッタリだが、大谷とほぼ同じ世代だからね。うーん、個人的な好みだけで言えば「まりりん」(ママドルの白石茉里奈)なんかいいと思う。

大谷直子はデビュー作品「肉弾」(68年 邦画)で、ワレワレ世代に衝撃を与えて以来、数々の作品でワレワレを虜にしてきたが、マイベストを上げるとこの「ツィゴイネルワイゼン」「橋のない川」(93年)、「蛇イチゴ」(04年)か。いつも何本か跳ねた髪がなんとも色っぽく、口元だけが笑ったように見えなくもない、美人とも言えない下膨れの冷たい顔がなんともたまらない。近年のメぱっちりで派手なアイドルたちを見てると、もうこういう女優はこれから出ないだろう、そんな残念な気がする。

自分で買った初めてのレコード盤がツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ作曲)だった。学校の授業で初めて聞いて鳥肌が立つほど感動し、貯金箱から出した小銭の山をつかんでレコード屋に買いに走った。結構高かった気がする。33と3分の1(回転)のSP盤で、B面が「ロンドとカプリチオーソ」(サン・サーンス作曲)。音楽好きの父は夜勤が多く昼間は週末もほとんど家にいなかったから、父の蓄音機で盤が擦り減るまで、うん、当時はレコード盤はレコード針で引っ掻いて音を出していたからね、よく聞いたものさ。

2018年8月2日木曜日

ロバの耳通信「神坐す山の物語」「ラブ・レター」

「神坐す山の物語」(14年 浅田次郎 双葉社)

「神坐(かみいま)す山」は、東京の端っこにある御嶽山(みたけさん)のこと。その神社に生まれた少年が亡くなった叔父と不思議な邂逅をするという話で始まる7つの不思議物語には、ワレワレの心に住みつかれている神のような方々を、あらためて感じる。浅田は母親の実家が御嶽山の宮司だったという(wiki)から、かなり影響を受けたのだと思うが、物語全編で語られる宮司の暮らしも興味深い。浅田の小説には回想シーンが多いが、これも亡くなった人たちが思い出と一緒に現れ、消えて物悲しい。7つの掌編を読み終えて、ああ、あれはそういうことだったのかとかと思い出し、付箋だらけにした本をまた最初から読みなおすことになってしまった。うん、よかった。

浅田次郎はかなり読んだが、ワタシのベストは短編集「鉄道員(ぽっぽや)」(97年 集英社)。高倉健、広末涼子ほかで映画化(同名 99年)されて有名になったが、この短編集にはいっている「ラブ・レター」がいい。偽装結婚した元エリートの高野吾郎と中国人売春婦の高野百蘭の物語。原作を黙読していて涙がにじんでくるくらなのに、中井貴一主演の同名映画(98年)のDVDを見たときは、顔中が涙と鼻水にまみれてしまった。この映画で中井貴一の大ファンになった。

百蘭が吾郎に残した遺書のなかで「吾郎さん、吾郎さん」と愛おしく語り掛けるところでは、映画やCDブック(菅野美穂が百蘭の手紙を朗読)でも泣けた。YouTubeに朗読版があり、音声だけスマホに入れ繰り返し聞いている。
<「ラブ・レター」はワタシのブログでは2度目の登場になる。まあ、いいよね>