2019年6月28日金曜日

ロバの耳通信「ザ・サイレンス 闇のハンター」「ゆりかごを揺らす手」

「ザ・サイレンス 闇のハンター」(19年 米)

昨年のヒット作「クワイエット・プレイス」(18年 米)の二番煎じじゃないかと、映画レビューでは散々こき下ろしされていたが、ワタシ的にはこの「ザ・サイレンス」のほうがずっと面白かった。
音に反応して襲ってくる盲目の人食いモンスター、障害者の娘のために手話で暮らす家族とか設定はほぼ同じ。「クワイエット・プレイス」ではモンスターとの戦いで手に汗握る面白さだったが、「ザ・サイレンス」では加えて、舌を切られたカルト集団との戦いが入り、「手に汗」がずっと長かった。なによりコッチは、お父さんの頑張りがすごく、アメリカ映画の神髄はやっぱりココだろうと強く感じた。

ふたつの映画に共通するのがモンスターにやられた無人の街の設定。誰もいなくなったお店にはいって、好きなものを持って行くところなんてメッチャあこがれる。ゾンビ映画とか、地球最後のナントカとかいう終末期を描いた映画では定番になっている「無人の店」。近年はやりの無人コンビニやセルフレジのことではない。日頃、コンビニ弁当を選ぶのでも、数十円の差異のせいで好きなオカズを断念するようなシミッタレ生活だから、この「なんでも、すきなだけ持って行きんさい」店はあこがれの的。万引きとかじゃなくて、いつかやってみたいと思ったりもするが、よく考えてみると、そう欲しいものがあるわけでもない。

「ゆりかごを揺らす手」(92年 米)

オープニングの画像、音楽から昔のミステリー映画らしい懐かしさ。題名をハッキリ覚えているから、多分、前に見てる筈。雇った乳母が、以前わいせつで訴えて自殺した産婦人科医師の妻で流産したことを逆恨みして復讐のために入り込んだ女だったというストーリー。
金持ちの家、優しい夫に愛する子供たち、障害を持つ黒人の庭師(いまなら、こういう役柄を黒人にすれば大問題になるだろう)などステレオタイプのアメリカの裕福な家庭に起きた怖い事件を描いている。近年の映画のように、出だしに見どころを突っ込まず、後半ジワジワと怖さに引き込んでゆくひと昔前の映画作りだから、前半イライラ感もあるが、後半の盛り上がる怖さはわかっていても底なし沼のように引き込まれる。

狂気の女役のレベッカ・デモーネイ(普通にしていても怖い)が迫真の表情で一層怖い。主人公の金持ち女役アナベラ・シオラは美人なのに大根。吹替の声がキンキン声でイライラ。テレビ会社の吹替はひどいのが多い。ちなみに、この「ゆりかごを揺らす手」動画は、通販CMでズタズタだったからお昼にテレビで放映した映画にちがいない。


2019年6月25日火曜日

ロバの耳通信「沈底魚」「椿山」

「沈底魚」(10年 曽根圭介 講談社文庫)

初めての作家を読むときはドキドキする。外れたらもう読まなければいいとも思う。どうせ酸っぱいだろうと葡萄を食べながら、対岸に行きたくてやっぱり石橋を叩いてみる。
この本には江戸川乱歩賞受賞作の冠がついていた。期待しないわけにはいかない。デビュー作だという、書き出しの文章が練れていないから、出だしは何度もコケそうになったが、半分くらいから勢いがついてしまって、途中で止められなくなってしまった。期待してよかった。簡単に紹介すればスパイもの。
スパイものはこうじゃなくっちゃいけない。おいおい、そういうことなのかとアタマが混乱しそうになったが、主人公視点を外さないストーリー展開のおかげで気持ちが脱線せずにすんだ。表題の意味はいわゆるスリーパー。これ以上の種明かしはしない。どにかく面白かった。ほかの作品を是非読んでみたい。

「椿山」(01年 乙川優三郎 文春文庫)

