2019年9月26日木曜日

ロバの耳通信「天気の子」

「天気の子」(19年 邦画)

いただきものの映画券の使用期限が迫っていて、何を見ようか散々悩んで「天気の子」。カミさんは怖いのと悲しいのはイヤだというし、私はブラピの新作「アド・アストラ」を主張したのだが、確かにSFはカミさんの趣味じゃない。で、アニメだけれど話題作だからいいかと。平日とはいえ空席だらけの映画館は快適で、初体験のLサイズのポップコーンを抱えての久しぶりの映画会だった。

終わったあとの、カミさんとの批評会。音楽が良かったけど、音楽がなかったらどうだったかね。実写じゃないせいか、風景や表情から伝わるはずの感情とかがあんまり伝わらなくて、残念だったね。と、ワタシと同じ映画評。
「天気の子」で、監督も気合を入れたと思う雨のシーン。水の表現とかも、やっぱりアニメの限界かな。本物の雨の情景から感じられる、雨の匂いとか雨に叩かれた、葉っぱや水たまりの匂いとかを一生懸命嗅ごうとしたんだけどね。

明け方、夢に出てきた職場にいた笑顔がいい女のコに近づいて、するはずのいい匂いがしないことから夢だと気づいてしまって眼をさまし、だんだん明るくなる部屋のなかで、「天気の子」の雨も、何の匂いもしなかったとあらためて思い出した。そんなものをアニメに求めちゃいけないのだろうけれども、カミさんがずっと言っていた、何かが伝わってこないんだよねという残念さは、CG映画の「アリータ:バトル・エンジェル」(19年 米)の時も感じたね、確かに。

この前に見た「キングダム」(19年 邦画)より良かったと、これも同意見。まあ、アレはアレで面白かったけど。

同じ新海誠の「君の名は。」(16年)と重なるところがあったかな。ストーリーに乗っかって主題歌が映画の進行役になるところとか。「天気の子」で使われていた、映画の技法なのだろうか。画面の切り替えのフィルムマークのかわりに、画面が突然暗くなって、音もしない、ほんの1-2秒の間、思わず息を止めてしまった。また映画が始まり、ほっとした。そんなことが何度か。うん、映画館で見れてよかった。

2019年9月23日月曜日

ロバの耳通信「女がそれを食べるとき」「時が滲む朝」

「女がそれを食べるとき」(13年 楊逸<ヤン・イー>選 幻冬舎文庫)

女流作家による”食と恋”の小説集。軽い気持ちでは読めない。どの作品も切迫して苦しかったり、哀しい気持ちになったりする。女性は食べることと恋愛することを連続して、あるいは区別しないでおけるものなのか。怖い気がする。
男が考える理想の女を男より的確に表現できるのが女だなんて、悔しい気がする。ずるい、ずるいと大きな声で文句を言いたくなる。

カミさんに、これはいい本だよ、なかなかこういう本はないよと言ったら、またかよという顔をされ(ワタシがすぐに感動したり、感激するのをカミさんに読まれてしまっている)、ソレ、ワタシが借りてきた本よと逆襲された(またもや、そうだったのか)。

9の掌編の最初の「サモワールの薔薇とオニオングラタン」(井上荒野)のラストは驚きで声をあげそうになったし、「晴れた空の下で」(江國香織)では6ページにも満たない超短編に、老いることがみじめで悲しいことばかりでないと感じたし、「家霊」(岡本かの子)や「贅肉」(小池真理子)は朗読サイトで何度も聞いた作品ながら、真っ白ではない行間と行間の間の文字を追いながら読み進める楽しさを「また」感じた。2編(幸田文、河野多惠子)は何度も読んでいたから、さらに1編は作家がキライだから飛ばし、「間食」(山田詠美)にヒト(過食症の姉)の不幸は蜜の味を味わっているうちに自分も不幸になってしまった妹に同情し、「幽霊の家」(よしもとばなな)では、貧乏人には決して育たない感性豊かなよしもとワールドをたっぷり楽しめた。


「時が滲む朝」(11年 楊逸<ヤン・イー> 文春文庫)

日本語を母国語としない作家としては初めての芥川賞受賞作だという。人物の描き方や物語の構成で不満が残る。衒ってまでこの作品に賞を捧げた審査員の良識を疑う。

2019年9月18日水曜日

ロバの耳通信「花、香る歌」「ザ・ガンマン」

「花、香る歌」(16年 韓国)

韓国の「国民の初恋」ぺ・スジ主演で、スジのために作られた映画。こういう映画を見ると、普段陰湿なノワールモノばかりを選んでみている韓国映画と同じところで作られたとは思えないくらい。女は参加できないといわれてきた韓国の伝統芸能パンソリ、まあ日本の田舎歌舞伎みたいなものか、の歌い手を目指した少女の物語。

