連作ではあるがトリトメのない話であるから、どこから読んでもよさそうーとおもっていたら、ズンズン引き込まれてしまった。悔しいほどステキ、としか言いようのない本だった。この映画好きの主人公が何回も見た映画のどこが好きかと下宿屋のオバさんに聞かれるところがあり、その映画は”中の下”だが、チョイ出の女給役の女優が好きだからと説明するところがあり、同じく映画好きのワタシもそういうことが良くあると。うん、うんわかるよと、ニヤニヤしながら読んだ。映画も本も自分に似た誰かが自分の好きな誰かにめぐり合うとか考えると、ドキドキしてしまう。いい歳してオカシイ、と自分でも思う。
とにかく、どこを切り出しても暖かく、いい気持ちになれる。オシマイに誰かが亡くなったり、わけもなく無限大にハッピーになったりもせず、「おいしいスープの作り方」で終わる。こういう本が一冊書けるだけでもいいな。こういう本を一冊書く才能なんか、到底及びもつかないけれど。いちばん気に入ったところは、”おいしいものを作るには、一生懸命だけでは足りない”と、一生懸命というのは、たいてい自分のためだけで、それだけでは足りないと。うーん、この読み終えたときの満足感は何だ。また、読みたくなるこの気持ちをどう説明すればいいんだ。
「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)
江國の本は何冊か読んでいて、たとえば「左岸」(08年)はちょっとウルっときたラブストーリーで好感。味をしめて臨んだ「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(07年)はちっとも面白くなくて、相性が悪そうだからしばらく江國はやめておこうと思っていた。
「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)は週刊文春に連載のエッセイを集めた本で、”読むと必ずお腹がすきます”と紹介文にあった。うん、うんそう思った。
なんだか、江國のことを誤解していたのかな、やさしいいい本じゃないか。一冊くらい、性に合わない本に出合ったからって、そう偏見で見てはイケナイのだと、深く反省。「フライパン問題とめだま焼き」なんて、ほとんどワタシの気持ちそのもの。うん、ワタシもかねがねめだま焼きなんて、グロい名前だなーと思っていたんだ。
めだま焼きは大好きで、たまたま昨晩見ていたYouTubeの朝ごはん紹介動画でどこかのアンチャンがフォークですくっためだま焼きーアメリカのめだま焼きの黄身は日本のソレよりずっと白っぽいーを実にウマそうに食べていて、今朝は起きる前からめだま焼き、めだま焼きと頭がいっぱいになっていた。
2冊ともカミさんが借りてきた本。思いがけなく、いい本に会えた。よかった。すこし前に、たとえば一万円の本と金額を指定すると、その人が好きそうな本を選んで送ってくれるという地方の本屋さんが大流行りだと。ケチだから一万円は、受け入れることはできないが、そういう本の選び方は案外いいと思う。
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