2019年12月27日金曜日

ロバの耳通信「異人たちの館」「獣眼」

「異人たちの館」(16年 折原一 文春文庫)

著者によるあとがきでこの作品を自ら”マイベスト”だと言い、解説でも”著者畢生の傑作”だと。93年の単行本(新潮社)以降、一次(96年 新潮文庫)、二次(02年 講談社文庫)を経ての第三次文庫だと。著者の思い入れも強いようで、書評も良かったのだがワタシにはさっぱり。600ページの長編のレトリックはただ目まぐるしく落ち着かず、楽しむことができなかった。自分にはこのテのミステリーを読みこなせるほどの読解力がないのだという言い訳をするしかない。
富士の樹海に消えた、幼い頃には天才と呼ばれた作家の伝記をその母親から依頼されたゴーストライターの著作メモ。大金持ちの未亡人やら絶世の美少女やらが出てくる、江戸川乱歩風探偵ミステリー小説は、著者がこの本を自らの楽しみとして書いたと確信する。時間をかけて練り込んだレトリックは、本編と枝葉の境を曖昧にし、著者と一緒に耽溺の野を歩まなければ楽しみを共有化できないのだろう。しかし、ワタシの読書は、小説の主人公や脇役になり切って、その世界を楽しむことを旨とする。映画もそうだ。ワタシがそこで著者や脚本家や映画監督になることはない。
著者の自信作だというこの作品に、充分に懲りた。だから折原一を手に取ることはもはやない。


「獣眼」(15年 大沢在昌 徳間文庫)

折原一の「異人たちの館」ではレトリックについて行けず迷っただけだった。大沢の「獣眼」は、脇道が一切ない。主人公のボディーガード・キリになって、物語の上を走ってればいい。行きどまりもレトリックもない。

”神眼”と呼ばれる予知能力についても、大沢の作品では違和感もなく受け入れられる。それは、キリが守る少女の力であって、自分にないことで羨ましくなったりはしない。少女を守りながら、600ページを超える長い物語を走ることそのことが快感である。少女が生意気だけど可愛いということも、超能力を持っていようが、持っていまいが、守ると決めた男の矜持に共感を憶えるのだ。大沢の小説が小難しいことを言わず、楽しめるエンターテインメントだと感じさせるお気に入りの作品。

2019年12月22日日曜日

ロバの耳通信「アイリッシュマン」「暗黒街」

「アイリッシュマン」(19年 米)原題 The Irishman

全米トラック運転組合委員長のジミー・ホッファの暗殺犯フランク・シーハンの伝記映画。
アイルランド系の一介のトラック運転手からマフィアの殺し屋になったシーハンをロバート・デ・ニーロ、シーハンの才能を見出しホッファに引き合わせるマフィアの幹部ラッセル・ブファリーノにジョー・ペシ、マフィア幹部でもあったホッファにアル・パチーノの3大ジジイ名優に加え、監督がマーチン・スコセッシの3時間30分の超大作。長編を感じさせない面白さだが、原作はチャールズ・ブラントのノンフィクション小説「I Heard You Paint Houses」(04年)だと(wiki)。映画のモノローグと初対面のホッファとシーハンの会話で”君は家のペンキを塗るんだってな”の問いに、”そうです”という会話のシーンがあるが、”(自分で)家のペンキを塗る”というのは”殺しを引き受ける”の隠語らしい。


シーハンが暗殺されたとされているのが75年だから、そう昔のハナシでもなくハナシの中心は60~70年代か。半世紀前のアメリカの大都会はこうだったのかとか、道の両側に泊まっている車がいわゆるクラッシックカーなのが興味深かった。
この映画で改めて認識させられたのが、イタリアンマフィアがなによりメンツを大切にすることと、マフィア同士の”兄弟”のつながりや家族のつながりの強さ。アイリッシュマンが、イタリアンマフィアとのつきあいで、すっかりイタリアンになってしまうこと。もっとも、デニーロのニヤニヤ顔はそのまま、ギャングの顔なのだが。
この映画で唯一残念だったことが、3大ジジイ名優があまりにも歳をとりすぎていること。晩年のシーンはとにかく、若い頃のシーンはメーキャップが大変だったろうと。若い人をジジイに変装させるより、ジジイを若作りするには限界があるな。

昔、広州交易会に行った際、近くに中国事務所長がいるから挨拶しといたほうがいいよと同僚に言われ、当時中国事務所があった中国飯店に。所長はすこし気難しい感じのヒトだったが、ロバート・デ・ニーロというアメリカの名優に似ていると云ったら、映画とかは殆ど知らないヒトらしく、どんな俳優かと。ググって、俳優の顔をスマホで見せる時代ではなかったから、とにかくいい男ということを強調したら、やたら陽気になって、帰りにお土産まで持たせてくれた。それ以来、その所長とは会っていないが、デ・ニーロを見るたびに思い出す。

