「リュドミラ・サベーリエワ」Людмила Михайловна Савельева
リュドミラ・サベーリエワはロシアの女優。
初めて彼女を知ったのが映画「戦争と平和」(65年頃 ソ連)。全編6時間半という長編で、日本公開の際は第1部、2部に分けて放映されたらしいが、憶えているのは迫力の戦闘シーンと宮廷舞踏会のリュドミラ・サベーリエワの美しさ。映画は一瞬だが、なぜかポスターも持っていて、ずっと記憶に残っていたのはポスターの顔だったかも。過日、YouTubeであの舞踏会のシーンだけを繰り返し見たが、昔の記憶のまま息をのむほど美しかった。
そのあと「戦争と平和」にかぶれて、緑色の表紙で箱入りの本「世界文学全集21~23 戦争と平和」(72年 トルストイ 中村白葉訳 河出書房)を何年か持っていたて、そのカバーにもポスターからのリュドラの写真があったが、引越しのドタバタでいつの間にか失くしてしまったらしい。ただ、この本のほうは、1,2度読んだきりで、内容の記憶はほとんどない。映画ではDVDでオードリー・ヘップバーンとヘンリー・フォンダの「戦争と平和」(56年 イタリア・米)を見たがヘップバーンのために作られたような映画で、つまらなかった。
次にリュドラを見たのが、「ひまわり」(70年 イタリア・フランス・米)。敗残兵マストロヤンニを雪の中から救い出すロシア少女も美しかった。「ひまわり」は、ソフィア・ローレン、マストロヤンニの押えた演技も良かったしマンシーニの音楽もよかったが、ワタシにとっての「ひまわり」は画面いっぱいにほろがるひまわり畑とリュドラの美しさ。
70年代の後半に、ソ連との関連が深い仕事をするようになって、ロシア語教室に通ったりしてロシア語をモノにしようともしたのだが、習っても教室以外で普段使うことがなく、結局モノにならなかった。そのころどこで見たか忘れたが、「帰郷」(70年 ソ連)にも出ていて、若い兵士が休暇を利用して母親の待つふるさとに帰るという映画で、リュドラを見た気がする。粗い画面で字幕なしの映画で、よくは憶えていないのだが。
リュドラも今年77歳だと。ずいぶん前のことになるが、いちばんきれいなリュドラに会っていたワタシは幸せ。
2019年8月28日水曜日
2019年8月25日日曜日
ロバの耳通信「リベンジ・リスト」「陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル」
「リベンジ・リスト」(16年 米)
太目のジョン・トラボルタが殺された妻の仕返しをする物語。仕返しされる悪い奴は、ギャング、汚職警官はては市長。原題の I Am Wrath は、ギャングにお前は誰だと尋ねられ、「俺は憤怒」だと答えるシーンから。元工作員という設定で、めっちゃ強いから安心して見ていられる。ギャングがワルなのは当たり前にしても、市長やら、警官が本当ワルという設定はアメリカ映画に意外に多い。この映画がメジャーの配給じゃないのは、こういうことが当たり前のことなのかと勘繰ってしまう。「リベンジ・リスト」でギャング役で出演しているルイス・ダ・シルバ・Jrの存在感がすごい。いかにもワルモノという感じの憎々しさは、一度見たら忘れられない顔。
ジョン・トラボルタ、まだ生きていたかと思ったくらい久しぶり。「サタデー・ナイト・フィーバー」(77年)、「グリース」(78年)を見た世代だから、アンチャンのダンサーのイメージが強いが、「パルプ・フィクション」(94年)、「ブロークン・アロー」(96年)、「ソード・フィッシュ」(01年)、「オールド・ドッグ」(09年)、「キリング・ゲーム」(13年)など、ずっと見ている。ほぼ同じ世代だから、近年のワル役とかも、共感を感じながら楽しんでいる。頑張れジョン。
「陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル」(11年 米)
