女性銀行員による横領を題材にした「紙の月」、誘拐犯の女「八日目の蝉」や月刊文芸誌で読んだ多くの短編ですっかり馴染みになった気でいた。「森に眠る魚」は5人のママ友たちの物語。ママ友というだけで、そう親しくなれるのだろうかとか、イヤな奴とかいないのだろうかと、家の近くにある公園によく集まっている幼稚園のママ友たちを観察していたのだが、そのママ友たちがこの作品の主人公だ。うーん、こういう世界はイヤだな。子供を縛られているようなものだから関係を切ることも自らだけを圏外に置くこともできない、まるで牢獄じゃないか。
ガマンにガマンを重ね、500ページ長編の四分の一を超えたところあたりで挫折。「八日目の蝉」では少なくなってゆく残りのページがもどかしく思うほどだったのに、この「森に眠る魚」は読み進めるごとにストーリーも煮詰まって行き、嫌気が溜まった。読んでいて続きを読むことをイヤだ、もう沢山だと思わせるほどの角田の筆のチカラも、ある意味すごいと思う。
「星の見える家」(09年 新津きよみ 光文社文庫)
オリジナル短編集と名打っていたが、7編のうち書下ろしは1編だけ、のこりは月刊文芸誌「小説宝石」で既出。まあいいか、そこは。あとがきで別の女性作家が”幸せな人が書いた小説は面白くない、という言葉を耳にすることがあるが、新津さんに関しては、その言葉は通用しない。”とヨイショ解説を書いているが、そうかな。短編だからとガマンして全部読んだが、なんだかどれも作り物、インスタ狙いだけのキレイだがホントはうまくないケーキのよう。7編あればひとつぐらいグサっとくるのがあってもいい筈なのに。
相性というのだろうか、どうもよくない。wikiで作品をチェックしたらものすごい数で、ほんのいくつかだが題名に記憶があるが、題名を思い出してもナカミを思い出せないのはやっぱりそういうことか。そういえば新津の夫<小説家の折原一>の作品もほとんど読んでいない。図書館や書店ではまずは背表紙から読む本を選んでゆく。ほとんど無意識というか反射的に折原一を対象から外している。赤川次郎とか、逢坂剛、新しい方では乙一とかと同じネコマタギ。やっぱり相性というものか。ワタシのソレは世の中のソレとはかなりずれているようだ。
「すべて真夜中の恋」(14年 川上未映子 講談社文庫)
コレ女学生が書いた本か。”芥川賞作家が描く究極の恋愛”って、うん文章は誌的で十分情緒的。「すべて真夜中の恋」はスキと、キライの境界にあるから、芥川賞受賞作「乳と卵」(08年 文春文庫)読んでみようか・・な。
「いつもの道、ちがう角」(05年 松尾由美 光文社文庫)
裏表紙の”ダーク・ファンタジー”という解説があったが、ミステリーという名のこねくりまわした作り話。軽くて、ウイットがあったり、ちょっとゾクっとさせたりの7短編。待ち時間にちょっと読めるが、何も残らない。肩がこらなくていいか。
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