「暗黒街」(15年 伊・仏)原題 Suburra

ローマのSubbrraという場所の再開発による利権に群がる、政治家、イタリアンマフィア、ジプシーギャング、聖職者らの入り乱れての抗争を描いたクライム・ノワール。フランスが絡んだ映画にしては、ウイットも何もない真っ黒けのストーリー。ワルモノたちのほとんどは死んでしまうが、最後にボスキャラ「サムライ」をジャンキーの娼婦が始末。たぶん、続編はこの娼婦が主人公になるのかな。脚本が雑なのか、ストーリーに脈略がなく、2時間強はやや長すぎ。
前半で、3Pプレイ中にヤクの過剰摂取で死んでしまう若い娼婦役のコがメッチャ可愛くて、そこだけ2度見してしまった。



2019年12月16日月曜日

ロバの耳通信「交渉人」「殉狂者」「美ら海、血の海」

「交渉人」(08年 五十嵐貴久 幻冬舎文庫)

五十嵐作品は、出会い系女子にストーキングされる会社員を描いてホラーサスペンス大賞を獲った「リカ」(02年 幻冬舎)以来、久しぶり。「リカ」も追いつめられてゆく切迫感に現実味がありめっちゃ怖かったが、この「交渉人」では終章で意外な犯人が医療錯誤で我が子を失った喪失感と権力への無力感を語ったとき、「確かにこういう目にあったら、殺しでも何でもやっちまうだろうな」と思いっきり犯人に共感してしまった。


タイトルの「交渉人」の通り、ストーリーは交渉人(ネゴシエータ)の警視正とその弟子の女警部の甘酸っぱい物語から始まり、全編が大方を病院に立てこもった犯人と交渉人の緊迫したやり取りに割かれ「映画のように」面白い。たしか、こういう映画も何作か見たぞ。とにかく、やり取りのなかに散見された不自然さが、とんでもないラストの伏線だったと知る。うん、なかなか。弟子の交渉人の卵の女警部が主人公となる「交渉人シリーズ」が何冊かあるらしいので、ちょっと読んでみたい。

「殉狂者」(14年 馳星周 角川文庫)

馳の小説が面白くないと感じ出して気付いた。うん、みんな面白いなんて勝手に思い込んでいただけなのだと。「不夜城」シリーズ(98年~ 角川文庫)、「漂流街」(00年 徳間文庫)、「M」(02年 文春文庫)などなど、ずっと夢中になるほど面白くて、いつのまにか馳の大ファンになっていたから、過度の期待があったのに違いない。「殉狂者」上下巻で1200ページの厚さ。表紙のノアール感。図書館から借り出したときも、いい天気の暖かな冬の日だったからすぐに読まず、早く読みたい気持ちを抑えて落ち着いて読める雨の日を待っていたほど。

スペインでテロリストとなった日本赤軍シンパの父の足跡を追う元柔道スペイン代表の日系人の物語。71年頃の父親の物語と05年頃の息子の物語が同時にスタート、馳らしい冒険談の語り口でストーリーが展開する。読み進める中で、何度も、何度も、そろそろ面白くなる筈と期待したのだが。この不満と不安は結局最後まで燻ぶったままになった。元々は「野生時代」(角川書店)という小説誌に3年半にわたり連載されたものだという。連載モノを舐めて言うわけではないが、ああ、それがこの退屈さの原因だったのかと、ひとりごつ。

「美ら海、血の海」(13年 馳星周 集英社文庫)

戦争体験のあるもの者でなければ戦争小説は書けないのだろうか。14歳の少年の悲惨な沖縄戦体験記に仕立て上げ、題名に沖縄名所の美ら海をつけセリフをつなぎ、丁寧にも東日本大地震の味付けも。読書メーターの評価はいいから、問題があるのはワタシの方か。それにしても、だ。馳星周、結構読んだけどコレは最低。文庫書下ろしだと。うーん、これ以上何も言えない。とにかく、薦めない。


2019年12月12日木曜日

ロバの耳通信「アド・アストラ」

「アド・アストラ」(19年 米)原題:Ad Astra

題の意味はラテン語で「星に向かって」で、「困難を乗りこえて」という慣用句に使われるらしい。
宇宙飛行士(ブラッド・ピット)が、約30年前に知的生命探査機で冥王星に行って行方不明になった父親(トミー・リー・ジョーンズ)を探しに行くという物語。
父親にめぐり合えたかとか、父親が知的生命体に会えたかとか、宇宙旅行などについてのなんだか説明のつかないいい加減さとかも少し気になるが、ここで語られるのは幼い時に父親不在になった少年の心の傷。そのためか、大人になっても他人を受け入れることができず、妻(リブ・タイラー)との関係もおかしくなっている。
幼いときに父親を失ったブラピが、モノローグ(映画の中では、精神状態をコンピュータ診断を受けるために、気持ちをマイクに)で語るところには涙がでそうになった。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(19年 英米)での、ほかの誰でもよかった役柄に比べ、ずっと、ずっと良かった。父親の古い友人として、途中までブラピと宇宙旅行に同行する役のドナルド・サザーランドとか、何人か有名な俳優を配しているのだが、ほぼブラピだけの映画といっても良いくらい。

ブラピの妻役のリブ・タイラーは、途中のテレビ電話の映像と、ラストだけしかでてこないチョイ役だが、この女優の大ファンであるワタシには、初恋のヒトに会えたようだった。「アルマゲドン」(98年 米)でブルース・ウイルスの娘役をやったときの、あの輝くような美しさを忘れることができない。<あちこちで、同じことを書いたような気がするが>

