2019年9月23日月曜日

ロバの耳通信「女がそれを食べるとき」「時が滲む朝」

「女がそれを食べるとき」(13年 楊逸<ヤン・イー>選 幻冬舎文庫)

女流作家による”食と恋”の小説集。軽い気持ちでは読めない。どの作品も切迫して苦しかったり、哀しい気持ちになったりする。女性は食べることと恋愛することを連続して、あるいは区別しないでおけるものなのか。怖い気がする。
男が考える理想の女を男より的確に表現できるのが女だなんて、悔しい気がする。ずるい、ずるいと大きな声で文句を言いたくなる。

カミさんに、これはいい本だよ、なかなかこういう本はないよと言ったら、またかよという顔をされ(ワタシがすぐに感動したり、感激するのをカミさんに読まれてしまっている)、ソレ、ワタシが借りてきた本よと逆襲された(またもや、そうだったのか)。

9の掌編の最初の「サモワールの薔薇とオニオングラタン」(井上荒野)のラストは驚きで声をあげそうになったし、「晴れた空の下で」(江國香織)では6ページにも満たない超短編に、老いることがみじめで悲しいことばかりでないと感じたし、「家霊」(岡本かの子)や「贅肉」(小池真理子)は朗読サイトで何度も聞いた作品ながら、真っ白ではない行間と行間の間の文字を追いながら読み進める楽しさを「また」感じた。2編(幸田文、河野多惠子)は何度も読んでいたから、さらに1編は作家がキライだから飛ばし、「間食」(山田詠美)にヒト(過食症の姉)の不幸は蜜の味を味わっているうちに自分も不幸になってしまった妹に同情し、「幽霊の家」(よしもとばなな)では、貧乏人には決して育たない感性豊かなよしもとワールドをたっぷり楽しめた。


「時が滲む朝」(11年 楊逸<ヤン・イー> 文春文庫)

日本語を母国語としない作家としては初めての芥川賞受賞作だという。人物の描き方や物語の構成で不満が残る。衒ってまでこの作品に賞を捧げた審査員の良識を疑う。

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