乙川の作品を前に読んだ気がするが、どうしても思い出せない。乙川はワタシのアタマの中では山本周五郎や葉室麟、藤沢周平らと一緒の棚にはいっていた。
「椿山」は3つの短編と表題作からなる。「ゆすらうめ」は出だしがいい。その1ページだけで乙川の文章に打たれる。「白い月」は女が月と一緒に歩くところがいい。「花の顔」は呆けてしまった意地悪な義母の顔。「椿山」は下級武士の哀しさと矜持を描いた。乙川が師と仰ぐ山本周五郎の世界そのものである。
苦労人であろう乙川の作品をもっと読まねば。さもなくば、このままただの頑固ジジイでおわってしまう。強さと優しさを、潔さを学ばなければならないと、強く思う。

2019年6月23日日曜日

ロバの耳通信「ザ・プロディジー」「THE QUAKE ザ・クエイク」

「ザ・プロディジー」(19年 米)


原題のThe Prodigyは神童のこと。不可解なものの意味もあるらしい。

とにかく、怖い。ポスターの気味悪さもスゴイが。生まれつきの天才と呼ばれた少年は連続猟奇殺人犯の生まれ変わりだったというスジは単純だし、制作スタッフも配役もほぼ無名のメンバーだが、撮影も音楽も演技も最高。スプラッタもほとんどないのに、邪悪というか気味悪さは一流。

パソコンの小さな画面の低画質の動画に、何度も怖さに声を出しそうになったから、大画面と大音響の映画館では見続けられないことを確信。
映画でこんなに怖い目にあったのは「リング」(98年 邦画)以来か。「リング」のリメイク版の新作「貞子」の予告編をチェックしたが、オリジナルには到底追いついていないみたい。

「THE QUAKE ザ・クエイク」(18年 ノルウェー)

大ヒットしたディザスター作品「THE WAVE ザ・ウェイブ」(16年)に味をしめた続編らしく、主演俳優もほぼ同じ。フィヨルドを襲う大津波、暴れ狂う自然災害に翻弄される北国の人々を描いた。壮大なガイランゲルフィヨルドや森の美しさはネット動画で今も見れるが、大画面の映画館で観たかった作品。

「THE QUAKE ザ・クエイク」は、大地震で崩壊した都市を描いた。前半の地震学者が来るぞ、来るぞ大地震がというところが、意外に切迫感がなく中ダレ。後半のビル崩壊からのCGの出来が最高。こういうディザスターものによくある、大勢の人間が下敷きになったりツナミに流されるなんてことはなく、主人公の地質学者(クリストファー・ヨーネル)やその娘(エディット・ハーゲンルッド=サンデ)などほんの数人にスポットを当て崩壊したビルからの脱出劇が、よくできていて同じ脱出劇の昔の映画「ポセイドン・アドベンチャー」(72年 米)を思い出した。

欧米のメジャー作品にもによく出ているノルウェー俳優クリストファー・ヨーネルはこの映画では表情が乏しくつまらない印象だったが、娘役をやったエディット・ハーゲンルッド=サンデの存在感がすごかった。このところずっと感じていることだが、欧米の子役にいい役者が多いような気がする。大人になるとほとんど消えてしまう不思議も。

2019年6月13日木曜日

ロバの耳通信「川の深さは」「慟哭」

「川の深さは」(03年 福井晴敏 講談社文庫)

いやー、まいった。久しぶりにハマる面白さだった。表紙のデザイン、裏表紙の”出版界の話題を独占した必涙の処女作”の文字、講談社文庫ーの3点お好みセットでこの作家のことを何も知らずに、このところ面白い本に当たっていないからなとか思いつつ、軽い気持ちで読み始めたら止まらなくなってしまった。

読み終わって解説やら著者紹介やらで、初めて知ったこと。代表作「亡国のイージス」「ローレライ」「戦国自衛隊1549」みんな映画で見てるじゃないか。なんという不覚。これは、原作を読まねば。

「川の深さは」は、オウム真理教によるテロ、北朝鮮問題、自衛隊と米軍、警察と公安などの我が国の問題を散りばめてしまうのではなく、有機的に繋いでよりメッセージ性のある作品として読ませてくれた。描かれているのは男の矜持であったり、弱いものを守る男気であったりで「男の物語」である。だから、共感度は半端ない。警備員の暮らしやコンピュータウイルス、銃器、攻撃用ヘリなど裏付け知識の裏付けが丁寧にされている分、ページは増えているがその分説得力のある内容となっていて、それが全体の「男の物語」に肉付けをしているため、全く飽きさせない。まいった。