映像は美しく、抒情的なストーリーで、スジをより可愛く表現している。女性ボーカルグループMiss Aのメンバーだから歌もうまい。腹の底から声を出すパンソリの歌い手だから、半端なくうまい。スジの師匠役のリュ・スンリョンが権力と出自の貧乏の挟間で苦しみ哀愁ある歌を歌う中年男を演じていて、忘れられない映画になった。 うん、スジは可愛い。実に可愛い。

「ザ・ガンマン」(15年 米ほか)

西部劇のような題名の映画でショーン・ペンの主演、あまり売れなかった映画ーという記憶だけがあったが、ショーンの大ファンだし、ということで。元特殊部隊狙撃手の復讐劇で、コンゴ内乱と鉱物資源を狙う国際組織などオモシロ要素を散りばめ、4か国の共同制作、配給はフランスの有料テレビ配給会社Canal+、配役も各国から往年の俳優をかき集めた。西部劇なみのドンパチでショーン大活躍のアクション映画と割り切り、面白く見た。なぜ、ザ・ガンマン(原題: The Gunman)なんておかしな題にしたのか不明。原作の「眠りなき狙撃者」(14年 ジャン=パトリック マンシェット 河出文庫) のほうがずっと良かったような気がする。

ラスト近く主人公がスペインの水族館の迷路のような水処理場で追いまわされるところが、あの名作「マラソンマン」(76年 米)で主演のダスティン・ホフマンがセントラル・パークの排水処理場で追いつめられるシーンとソックリ。米映画批評サイトRotten Tomatoesではボロクソ(4.4/10)の評価だったが、ワタシは面白かったよ。

2019年9月14日土曜日

ロバの耳通信「84★チャーリー・モピック ベトナムの照準 」「テイク・シェルター」

「84★チャーリー・モピック ベトナムの照準 」(88年 米)

偵察作戦に同行した軍の映画カメラマンの目でGIたちを情緒豊かに描いている。映画の最後には小隊メンバーのほとんどを失い、カメラマンも死んでしまうのだが、ほぼ同年に多数公開された「プラトーン」(86年)、「ハンバーガー・ヒル」「フルメタル・ジャケット」(87年)、「7月4日に生まれて 」(89年)ほどの悲惨さはない。高揚でも反戦でもない、この映画、「バット★21」「ブラドック/地獄のヒーロー2、3」(85年、88年)などと同じく、中途半端さになんだか落ち着かない。

ベトナム戦争を題材にした映画で最も記憶に残っているのがオリバー・ストーン監督の「天と地」(93年)ベトナム難民生まれで若くして亡くなったヘップ・ティ・リーとトミー・リー・ジョーンズの悲恋物語で話題にはなったが、哀しすぎて売れなかった映画だ。




「テイク・シェルター」(11年 米)

妻と耳に障害を持つ娘と平凡な暮らしをしていた工事現場で働く男が竜巻に襲われる夢を見て、その恐怖に囚われてしまい、ついには自宅にシェルターを作るという物語。
統合失調症というのだろうか、悪夢と脅迫観念の連続に仕事も失ってしまうのだが、名優マイケル・シャノン演じるこの男。統合失調症だったという母親の遺伝も心配しつつ、自らの不調にも追いつめられてゆく迫真の演技がいい。監督・脚本のジェフ・ニコルスの力もあるだろうが、妻役を演じるジェシカ・チャステインの演技が光っている。ラストで竜巻に襲われるシーンがでてくるが、これが本当に竜巻なのか、男のココロの中のできごとなのかわからない。
時代設定が明らかではないが、アメリカの田舎町で生きる平凡な家族の暮らしが描かれている。日曜には教会に行き、実家で老夫婦を入れての食事。親の時代からお世話になっているホームドクター、ママ友たちとのパーティー、医療保険の仕組みやら薬局でのやりとりなど「普段着のアメリカの暮らし」が、90年代にアメリカで暮らしたことのあるワタシには懐かしかった。情景は懐かしい映画だが、精神的にまいってゆくマイケル・シャノンの表情が辛すぎて、また見たいとは思わない。
多数の映画賞を獲得しながらも、興行的には失敗作と言われているのは、この暗さのせいか。

2019年9月6日金曜日

ロバの耳通信 あきらめた2冊「リピート」「ROMMY 越境者の夢」

「リピート」(07年 乾くるみ 文春文庫)

時間ループ、というのらしい。要は時間を行ったり来たりができることで、まあタイムマシンのようなものか。こういうものには時間をさかのぼると、未来が変わるというパラドクスについて長い説明があるのだが、この本でもグダグダ書いてあった。

