2018年9月26日水曜日

ロバの耳通信「神様のカルテ」「舟を編む」

「神様のカルテ」(夏川草介 11年 小学館文庫)

軽い読み出しで始まる。最後まで、「草枕」の漱石風の語りは変わらない。平坦な語りの中で展開する物語の、患者、看護婦、同僚の医者、下宿先の住人、飲み屋の主人、カメラマンの妻・・登場人物すべてへの、また彼らすべてからの優しさが快い。

24時間365日を標榜しているために慢性人手不足になっている地方病院の若い医者が日々の医療に追いまくられ、大学病院からの招へいに気持ちが動く、という「よくありそう」な物語なのだが、後半の高齢のガン患者の看取りのところでは涙が出た。主人公と周りの人たち、特に妻ハルとの会話がとても軽妙で、優しい。こういう医者でありたい。こういう患者でありたい、こういう夫でありたい。

たくさんは語らない夫婦の日々の会話がなんともよかった「舟を編む」(三浦しをん 11年 光文社文庫)を思い出した。

両作共、本屋大賞を獲っていて、映画化もされている(「舟を編む」(13年)のほうだけしか見ていない)が、両作とも妻役が宮崎あおい。うーん、世間的には理想の妻の姿が宮崎なのか。うーん、嫌いだとは言わないが・・。

2018年9月20日木曜日

ロバの耳通信「スカイクレーパー」「アップグレード」

「スカイクレーパー」(18年 米中)


香港の超高層ビル火災と脱出劇。現役プロレスラーでもあるドウェイン・ジョンソン(リングネーム「ザ・ロック」)が元FBIでビルのセキュリティ責任者ーが炎のビル内に取り残された家族を救出するために、国際的なギャング団と戦うというアメリカらしいアクションヒーロー映画だが、ビルの火災やインテリジェントビルのCGがよくできていて楽しめた。映画は娯楽。映画館の大きな画面と大音響で楽しむことをおすすめする。

米中合作というが、どういう「合作」なのかは興味あるところだが、アメリカと中国の貿易戦争がさらに悪化しつつある今日。なんだかんだ言っても、ソレとコレは別のハナシなのだろうか。


「アップグレード」(18年 米豪)

今年6月に本国では公開されソコソコ好評だったらしいが、日本公開は未定とのことで邦題も仮題とのこと。B級らしく、配役も女刑事役で目玉グリグリの黒人女優ベティ・ガブリエル(ホラー映画「ゲットアウト」(17年 米)では家政婦役で好演)以外は知らない役者ばかりだったのだが、原作のせいか、脚本が良かったか、ともかくめっちゃおもしろかった。

原題はUpgradeで、コンピュータでソフトウェアを最新版にすること。映画の中でステムと呼ばれる体内コンピュータが暴走し、組み込まれた人間を操作するようになるというストーリーは噴飯モノなのだが、コンピュータと神経をつなぎカラダを動かすとか、ありそうな話に作られていて結局最後までドキドキで見てしまった。
近未来の自動運転車や音声コントロールの居室がよくできていて、モノグサなワタシはちょっと憧れた。いい女刑事役ベティ・ガブリエルが簡単に殺され、ラストのつじつまの合わなさはクエスチョンマークが付いたままだったが、半身不随になりコンピュータを埋め込まれた夫と殺されたはずの妻(無名だがカワイイ)のハッピーエンドで終わったからまあ、いいや。

2018年9月17日月曜日

ロバの耳通信「Banshee/バンシー」

「Banshee/バンシー」(13年~16年 米テレビドラマ)

アメリカのテレビドラマは面白い。やめられない。やっと「ウォーキング・デッド8」を見終わったばかりだというのに。
ペンシルバニア州のバンシーという小さな町に巣くうワルモノたちの物語。果てしない暴力とセックス。こんなのをテレビで放送してるのか。言葉も4文字の繰り返し。

登場人物はほとんどワルモノ。それが皆いい演技をして、毎回ハラハラ、ドキドキの繰り返しだ。シーズン4全38話、ワルなりに個性ある役を得て光った役者が次々に殴られ、撃たれ死んでゆく。それほど有名な役者ではないから、どのドラマを見ても皆同じような役ばかりで有名なタレントが、面白みのない演技をしている日本のテレビドラマとはわけが違う「贅沢さ」だ。特にワル悪玉の護衛役マシュー・ラウチ、女警官役トリエステ・ケリー・ダンなんて主人公のフッド保安官役アントニー・スターをはるかに凌いでいた。このふたり、メッチャ好きになってしまった。トリエステなんて部下を持ったりして、挑むような眼で迫られたら、保安官じゃなくてもオカシクなってしまうだろう。
ストーリはカンタンで、ニセの保安官、これが訳ありでめっぽう喧嘩早く、強い。この保安官が昔の仲間たちと町のワルを次々に片づけるだけのもの。シーズン4で終わって、主人公やその仲間が生きているから、シーズン5以降も作られるに違いないと期待。それまでのあいだ、何を見ようか。