「慟哭」(99年 貫井徳郎 創元社推理文庫)

貫井の小説は出だしがいい。「慟哭」の出だしは”鋭い日差しが彼の眼前に降り注いでいた。”とある。いい映画のドキドキするようなオープニングシーンのようだ。読み終えて、また最初に戻り、出だしを読むと、貫井の文章に込めた気合のようなものを感じることができる。貫井は文章が上手い。しかし、この「慟哭」は食い足りなかった。
ふたつの無関係に見える物語が終盤に重なる展開の仕方は定石でもあるが、それらの別の物語に散りばめた小さなヒントのようなものを捜して終盤を予感するのが読者の楽しみなのだが、ちょっとヒント出し過ぎ。キャラクターの描き方にしても、冷徹無比の捜査一課長が、ただの女好きで挙句の果ては連続殺人犯になるとか、飛びすぎだって。それからね、複数の物語を並行して進めてもいいから主人公を途中で変えると読者は混乱するよ。
警察組織とキャリア・ノンキャリア問題やらカルト教やら当時の流行りモノを中途半端に盛り込んで、ラストに向けて無理にこじ付けてしまったからえらく不自然なミステリー小説になってしまった。あ、文句ついでに、書名と中身がゼンゼンあってないなー、残念。

2019年6月6日木曜日

ロバの耳通信「ハンニバル」「ザ・ドア 交差する世界」「アークティック」マッツ・ミケルセン

「ハンニバル」(13年~ 米テレビドラマ)

映画の品揃えをぐっと増やしたので見ることが多くなった動画サイト「Gyao」で始まったばかりのドラマ「ハンニバル」から目が離せない。同名の原作(00年 トマス・ハリス 新潮文庫)も映画(01年 米)も既に見ているのだが、素晴らしい脚本のせいか新鮮味タップリ。このテレビシリーズの配役はちょっとない。主人公であるFBIプロファイラー役ヒュー・ダンシーがなんとも暗いだけの役柄から脱しきれずにいるのに対し、ワキの精神科医ハンニバル・レクター役のマッツ・ミケルセンの不気味さ、FBI行動科学課ヘッド役のローレンス・フィッシュバーンのあくの強さは、ふたりをこのドラマの実際の主役にしている。

ハンニバル・レクターは「羊たちの沈黙」「レッド・ドラゴン」「ハンニバル」(米映画)を見た時、アンソニー・ホプキンスが文字通り気持ち悪いほどピッタリ役に収まって、レクター博士はこのヒトしかいないと思っていたのだが、マッツ・ミケルセンのレクター博士もなかなかいい。怪しげなものをナイフとフォークで食べているシーンが一層気味悪い。<ハンニバル・レクターを知るには高見浩訳の新潮文庫がお勧めだが、トマス・ハリスの英語は難しい単語もあまり出てず、情景描写が丁寧でわかりやすいので、ハードカバーの原書を薦める。>

マッツ・ミケルセンといえばワタシには忘れられない映画がある。

SF「ザ・ドア 交差する世界」(09年 ドイツ)だ。庭の奥にあるドアを開けるとそこは、5年前の世界。ドアの向こうで忌まわしい過去をやり直し新しい人生を始めようとする。ああでもない、こうでもないと議論を吹きかけられて、えー、答えはないじゃないかーと不満の残るのが典型的なドイツ映画。考え悩むことを楽しむのがドイツの国民性か。アクション満載のただ面白いという映画とは違い、見終わってからずっと後にいろんなシーンを思い出すことの多かった印象深い映画。薦める。

昔よく訪れたドイツでテレビを見てると、深夜放送でよく古い日本映画をやっていた。映画オタクのワタシも知らない映画が多かった。貧乏な武士がお家のために詰め腹を切らされる話とか、戦争中の突撃命令に逆らいジャングルを逃げ回る話とか、出演者の誰も知らない古~いなんだか理不尽さばかりを強調した映画ばかり。吹替じゃなかったから、日本語恋しさに夜中によく見たものだが、ドイツのテレビ映画もそういう「理不尽な」のが多かった気がする。

「ザ・ドア 交差する世界」もその類だが、眉間に皺を寄せたマッツ・ミケルセンの表情が、いかにもドイツ人なのだが、デンマーク生まれだと。まあ、夜が長い北国では同じか。