解説によれば、時間ループを題材にした同じような小説は沢山あるらしい。登場人物がひとり減りふたり減りするのもよくあること。裏表紙には「リプレイ」+「そして誰もいなくなった」に挑んだとある。何だ、パクリかと。こういうとんでもない話は、最初に考えた作家は偉いと思うのだが。とにかく、この「リピート」は時間ループを正当化させるのに時間をかけていて、やたらと理屈っぽい。登場人物の描き分けもいいかげんで、なにより脚本がキチンと書けていない映画のように、成り行きだけで進んでゆくから退屈このうえない。500ページの長編だがガマンしてやっと140ページ、本当ならここらで面白くなるはずのところに行きつかず放棄してしまった。
時間ループと似たハナシだったら、記憶が一日でリセットされるという病気にかかった女性と彼女に恋をした青年が毎日恋に落ちるという「50回目のファーストキス」(18年 邦画)がよかった。この映画では、記憶が一日でリセットされる病気に小難しい理屈を付けず、事故の後遺症とサラっと言ってしまっているから、そっちはどうでも良くなって、毎日恋に落ちるふたりの真剣さ(ワケよりナカミ)を祝福したくなった。

「ROMMY 越境者の夢」(98年 歌野晶午 講談社文庫)

また、失敗してしまった。夕刻の図書館、「もうすぐ閉館しますので貸し出しの方は急いでカウンターに」の声を聞いて、タイトルと講談社文庫の背表紙、新しい文庫本ということだけで、よく見ずに掴んで借り出してしまった。家に着いて、さてどれから読むかと借り出した本を広げていて気付いた。「ゲッ、歌野晶午ではないか。」いままで何冊もチャレンジしていて、どの本も出だしのせいぜい数十ページで放棄していた作家だ。そういう偏見が私の頭に刷り込まれていたせいか、この本も50ページと進まないうちに嫌気がさして放棄。ROMMYというミュージシャンが殺され、犯人は誰かというまあ、ミステリー小説らしかったのだが。
歌野の小説の何がイヤなのか、どう気に入らないのか自分でも全く説明できない。相性を言うほど深く付き合ったわけでもない。私も先行きそう長くはないし、読みたい本はいくらでもあるから、気に入らない本は読まなければいいと自分に言い聞かせてはみるのだが、いかにも寝覚めが悪い。まいったな。

2019年9月3日火曜日

ロバの耳通信「ザ・シークレットマン」「暁に祈れ」

「ザ・シークレットマン」(17年 米)原題 Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House

リーアム・ニーソンがFBI副長官マーク・フェルトを演じた。マーク・フェルトは、ウォーターゲート事件の真相を新聞社にチクってニクソン大統領を辞任に追い込んだ密告者”ディープ・スロート”。ポスターの釣りは”権力には屈しない 相手が大統領であっても”と、ヒーローのような扱いをしているが、映画を見たワタシの印象はかなり違う。融通の利かないFBIのNo.2が、急死したフォーバー長官の後釜になれなかったことを逆恨みして、秘密を暴露することで腹いせーというのがこの映画がウラで最も表現したかったことではなかったか。


FBI内でも人気がなくパワハラしまくりのマーク・フェルトを演じたのが暗い印象のリーアム・ニーソン。不幸な生い立ちから、外で苦労している夫に嫌味三昧のダイアン・レイン。こんな奥さんだったら、FBIのNo.2という要職でも、プール付きの大邸宅に住んでても、そりゃストレス溜まって、どこかにハケグチを求めるだろうと、実直役人に同情してしまった。リドリー・スコットの名前があったが、監督じゃなく製作だと。リドリーらしい切り口はどこにも見えなかったから、看板だけ売ったか。アクの強い官僚(マートン・チョーカシュ、トニー・ゴールドウィンとかほかの映画でもだいたいワルモノ役)が活躍する。面白かったが、なんだか後味の悪い映画だった。

「暁に祈れ」(17年 英仏)

タイでヤクザな暮らしを送っていた英国人ボクサーのビリー・ムーアが麻薬所持で刑務所に入れられ、そこでムエタイを学び更生のキッカケを得るという実話に基づく。辛口で知られる映画批評サイトで96点という高スコアを得た映画ということで多いに期待して見た。ドキュメンタリーだから奇抜なストーリー展開なんかはないが、タイの刑務所は地味に恐ろしい。言葉も通じない途上国の刑務所で、全身入れ墨のキタナイ男たちに囲まれるなんてゾッとする。

主演のジョー・コールは英国では結構メジャーな俳優。監視ロボットを通じて地球の反対側にいて遠距離交際する男女を描いた「きみへの距離、1万キロ」(18年 カナダ)が良かった。同名だが、元イングランド代表でアメリカのプロサッカーリーグで活躍しているジョゼフ・ジョン・"ジョー"・コールは別人。

あのカルロス・ゴーンは拘置所では個室暮らしだったというから、タイより多少はいいにしろ、いままでの王侯貴族のような暮らしだったろうから、そりゃ辛かったろう、同情はしないが。

「暁に祈れ」(原題 A Prayer Before Dawn )、なんだか聞いた気がした。同じような名前の映画とかがあったかと調べてみたら、征戦愛馬譜という副題のついた戦時映画「暁に祈る」(40年 邦画)とその主題歌(伊藤久男)があるらしい。