すごい題をつけたものだが原題 The Son of No One のほうがずっといい。でも、「誰かの息子」じゃ映画の題にならないか。
贔屓の引き倒しのような警察機構、殺人、濡れ衣、隠蔽、脅迫とワルが考えることは全部出てくる。ニューヨークの警官の息子に生まれた警官役の主人公チャニング・テイタム(「ローガン・ラッキー」(17年))、上司レイ・リオッタ(いつものワル)、警察トップ役アル・パチーノは主人公の亡父の同僚、主人公の幼友達役トレイシー・モーガンなど、これ以上はないキャスティング。
ストーリーが進むたびに、妻と病気の娘を持つ主人公は追い詰められてゆく。映画に入り込んでいると、自分が追いつめられた気分で、息苦しくなってくる。最後まで救いはない。
なんて映画なんだ。エンターテインメントのつもりで見てると酷い目に遭うぞ。何かを学んだりする映画でもない。窓もない暗い部屋、狭くて、湿っていて、イヤな匂いのするところに押し込められた気分になるぞ、この映画。
太目のジョン・トラボルタが殺された妻の仕返しをする物語。仕返しされる悪い奴は、ギャング、汚職警官はては市長。原題の I Am Wrath は、ギャングにお前は誰だと尋ねられ、「俺は憤怒」だと答えるシーンから。元工作員という設定で、めっちゃ強いから安心して見ていられる。ギャングがワルなのは当たり前にしても、市長やら、警官が本当ワルという設定はアメリカ映画に意外に多い。この映画がメジャーの配給じゃないのは、こういうことが当たり前のことなのかと勘繰ってしまう。「リベンジ・リスト」でギャング役で出演しているルイス・ダ・シルバ・Jrの存在感がすごい。いかにもワルモノという感じの憎々しさは、一度見たら忘れられない顔。
「陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル」(11年 米)
すごい題をつけたものだが原題 The Son of No One のほうがずっといい。でも、「誰かの息子」じゃ映画の題にならないか。
贔屓の引き倒しのような警察機構、殺人、濡れ衣、隠蔽、脅迫とワルが考えることは全部出てくる。ニューヨークの警官の息子に生まれた警官役の主人公チャニング・テイタム(「ローガン・ラッキー」(17年))、上司レイ・リオッタ(いつものワル)、警察トップ役アル・パチーノは主人公の亡父の同僚、主人公の幼友達役トレイシー・モーガンなど、これ以上はないキャスティング。
ストーリーが進むたびに、妻と病気の娘を持つ主人公は追い詰められてゆく。映画に入り込んでいると、自分が追いつめられた気分で、息苦しくなってくる。最後まで救いはない。
なんて映画なんだ。エンターテインメントのつもりで見てると酷い目に遭うぞ。何かを学んだりする映画でもない。窓もない暗い部屋、狭くて、湿っていて、イヤな匂いのするところに押し込められた気分になるぞ、この映画。
2019年8月19日月曜日
ロバの耳通信「昨夜、夢を見た。」「波のうえの魔術師」「うれしい悲鳴をあげてくれ」
昨夜、夢を見た。
会社から出ようと表に出たら、小雨が降っていた。置き傘を漁ろうと建物に戻ったら、同期入社の女のコに声かけられた、もう帰るのとかなんとか。雨をやり過ごすために近くの喫茶店、にしては明るく広かったからレストランかもわからない。大きなホテルのカフェのイメージ。そこで何かを飲んでいるときに、女のコが、ねー、靴を買ったのよと足元を見せてくれた明るい空色のパンプス。
いいね、前の赤いのもよかったけれどと褒めたら、ワタシだって靴くらい変えるわよと、ツンと口を尖らせた顔も笑っていた。
ワタシ、払っとくねとレジに行っていたそのコが、向こうのレジから笑顔で手招き。何かの抽選をやっていて、紅茶のセットが当たったと。これから出張だから荷物になるからあげるよと。紅茶セットの入った紙袋を手に提げて、どこに出張かと聞いているうちに、東北新幹線の隣合わせで座っていた。夢の中で曖昧だが、一緒に行くことになったらしい、なぜか行き先は仙台。(所属も仕事も違うからそのコと一緒に仙台出張なんかありえないと、夢から覚めて気付いた。お昼に見ていた高校野球で仙台育英が大負けしたことがワタシの記憶にあったらしい。)