マッツ・ミケルセンの新作が「アークティック」(19年 デンマーク)の日本公開は今年の冬だと。飛行機事故で北極にひとり取り残された男のサバイバル映画。セリフほぼゼロだが何もない北極の映像美が、自然の厳しさと孤独を際立たせている。大きなスクリーンの映画館でもう一度見たい。

YouTubeでゲームPS4 - Death Stranding  (Hideo Kojima) にキャラ出演したマッツのインタビューを見た。彼のことがますます好きになった。https://www.youtube.com/watch?v=0otXs1LGcp4


2019年6月2日日曜日

ロバの耳通信「小さな旅 横浜美術館」「犬とペンギンと私」

「小さな旅 横浜美術館」

梅雨が近づく気配を感じる曇り空の日曜日。複数の持病があるワタシにとって天敵は梅雨の季節と寒い日。カミさんも最近時々不調を訴えるようになっているから要注意だ。だから、ふたりとも少しでも体調を保っているときに、やりたいことを一緒にやっておきたい。
ということで、久しぶりに電車に乗って「横浜美術館」に。なんだかいい作品にめぐり合うこともなく、ちょっと残念。コレクション展だから美術館がもっている作品をちょっとづつ見せるよ、って感じでアラカルトをちょっとづつ。しかもこの美術館はもともと現代アートに偏っているから、ワタシの好きな印象派前後の油絵とかの展示はなくて、ワタシは退屈して、スマホで作品の写真を撮っている人たちの背中や頭ばかりを見ていた。カミさんは良い絵があったと満足した様子、よかった。


「みなとみらい」の作り物の街を横切ってから、たくさんの人と一緒に動く歩道に乗って、運河の見えるレストランでオニオングラタンスープ<小さかった!>、タコサラダ<香菜とライムが効いていたが量が少なかった!>、シーフードとチキンのパスタ<フィットチーネがおいしかった!>をひとつづつとってカミさんとシェアして食べ<ふたりとも食が細くなった・・>、帰りは少し遠回りして電車を乗り継ぎ、昔住んでた町の商店街で小さな買い物をして帰った。

家に戻ってあの目の大きな女の子の絵を描いたのは何という人だったっけ、とか、あの日本画の色が良かったねとか、結構イロイロ話をしながら一緒に夕食のミネストローネを作り、お昼もイタリアンだったねと。小さな旅は、結構楽しかった。

「犬とペンギンと私」(17年 小川糸 幻冬舎文庫)

犬に恋してしまった女性の日記。犬はあんまり好きじゃないから可愛い可愛いと書かれてもね。カミさんから、旅日記のところが面白いよとのおススメがあり、犬のハナシは飛ばして、インド、パリ、ベルリンの滞在記を読んだ。著者は結構有名な作家らしい、だから旅行先での美食三昧や人々との交流、それもどこかの大使夫妻とか出版社のアゴアシ付きのサイン会の旅とかの大名旅行、ワタシの旅の体験とは正反対。

ワタシの旅は海外出張のスキマを利用した弾丸、節約の旅が多かった。それでも仕事で海外に出る機会が多かったのは旅好き、外国好きのワタシが恵まれていたのだろうけれども。

出張のあいだに半日のスキマがあれば、荷物を空港やらターミナル駅に預け、バスや地下鉄で美術館、博物館、映画や小説の舞台になったところへ出かけ、ひたすら歩き回った。
食事は屋台のサンドイッチ、フランスパンにチーズかハムを挟んだだけか、新聞紙に包んでくれる三角形の脂っぽいピザ。ルフトハンザは早朝や夜の便は、機内食の代わりにサンドイッチを空港で配ることが多くて、2回も3回も並んで弁当にしたり、オーバーブッキングで「ボランティアはいませんかぁ」に応え、あとの便に変更すると帰りは遅くなるけれど空港で使える食券をくれた。

そんなケチケチ旅を実は楽しんでいたから、小川の旅をすこしうらやましくは思っても、本気で憧れたりはしなかった。<これも、負け惜しみっていうのかなー>ホテルの朝ブッフェで腹いっぱい食べながら、昼食用にパンにチーズを挟んだものやゆで卵を紙ナプキンに包んでそっと持ち出したりなんてことは、小川はなかっただろうなー。