600ページ近い大作であるが、長さは感じさせない。前半は父母による家庭内暴力に晒される少年「北斗」の物語、後半は「北斗」が殺人罪で裁かれる裁判劇。
読後すぐには、少年が殺人を犯しながらも少年時代の虐待を理由に、罪を軽減されたことについての不条理を感じた。殺された2人はいわば成り行きで殺されたわけで、殺されるほどの理由を見いだせなかったから、いくら少年の生い立ちが不幸だったからと言っても「おいおい、それはないぜ、大した理由もなく殺された人たちって、どうなの」となんだか不満が残ってくすぶっていた。
しばらく経って副題が「ある殺人者の回心」とあったことに気づいてしまった。回心を「カイシン」(キリスト教の用語)と読むか「エシン」(仏教用語)と読むかでかなり意味も変わるから、奥付けのフリガナで「カイシン」と確認。ああ、作者の意図はここだったかと、自得した。
ワタシなりの解釈だが、試練(父母による虐待)により成長した少年が大きな罪を犯しながらも、自らの周りの神、すなわち大きな試練をくれた父母、愛してくれた恋人、育ててくれた養母、見守ってくれた保護司、物分かりの良い国選弁護士、そして待つことを約束してくれた義姉、その他たくさんの神のしもべに救われ更生の道を歩むのだろう。そうか、これはこういう物語だったのか。とはいえ、こんな酷い虐待を受ける子供に生まれたくはない、神に近づくことができるにしても、だ。
この物語は花村萬月に書いて欲しかった気がする、より残酷に、より神との邂逅を渇望し、それを得られない物語を。
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