2019年1月14日月曜日

ロバの耳通信「ワタシノタビ」

「ワタシノタビ」

(初めての海外)初めての海外はドイツ。地方都市に3泊4日くらいの出張。現地の人が空港まで迎えに来てくれて、朝はホテルに迎えに、仕事のあとは早い時間にホテル送ってくれた。初夏だったから遅くまで明るくて、街中を歩き回って初めての外国を楽しんだ。帰途に寄ったロンドンのホテルで言葉が聞き取れず朝食を食べ損ねたことくらいがトラブル、そんな楽な海外出張。次に行ったシンガポールでは片言の日本語のわかる現地の方にお世話になった。仕事はあまりうまくいかなかったが、約一週間のシンガポールを満喫した。植物園もホッカセンター(フードコート)も、突然の夕立さえ楽しかった。

(好奇心)その後、一人で海外を旅する機会が増え、大きなトラブルもなく、長時間のフライトや乗り換えの空港での待ち時間、見知らぬホテル、初めての人たち、見慣れぬ料理など緊張と初体験の繰り返しにすっかり取りつかれてしまった。仕事の合間にというより、仕事を合間に入れながらの予定を立て、各地の美術館や博物館、名所旧跡などアチコチ出かけた。楽しい思い出ばかり。

(マイスタイル)何度も海外に出るようになると、自分の流儀になった。手荷物は最低。よくいろいろな人に、荷物はそれだけかと呆れられた。空港からの移動は公共交通機関。ホテルは中以上(請求できる経費はケチらない)。食事は地場の小食堂やフードコート。ホテルで食べるのは無料の朝食だけ。下着の洗濯は毎日。風呂に入る前に、洗面所のシンクに熱湯と粉せっけんの液に浸しておく。バスタオルで巻いて足で踏み、バスルームのワイヤで干す。財布をふたつ持っていたり、予備のカード、パスポートのコピーと予備の写真をカバンの底に入れていたりもしたが、それを使うことはついぞなかった。幸運だった。

(変化)ウキウキ、ワクワクの欧米周りが約10年、その後中国の担当になって旅行が全く変わってしまった。
言葉が全く通じないから、いつも通訳がついた。通訳がいるときは言葉に困ることはなくなったが、一人歩きはできない。大都市はなんとかだが、地方に行けばバスにも乗れない、食堂にもはいれない。夕方に通りを歩くと目つきの鋭い男たちがあちこち、暗くなったら外には出られない。ホテルの湿っぽい部屋にも、ほぼ毎日の
 宴会も、汚いトイレも、付き纏う物乞いや闇両替屋も、なにもかもに嫌気がさした。絶え間ないクラクションの音や排気ガスだらけの大通り、一晩に何回もある停電、どんなに気を付けていても突然襲われる腹痛と下痢。中国の旅はただの苦痛になっていった。帰国しても、中国のどこかに取り残されて途方に暮れるという悪夢を見るようになった。

(飽きてしまった)仕事が変わり、中国以外のところにもいくようになったが、ずっと感じていた不安、不満の振れ幅が段々大きくなり、段々イヤに。飛行機が遅れたり、体調をくずしたり、ホテルがよくなかったり、カードが使えなかったり、両替の計算をチェックしたり、いろんな領収書をまとめたり、そういうもろもろの「旅では普通のこと」がメンドウでイヤになってきた。多くの不安や不満の先に待っている、新たな出会いや、風景や料理などもたいした期待ができないと気付いた。重なっていた仕事のストレスに負けていたのかもしれない。

(結局のところ)カミさんに言わせると、昔はきっと良かったのだと。時代が変わってきたのだと。もはや見知らぬところに、いいことなんて待ってはいないのだと。そうなのかー。

2 件のコメント:

  1. 旅のラゴスが目指す最果ての地に行くはずだったのに、気づけばネズミの国、こどもの国、アンデルセン王国。夫と父親の責務を果たし、ラゴスの後を追うまで生きてられるかな、生きられないだろうなあ。私にはナショナルジオグラフィックがある。

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    1. 筒井康隆を読み返すと新しい道が見えるから不思議。ナショナルジオグラフックは興奮剤にも鎮静剤にもなるから、これも不思議。不思議はいつでも、どこでも楽しめるのだよ。僕らは不思議を楽しむために生きているんだ。

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