二人掛けの新幹線のテーブル越しにそのコが、CDケースにいれた絵葉書風の写真集を見せてくれて、こういうところに行きたいねと。宮城の自然を紹介したとてもいい写真で、夢とは思えないほどの鮮やかな色合いだった。
まるっきり、夢ー想像の世界だけれども、短くカールしたそのコの髪やシャンプーの香りまで感じていたから、「なんだか」嬉しかった。
こうやって、書きとめておけば、あとになって、空色のパンプスとか、向こうのレジで笑いながら手招きしていたそのコのことをまた思い出せるのかな。
「波のうえの魔術師」(03年 石田衣良 文春文庫)
まいったな、面白くて。やらなければイケナイ事がたまっていて、本当は本なんて読んでるときじゃないのに、夢中になって読みふけってしまった。ページに指をはさんで、ほとんど片手だけでゴハンを食べたことなんて近年、ついぞなかったのに。”マーケットと恋に落ちた”主人公が、融資付き変額保険で老人たちを食い物にした銀行を相手に、株取引の師匠と共に戦うという青春小説。”絶対に損はさせない”と主人公を通して、石田が読者に約束をしていたが、大儲けだった。
はまってしまう予感がする。石田衣良のすべての本を読みつくしたい欲望が膨らんできている。いかん、いかん、そうばかりもしておられないのだ。
「うれしい悲鳴をあげてくれ」(14年 いしわたり淳治 ちくま文庫)
図書館の貸し出し時間が終わるギリギリに借り出したのは、表紙の写真、ブーツをはいた膝の白さがなまめかしくて気に入ったという理由。
著者は元ロックバンドのメンバーで作詞家、プロデューサーで結構有名な方らしい。短編集の2つほどで挫折。あとがきで鈴木おさむのおすすめの5編のうちトップ3編を追加で読んでみたが、気持ちは変わらず。奥付をチェックしたらほぼ1年で第16刷だというから、結構な売れ行き。ファンなのかこういう本が好きなヒトもいるのだろう。
表紙の写真の膝の白さがとてもいい。
近年、ちくま文庫を読むことがほとんどなくなっている、そんな気がする。
会社から出ようと表に出たら、小雨が降っていた。置き傘を漁ろうと建物に戻ったら、同期入社の女のコに声かけられた、もう帰るのとかなんとか。雨をやり過ごすために近くの喫茶店、にしては明るく広かったからレストランかもわからない。大きなホテルのカフェのイメージ。そこで何かを飲んでいるときに、女のコが、ねー、靴を買ったのよと足元を見せてくれた明るい空色のパンプス。
いいね、前の赤いのもよかったけれどと褒めたら、ワタシだって靴くらい変えるわよと、ツンと口を尖らせた顔も笑っていた。
ワタシ、払っとくねとレジに行っていたそのコが、向こうのレジから笑顔で手招き。何かの抽選をやっていて、紅茶のセットが当たったと。これから出張だから荷物になるからあげるよと。紅茶セットの入った紙袋を手に提げて、どこに出張かと聞いているうちに、東北新幹線の隣合わせで座っていた。夢の中で曖昧だが、一緒に行くことになったらしい、なぜか行き先は仙台。(所属も仕事も違うからそのコと一緒に仙台出張なんかありえないと、夢から覚めて気付いた。お昼に見ていた高校野球で仙台育英が大負けしたことがワタシの記憶にあったらしい。)
二人掛けの新幹線のテーブル越しにそのコが、CDケースにいれた絵葉書風の写真集を見せてくれて、こういうところに行きたいねと。宮城の自然を紹介したとてもいい写真で、夢とは思えないほどの鮮やかな色合いだった。
まるっきり、夢ー想像の世界だけれども、短くカールしたそのコの髪やシャンプーの香りまで感じていたから、「なんだか」嬉しかった。
こうやって、書きとめておけば、あとになって、空色のパンプスとか、向こうのレジで笑いながら手招きしていたそのコのことをまた思い出せるのかな。
「波のうえの魔術師」(03年 石田衣良 文春文庫)
