数日前にこの冬何度かめの雪。窓から見える屋根たちは一様に白くなったが、もうすっかり溶けた。北国はもっと寒いのだろうなと他人事のように思う。とはいえ、今日もこの寒空、どこかに出かける気なぞまったくない。年末に借り出した図書館の文庫本を積んで、読み始めたらまたハマった。テレビもネットも飽きていたから、久しぶりの活字がなんだか嬉しい。
「孤独の歌声」(05年 天童荒太 新潮文庫)文庫版も初版97年、私が図書館から借りだした05年版が25刷とある。結構読まれている本らしい。「 永遠の仔」、「悼む人」などいくつか読んできて、天童荒太の作品には馴染んでいたつもりだったのだが、本作はそれまで読んだ作品とはオモムキの異なる衝撃の小説だった。そういう感想をカミさんに話したら、天童荒太ってそういう本、寂しすぎてメゲて暗くなってしまうからあまり好きじゃないと。さらに、体調を崩しやすい冬なんかに読んだらダメだよと、一蹴。強く納得してしまった。
コンビニでアルバイトしながら歌手を目指す<おれ>と、猟奇連続殺人犯の<彼>、それを捜査する<わたし>の物語。3人とも、いや登場人物が皆、孤独。それも救いようのない孤独。また、<彼>の猟奇が生々しくクライムノベルの色が濃く、若い頃妖しい挿絵つきの犯罪実話雑誌をドキドキしながら読んだことを思い出した。明かしてしまえば、自分のなかの猟奇性を覚まさせられたいうことだろうか。
とにかくカミさんの言いつけを守って、遠ざけていたほうが良さそうな天童荒太。
「浄夜」(08年 花村萬月 双葉文庫)
最後まで読みきれなかった。一時はのめり込み著作リストにレ点を付けながら制覇しようとしたことのある花村萬月。今回は、運が悪かったのか、最初から辟易。過食嘔吐とか、マゾヒズムとかそれらも病気といえば病気なのだろうからバカにしてはいけないのだが、こうずっと繰り返されると耐えられない。約500ページの半分くらいまでなんとか我慢していたが嫌になってしまった。
夢想家の私が小説を読む時は、登場人物に自分を当てはめている。刑事になったり犯罪者になったりでいつも主人公とは限らないが、思いっきり役になりきって浸ってしまう。「浄夜」の登場人物はどれもなりたくない役。普通なら、極悪非道のヤクザとかヤクザに愛されてしまう清純女子高生とか、まあ、浸ることで小説という仮想空間をめいっぱい楽しんでいるのだが。年老いて、あるいは疲れてしまって、花村の世界に付いて行けなくなっているのかもしれない。今回、気づいたことだが、花村作品を読むには、かなりのエネルギーが要るのだ。そのエネルギーがなくなったかも、と、今おそれている。
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