2018年10月18日木曜日

ロバの耳通信「ノルウェーの森」

「ノルウェイの森」(04年 村上春樹 講談社文庫)

ずっと前に「何度か」読み始めたが、数ページで挫折していたからまた途中で飽きるだろうと読み始めたら、上下巻を一気に読んでしまった。下巻の表紙は深緑色地紋赤文字。ワタシの中の何が変わったのだろうか。「1Q84」(09年~ 新潮社)ですっかりまいってしまった青豆のような少女に会えることを、村上の本に期待していたのかもしれない。

「ノルウェイの森」にいたのは直子(ワタナベの親友キズキの幼なじみ、のちワタナベの恋人)やら緑(大学の同級生)やらレイコやらたくさんの女性が登場したが、青豆も青豆のようなコもいなかった。ただ、ただ甘やかされてわがままな哀しい女たち。振り回されて打ちひしがれてしまう男たち。
発行部数の累計が1000万部と、日本で1、2のベストセラーだと。単に流行(はやり)モノだったのかもしれない。ワタシにも青春があったから、ほかの多くの読者と同じく、ワタナベに共感するところもあったのだが、読み終えて残ったのは女性たちへの同情。好意やあこがれなんて感じない。青豆はあんなに恋しかったのに。
ワタナベは話が上手で親しくなった女性のほとんどとエッチをしていた。いつも女性の前ではあがってしまうワタシは好きになりすぎる気持ちをコントロールするのに精一杯で、とてもそれどころじゃなかったのに。

「ノルウェイの森」(10年 邦画)のワタナベ(松山ケンイチ)と直子(菊地凛子)のゼンゼンつまらない映画をガマンして半分だけ見ていて、「ノルウェーの森」がビートルズの曲だということも知らずにいたのだ。この映画も何度かトライした覚えがあるのだが、ワタナベも直子も、その他ほとんどの配役がことごとく嫌いになってしまった。「青いパパイヤの香り」(93年 ベトナム・仏)で新鮮な風を映画界に吹き込んだトラン・アン・ユン監督も日本語はダメらしい。ファッションモデルの水原希子に緑のセリフを棒読みさせてどうするんだ。
映画のチカラはすごいと思う、それ以来原作も、松山ケンイチと菊地凛子も遠ざけてしまった。菊池凛子のワガママ、ナマイキさは際立っていた。菊池は原作の直子に一番近かったのかもしれないのだが、とにかくコイツが嫌いになった。世界の各賞を総なめにして「バベル」(06年 米)の何かの賞をとった千恵子役の菊池も「」嫌いだった。原作を通しで読めたからといって、この映画をまた見る気にはなれない。原作も映画もそれほど好きってことじゃないらしい。うーん、単に菊池が嫌いなのかも。いやいや、原作本を嫌いになったのも、菊池のせいか(八つ当たり)。あ、2時間強のこの映画で良かったと思うのが、ワタナベが直子を失った喪失感に海岸で咆哮するシーン、だけ。

タブレットには「海辺のカフカ」(09年)「騎士団長殺し」(17年 ともに新潮社)の電子版をずっと未読のままにしている。さあて、どうしようか。

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