2019年6月13日木曜日

ロバの耳通信「川の深さは」「慟哭」

「川の深さは」(03年 福井晴敏 講談社文庫)

いやー、まいった。久しぶりにハマる面白さだった。表紙のデザイン、裏表紙の”出版界の話題を独占した必涙の処女作”の文字、講談社文庫ーの3点お好みセットでこの作家のことを何も知らずに、このところ面白い本に当たっていないからなとか思いつつ、軽い気持ちで読み始めたら止まらなくなってしまった。

読み終わって解説やら著者紹介やらで、初めて知ったこと。代表作「亡国のイージス」「ローレライ」「戦国自衛隊1549」みんな映画で見てるじゃないか。なんという不覚。これは、原作を読まねば。

「川の深さは」は、オウム真理教によるテロ、北朝鮮問題、自衛隊と米軍、警察と公安などの我が国の問題を散りばめてしまうのではなく、有機的に繋いでよりメッセージ性のある作品として読ませてくれた。描かれているのは男の矜持であったり、弱いものを守る男気であったりで「男の物語」である。だから、共感度は半端ない。警備員の暮らしやコンピュータウイルス、銃器、攻撃用ヘリなど裏付け知識の裏付けが丁寧にされている分、ページは増えているがその分説得力のある内容となっていて、それが全体の「男の物語」に肉付けをしているため、全く飽きさせない。まいった。



「慟哭」(99年 貫井徳郎 創元社推理文庫)

貫井の小説は出だしがいい。「慟哭」の出だしは”鋭い日差しが彼の眼前に降り注いでいた。”とある。いい映画のドキドキするようなオープニングシーンのようだ。読み終えて、また最初に戻り、出だしを読むと、貫井の文章に込めた気合のようなものを感じることができる。貫井は文章が上手い。しかし、この「慟哭」は食い足りなかった。
ふたつの無関係に見える物語が終盤に重なる展開の仕方は定石でもあるが、それらの別の物語に散りばめた小さなヒントのようなものを捜して終盤を予感するのが読者の楽しみなのだが、ちょっとヒント出し過ぎ。キャラクターの描き方にしても、冷徹無比の捜査一課長が、ただの女好きで挙句の果ては連続殺人犯になるとか、飛びすぎだって。それからね、複数の物語を並行して進めてもいいから主人公を途中で変えると読者は混乱するよ。
警察組織とキャリア・ノンキャリア問題やらカルト教やら当時の流行りモノを中途半端に盛り込んで、ラストに向けて無理にこじ付けてしまったからえらく不自然なミステリー小説になってしまった。あ、文句ついでに、書名と中身がゼンゼンあってないなー、残念。

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