まいったな、面白くて。やらなければイケナイ事がたまっていて、本当は本なんて読んでるときじゃないのに、夢中になって読みふけってしまった。ページに指をはさんで、ほとんど片手だけでゴハンを食べたことなんて近年、ついぞなかったのに。”マーケットと恋に落ちた”主人公が、融資付き変額保険で老人たちを食い物にした銀行を相手に、株取引の師匠と共に戦うという青春小説。”絶対に損はさせない”と主人公を通して、石田が読者に約束をしていたが、大儲けだった。
はまってしまう予感がする。石田衣良のすべての本を読みつくしたい欲望が膨らんできている。いかん、いかん、そうばかりもしておられないのだ。
「うれしい悲鳴をあげてくれ」(14年 いしわたり淳治 ちくま文庫)
図書館の貸し出し時間が終わるギリギリに借り出したのは、表紙の写真、ブーツをはいた膝の白さがなまめかしくて気に入ったという理由。
著者は元ロックバンドのメンバーで作詞家、プロデューサーで結構有名な方らしい。短編集の2つほどで挫折。あとがきで鈴木おさむのおすすめの5編のうちトップ3編を追加で読んでみたが、気持ちは変わらず。奥付をチェックしたらほぼ1年で第16刷だというから、結構な売れ行き。ファンなのかこういう本が好きなヒトもいるのだろう。
表紙の写真の膝の白さがとてもいい。
近年、ちくま文庫を読むことがほとんどなくなっている、そんな気がする。
2019年8月15日木曜日
ロバの耳通信「流星ワゴン」「妖談」
「流星ワゴン」(05年 重松清 講談社文庫)
”死んじゃってもいいかなー”なんて、だれでも1度や2度くらい思ったのでではないか。”アノ時に戻って、やり直しができれば”とかも。ところが、死んでもなにもならないし、ジンセイやりなおしもできないことを、若い頃は薄々、年を取った今はハッキリ知っている。父親と息子の微妙な関係を正直に吐露してくれているから、どっちの気持ちになっても哀しい。死にそうになっているヒトをワゴン車に乗せて追体験させてくれる父子がいいな。なにかでポーンと死んでしまい、わけがわからなくなってしまうのでなく、こうして思い出を反芻させてくれるのならいいなと、マジに思ったりする。重松清って有名な割にはほとんど読んでないことに気付いて、これからちゃんと読んでみようかと。重松を読むのにトシもないだろうけれど、なんだかそんなトシになっていたようだ。
「妖談」(13年 車谷長吉 文春文庫)
”作家になることは、人の顰蹙を買うこと(中略)読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである”(「まさか」)とある。すべてベタベタの私小説の短編集。私には車谷が直木賞を獲った同名の映画「赤目四十八瀧心中未遂」(03年 邦画)以来だが、時間が経ってみると、どんな映画だったかよりこの映画に鶏肉の串打ちを生業とする男が登場していて、同情より、底知れない気味悪さを感じてしまったことを憶えている。映画だけの経験から、この「妖談」に取り組んだから、こんどは文章の力で行き場のない絶望に追いつめられ参ってしまった。ここまで心情をあからさまにしていいのかと驚きつつ、それを薄目をあけながらもしっかり覗き見をしている自分に気付き、周りに人がいないことを確かめで安心したりした。語られるのは、特に女の欲に限りがないこと。掌編「二人の母」、話も子供を折檻して殺してしまう母親の物語だから十分に哀しいのだけれども、そこに引用されている濱野正美という俳人の句が冷たく、憂鬱である。寒さに増して滅入るから、冬に読む作品ではない。
”死んじゃってもいいかなー”なんて、だれでも1度や2度くらい思ったのでではないか。”アノ時に戻って、やり直しができれば”とかも。ところが、死んでもなにもならないし、ジンセイやりなおしもできないことを、若い頃は薄々、年を取った今はハッキリ知っている。父親と息子の微妙な関係を正直に吐露してくれているから、どっちの気持ちになっても哀しい。死にそうになっているヒトをワゴン車に乗せて追体験させてくれる父子がいいな。なにかでポーンと死んでしまい、わけがわからなくなってしまうのでなく、こうして思い出を反芻させてくれるのならいいなと、マジに思ったりする。重松清って有名な割にはほとんど読んでないことに気付いて、これからちゃんと読んでみようかと。重松を読むのにトシもないだろうけれど、なんだかそんなトシになっていたようだ。