2018年9月11日火曜日

ロバの耳通信「ひとは情熱がなければ生きていけない」 「てのひらの迷路」 「ぬばたま」

「ひとは情熱がなければ生きていけない」(07年 浅田次郎 講談社文庫)
「てのひらの迷路」(07年 石田衣良 講談社文庫)
「ぬばたま」(10年 あさのあつこ 新潮文庫)

台風でどこにも行けず。このところ「流転の海」(90年 宮本輝 新潮文庫)の8部作のうちの4冊を集中して読んでいたのでアタマが「流転の海」漬け状態。面白い本だとつい嵌まり込んでしまう。で、気分転換に短編集を3冊。

「ひとは情熱・・」なんて長い名前なんだ。おまけに<勇気凛凛ルリの色>なんて副題もついている。エッセイやら講演会の記録やら折り詰め弁当風だが、浅田次郎らしいヒカリモノもあって楽しめた。”自分の書いたセリフで泣くうちは、小説家もまだまだ”(「鉄道員(ぽっぽや)」余話)なんてところ、良かった。

「てのひらの迷路」、石田は「4TEEN(フォーティーン)」以来だったけれど、やはりプロの小説家というのはすごいと思う。20余の短編がすべて珠玉の掌編。膨らませればどれもいい作品になりそうなくらい。ワタシも一時モノカキになる夢を持っていた時期もあったけれど、こういう優れた短編を読まされると、「まいった」。増長して鼻高になっていたシロートのワタシはひっぱたかれた気分。はい、ワタシが悪うございました。

「ぬばたま」これは怖かった。「残穢(ざんえ)」(15年 小野不由美 新潮文庫)以来か、本読んでゾッとしたのは。出だしから、ヘビだらけ。ただでさえ怖い色白のウツクシイ女と天井から落ちてくるヘビなんて。夢に見てしまった。あさのあつこって、こんな作家だったのか。引き出しの多さに脱帽。

2018年9月6日木曜日

ロバの耳通信「北斗 ある殺人者の回心」

「北斗 ある殺人者の回心」(15年 石田衣良 集英社文庫)

600ページ近い大作であるが、長さは感じさせない。前半は父母による家庭内暴力に晒される少年「北斗」の物語、後半は「北斗」が殺人罪で裁かれる裁判劇。
読後すぐには、少年が殺人を犯しながらも少年時代の虐待を理由に、罪を軽減されたことについての不条理を感じた。殺された2人はいわば成り行きで殺されたわけで、殺されるほどの理由を見いだせなかったから、いくら少年の生い立ちが不幸だったからと言っても「おいおい、それはないぜ、大した理由もなく殺された人たちって、どうなの」となんだか不満が残ってくすぶっていた。
しばらく経って副題が「ある殺人者の回心」とあったことに気づいてしまった。回心を「カイシン」(キリスト教の用語)と読むか「エシン」(仏教用語)と読むかでかなり意味も変わるから、奥付けのフリガナで「カイシン」と確認。ああ、作者の意図はここだったかと、自得した。
ワタシなりの解釈だが、試練(父母による虐待)により成長した少年が大きな罪を犯しながらも、自らの周りの神、すなわち大きな試練をくれた父母、愛してくれた恋人、育ててくれた養母、見守ってくれた保護司、物分かりの良い国選弁護士、そして待つことを約束してくれた義姉、その他たくさんの神のしもべに救われ更生の道を歩むのだろう。そうか、これはこういう物語だったのか。とはいえ、こんな酷い虐待を受ける子供に生まれたくはない、神に近づくことができるにしても、だ。

この物語は花村萬月に書いて欲しかった気がする、より残酷に、より神との邂逅を渇望し、それを得られない物語を。


2018年9月2日日曜日

ロバの耳通信「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」

「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」(18年 米)

「マンマ・ミーア!」(08年 英・米)の続編だと。本編はいい年をしたオバさんとオジさんがABBAの曲に合わせて踊り狂うというミュージカル映画で、騒々しいだけで面白くもなんともなかったことをハッキリ覚えていて、乗り気じゃなかったけれど、「ヒヤ・ウィー・ゴー」に日本のお笑いタレントが出てると話題になったり、封切り後の評判もまずまずということでチャレンジ。くっそー、やっぱり面白くない。前回踊り狂ってたオバさんが、10年後の続編ではオバーさんになって踊りくるっている。

メリル・ストリーブやジュリー・ウォルターズ、元気そうに踊ってるけれどどこかの施設でやらされている健康体操 や盆踊りのノリ。一緒に踊ってるメリルの娘役のアマンダ・サイフリッドなんてこういう動きのある映画って無理じゃないかな。表情も女優って感じはしない。「レ・ミゼラブル」(12年 英)のコゼット役で哀しそうな顔して突っ立ってるのがいいところだって。
「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」は本編のその後と本編登場人物の青春時代だって、ムリだってそんなストーリー展開。舞台劇のミュージカルが先にできた映画作品にストーリーもあったものじゃないけれど、いま踊ってるのは△△役の青春時代とか設定されてもね、違う役者だから顔も表情もゼンゼン違うんだもの、こちらのアタマがついていけませんって。こういう流行り映画って、聞かれればアソコが良かったよねと、若い人に迎合して答えることもあるけれど、コレはイケない。10年前のオバさん、オジさんだった観客に、あら懐かしーといわせるだけの映画。