2019年12月6日金曜日

ロバの耳通信「無宿人別帳」「ジャックナイフ・ガール」「時限病棟」

「無宿人別帳」(96年 松本清張 文春文庫)

手にとることが何度目になるのだろう。初出「オール読物」(52年)だというし、初めて読んだのが10代で、単行本だった記憶があるから古い付き合いだ。

この短編集の主人公は皆、理不尽に苦しめられる男たちばかりである。これでもか、これでもかと理不尽にいたぶられる。よくこれだけ哀しい物語が書けるものだと思う。これより、マシだ、こんなに不幸ではないと感じる。こういう幸せの感じ方もあってもいいのだろう。

松本清張の小説に幸せいっぱいなんて人は出てこない。松本清張が好きなのは、暗い所から明るい方を見たいからなのかもしれない。

「ジャックナイフ・ガール 桐崎マヤの疾走」(14年 深町秋生 宝島社文庫)

深町秋生の小説はメッチャ面白いか、ゼンゼン面白くないかのどっちか。これはメッチャ面白いほう。近未来の荒廃した東北が舞台。不良少女”切り裂きマヤ”が痛めつけられながらも活躍するクライム。ノベル5連作。10代にも見える、細身、ムネぺったんの可愛いコらしい、読みながら、思わず頑張れ~のエールを送っている自分に気付いた。

「時限病棟」(16年 知念美希人 実業之日本社文庫)

初めて読む作家では著者紹介をチェックする習慣がある。現役の医者だと。大いに期待。裏表紙の作品紹介では”大ヒット作「仮面病棟」(15年)を超えるスリルとサスペンス。圧倒的なスピード感”だと。唯一ひっかかっていたのが、作者の名前。沖縄出身だから知念はあるにしても、美希人は凝ったペンネームくさい。凝ったペンネームをつけた推理小説作家は面白くない、というのがワタシの持論。調べてみたが、本名かどうかは未だに不明。
出だし好調。文章はうまい。調子に乗っていたら24ページ目にクラウンの絵。おいおい、謎解きゲームか、と訝りながらも読み進めたら、やっぱり謎解きゲーム。実はパソコンゲームも謎解きは好きじゃない。読み進めるたびに、そろそろ犯人はわかったかね明智くんと聞かれている気分。舞台設定も登場人物もストーリー展開も作者のアタマの中でひねくりまわされて作られたと分かるから、そんなものに付き合いきれないと半分も進まないうちに棄権。読書サイトで真犯人に至るネタバレをチェックしたけれど、ああそう、くらいの感想。
途中までしか読んでいないので何かを言うのは卑怯だとは思うが、残り少ないワタシの読書人生、つまらないと感じる本につきあうつもりはない。

2019年12月1日日曜日

ロバの耳通信「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(19年 米英)原題 Once Upon a Time in Hollywood

シャロン・テート事件(69年 ハリウッド女優がカルト集団マンソン・ファミリーに殺害された)の時代、売れなくなってきた西部劇俳優役のレオナルド・ディカプリオ、そのスタントマン役ブラッド・ピットを中心に、古き良きハリウッド黄金時代を描いている。監督クエンティン・タランティーノ、名優ふたりの初共演がウリ。シャロン・テート役の豪女優マーゴット・ロビーの色っぽいことにはまいった。

アメリカで7月26日公開、3日間で興行収入4千万ドルの興行収入を上げる大ヒット、日本では8月30日の公開、2カ月で11億円の興行収入の大ヒットだと。ネットでの評判も結構良くて、期待していたのだが。面白いと感じなかったワタシの僻みだろうが、ハリウッドのあるアメリカならとにかく、日本で大好評だったのが不思議。確かに日本の映画評論家など、映画に一言あるひとたちがこぞってタランティーノ監督を押し、面白いというウワサにミーハーの日本人が乗っただけな気もする。だから、ロングランはないだろーな。

そういうワタシも、クエンティン・タランティーノ監督作品を多く見てきたし、かなりのファンだと思っていた。
「レザボア・ドッグス」(92年)、「パルプ・フィクション」(94年)、「キル・ビル 1&2」(03、04年)と見続けてきて、「イングロリアス・バスターズ」(09年)で躓いた。ブラピ演じるアメリカ軍将校がナチスの兵士を撲殺、火あぶりにするという胸糞が悪くなるグロ。それでも、それまでに見てきた映画が面白かったから、それでもまだタランティーノファンだと自負していたのに。

「ジャンゴ 繋がれざる者」(12年)、「ヘイトフルエイト」(15年)で感じていた、マイナー映画監督タランティーノのハリウッドへの憧れと阿(おもね)りが鼻につくようになっていて、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でタランティーノは、念願通り、鼻高い大監督になったようだ。ラストの火あぶり、噛ませ犬などによる皆殺しは、タランティーノらしいといえばそうだが、そこまでの2時間弱の退屈な時間とラストへの脈絡なしの突入に、タランティーノはもういいやの感。