「妖談」(13年 車谷長吉 文春文庫)
”作家になることは、人の顰蹙を買うこと(中略)読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである”(「まさか」)とある。すべてベタベタの私小説の短編集。私には車谷が直木賞を獲った同名の映画「赤目四十八瀧心中未遂」(03年 邦画)以来だが、時間が経ってみると、どんな映画だったかよりこの映画に鶏肉の串打ちを生業とする男が登場していて、同情より、底知れない気味悪さを感じてしまったことを憶えている。映画だけの経験から、この「妖談」に取り組んだから、こんどは文章の力で行き場のない絶望に追いつめられ参ってしまった。ここまで心情をあからさまにしていいのかと驚きつつ、それを薄目をあけながらもしっかり覗き見をしている自分に気付き、周りに人がいないことを確かめで安心したりした。語られるのは、特に女の欲に限りがないこと。掌編「二人の母」、話も子供を折檻して殺してしまう母親の物語だから十分に哀しいのだけれども、そこに引用されている濱野正美という俳人の句が冷たく、憂鬱である。寒さに増して滅入るから、冬に読む作品ではない。
2019年8月8日木曜日
ロバの耳通信「いちげんさん」
「いちげんさん」(00年 邦画)
Gyaoでこの映画を。最近のGyaoのがんばりがすごい、タダでたくさんの映画が見れる。PCでもスマホでも。いい時代だなー。100円札を握りしめ、3本立てに通った頃がなつかしい。
鈴木保奈美の最後の主演ということでずっと見たかった作品。オープニングからなんだか違うなと思って気を付けて見ていて、後でチェックしてわかったのが撮影が(やっぱり)日本人ではなかった。原作も、助演の男優も。30半ばの鈴木保奈美は期待通り。盲目の、焦点が定まらない瞳の表情がいい。キレイとも美しいともちょっと違うが、十分に魅力的な女優。スイスからの留学生と京都に住む盲目の女性の恋愛モノ。出来すぎのストーリー設定だが、原作がこうなっているからしょうがない。留学生が卒業論文審査で枝葉末節の日本語の誤りを指摘され、憧れの日本の印象を台無しにされるというシーンは、外国人の日本への偏見や差別を感じて気分は良くなかったが、外国人が考える日本人なんて所詮それが本音なのだろうとも思う。恋愛モノだから、もちろん、別れのシーンで終わる。
鈴木保奈美は「東京ラブストーリー」(91年~ テレビドラマ)以来の大ファン。放送時の頃は仕事で日本とアメリカを行ったり来たりで連続テレビを見ることもなかったが、95年頃だと思うが、台北の秋葉原のようなところで、VCD版(DVDの前は映像をCDに録画されたものをパソコンなどで見た、おもに中国、台湾で普及)のセットを買って、繰り返し見た。明るい帰国子女赤名リカ役の鈴木保奈美が同僚の永尾完治役の織田裕二に「カンチィ」と呼びかけるシーンは今も鮮明に残っている。ちなみに、彼らと三角関係になる織田の同級生役が保母関口さとみ役の有森也実も楚々とした感じで良かった。
当時はカネボウ化粧品のイメージガールとしても売っていたことから日焼けした鈴木の水着姿はメに焼き付いている。
最近ではNHK-BSの連ドラ「主婦カツ!」(18年~ )で元気のいいパートタイマーを演じたが、さすがに52歳。「東京ラブストーリー」の時の挑むような眼差しは求めようもないが、いまも魅力たっぷりのオバサンではある。
Gyaoでこの映画を。最近のGyaoのがんばりがすごい、タダでたくさんの映画が見れる。PCでもスマホでも。いい時代だなー。100円札を握りしめ、3本立てに通った頃がなつかしい。
鈴木保奈美の最後の主演ということでずっと見たかった作品。オープニングからなんだか違うなと思って気を付けて見ていて、後でチェックしてわかったのが撮影が(やっぱり)日本人ではなかった。原作も、助演の男優も。30半ばの鈴木保奈美は期待通り。盲目の、焦点が定まらない瞳の表情がいい。キレイとも美しいともちょっと違うが、十分に魅力的な女優。スイスからの留学生と京都に住む盲目の女性の恋愛モノ。出来すぎのストーリー設定だが、原作がこうなっているからしょうがない。留学生が卒業論文審査で枝葉末節の日本語の誤りを指摘され、憧れの日本の印象を台無しにされるというシーンは、外国人の日本への偏見や差別を感じて気分は良くなかったが、外国人が考える日本人なんて所詮それが本音なのだろうとも思う。恋愛モノだから、もちろん、別れのシーンで終わる。
鈴木保奈美は「東京ラブストーリー」(91年~ テレビドラマ)以来の大ファン。放送時の頃は仕事で日本とアメリカを行ったり来たりで連続テレビを見ることもなかったが、95年頃だと思うが、台北の秋葉原のようなところで、VCD版(DVDの前は映像をCDに録画されたものをパソコンなどで見た、おもに中国、台湾で普及)のセットを買って、繰り返し見た。明るい帰国子女赤名リカ役の鈴木保奈美が同僚の永尾完治役の織田裕二に「カンチィ」と呼びかけるシーンは今も鮮明に残っている。ちなみに、彼らと三角関係になる織田の同級生役が保母関口さとみ役の有森也実も楚々とした感じで良かった。
当時はカネボウ化粧品のイメージガールとしても売っていたことから日焼けした鈴木の水着姿はメに焼き付いている。
最近ではNHK-BSの連ドラ「主婦カツ!」(18年~ )で元気のいいパートタイマーを演じたが、さすがに52歳。「東京ラブストーリー」の時の挑むような眼差しは求めようもないが、いまも魅力たっぷりのオバサンではある。
2019年8月3日土曜日
ロバの耳通信「ザ・ロード」「ザ・ウォーカー」「アイ・アム・レジェンド」「オブリビリオン」
終末期映画の面白さに、自分が破壊主義者じゃないかと疑ってはみるが、落ち着いて考えてみれば、誰も本当のところは知らない事だし、自由なストーリ展開ができる小説や映画の題材としてもってこいなのかも知れない。数えてもキリがないくらいだが、とりあえずお気に入りの4作。なぜか皆、カタカナの題。
「ザ・ロード」(09年 米)
同名のベストセラー小説 (10年 コーマック・マッカーシー ハヤカワepi文庫)の映画化。災害により寒冷化してしまった世界から脱出するため南へ向かう男とその幼い息子。「ロード・オブ・ザ・リング」(01年~)3部作のアラゴルンを演じた名優ヴィゴ・モーテンセンが善良で小心な父親を演じた。先行きの不安に押しつぶされそうになりながらも、息子を気遣う不器用な父親の気持ちが、少ないセリフとともに映像から伝わってきてもどかしくも、哀しい。心に残るいい映画だった、だから原作を読んでみたい。
「ザ・ウォーカー」(原題: The Book of Eli)(10年 米)
デンゼル・ワシントンとゲイリー・オールドマンが出ていて面白くないワケがない。
最終戦争ですべての本が消滅した未来。イーライ(デンゼル・ワシントン)は一冊の本を抱え「本を西に運べ」という啓示のもと意味も分からないままアメリカ大陸をひたすら30年もの旅をする。なんだか、西部開拓時代に新生活を求めて人々が西に向かったことや、三蔵法師が経典を求め、孫悟空らとひたすら西を目指すのに似ている。地球は丸いのに、だ。
街の実力者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)は、イーライが本を持っていると信じ彼を襲う。カーネギーが本に固執するところが、やや意味不明のところもあるが、ストーリーとしてよくできている。イーライは実は盲目で(このへん、かなり無理がある。なぜなら悪漢どもを相手にしてメッチャ強い)西の果てのアルカトラズ島で持っていた点字の聖書を文字にし、聖書にする。つまりは世界に唯一残されていたのは点字版の聖書だったという物語で、イーライがサングラスを外さなかった理由もわかる。
「アイ・アム・レジェンド」(07年 米)
元陸軍中佐で科学者のウイル・スミスが荒廃したニューヨークで愛犬サムと暮らし、ヒトが変異したバケモノをヒトに戻すための血清をつくった科学者というレジェンド(伝説)になる。面白いのが、荒廃し無人となったニューヨークでゴルフをしたり、狩りをするところ。愛犬はそばにいるものの、本当の「一人暮らし」に憧れたりして。
「オブリビリオン」(13年 米)
ジャック(トム・クリーズ)は異星人との核戦争の生き残り。異星人との戦いのなか、偶然見つけたおなじく生き残りのヴィクトリア(オルガ・キュリレンコ、なんて魅力的なんだ)と地球の割れ目の非汚染地区でアダムとイブの暮らしを始める。ジャックもヴィクトリアも実はクローンで、もはや人類とも言えないのかもしれないが、ほかに誰もいない緑あふれる湖畔の小屋にユートピアを見出したふたりがなんだか、うらやましくもある。
「ザ・ロード」(09年 米)
同名のベストセラー小説 (10年 コーマック・マッカーシー ハヤカワepi文庫)の映画化。災害により寒冷化してしまった世界から脱出するため南へ向かう男とその幼い息子。「ロード・オブ・ザ・リング」(01年~)3部作のアラゴルンを演じた名優ヴィゴ・モーテンセンが善良で小心な父親を演じた。先行きの不安に押しつぶされそうになりながらも、息子を気遣う不器用な父親の気持ちが、少ないセリフとともに映像から伝わってきてもどかしくも、哀しい。心に残るいい映画だった、だから原作を読んでみたい。
「ザ・ウォーカー」(原題: The Book of Eli)(10年 米)
デンゼル・ワシントンとゲイリー・オールドマンが出ていて面白くないワケがない。
最終戦争ですべての本が消滅した未来。イーライ(デンゼル・ワシントン)は一冊の本を抱え「本を西に運べ」という啓示のもと意味も分からないままアメリカ大陸をひたすら30年もの旅をする。なんだか、西部開拓時代に新生活を求めて人々が西に向かったことや、三蔵法師が経典を求め、孫悟空らとひたすら西を目指すのに似ている。地球は丸いのに、だ。
街の実力者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)は、イーライが本を持っていると信じ彼を襲う。カーネギーが本に固執するところが、やや意味不明のところもあるが、ストーリーとしてよくできている。イーライは実は盲目で(このへん、かなり無理がある。なぜなら悪漢どもを相手にしてメッチャ強い)西の果てのアルカトラズ島で持っていた点字の聖書を文字にし、聖書にする。つまりは世界に唯一残されていたのは点字版の聖書だったという物語で、イーライがサングラスを外さなかった理由もわかる。
「アイ・アム・レジェンド」(07年 米)
元陸軍中佐で科学者のウイル・スミスが荒廃したニューヨークで愛犬サムと暮らし、ヒトが変異したバケモノをヒトに戻すための血清をつくった科学者というレジェンド(伝説)になる。面白いのが、荒廃し無人となったニューヨークでゴルフをしたり、狩りをするところ。愛犬はそばにいるものの、本当の「一人暮らし」に憧れたりして。
「オブリビリオン」(13年 米)
ジャック(トム・クリーズ)は異星人との核戦争の生き残り。異星人との戦いのなか、偶然見つけたおなじく生き残りのヴィクトリア(オルガ・キュリレンコ、なんて魅力的なんだ)と地球の割れ目の非汚染地区でアダムとイブの暮らしを始める。ジャックもヴィクトリアも実はクローンで、もはや人類とも言えないのかもしれないが、ほかに誰もいない緑あふれる湖畔の小屋にユートピアを見出したふたりがなんだか、うらやましくもある。
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