2020年1月18日土曜日

ロバの耳通信「今日も一日きみを見てた」「猫怪々」「にゃらんがゆく でしといっしょ」

「今日も一日きみを見てた」「猫怪々」「にゃらんがゆく でしといっしょ」

ワタシが幼いころウチにはネコがいた。ウチは父が大のイヌ好きで、ずっとイヌと暮らしていたのだが、一時、ウチにいたそのネコのことを今でもよく覚えている。”クロ”と呼んでた黒い子猫で、柔らかな毛や丸まったすこし硬いオナカや、三角のミミや、肉球とか、とにかく触りまくっていた覚えがある。そして、いつの間にか記憶から消えているが、どういう経過でいなくなったかも、いまはわからない。ただ、ワタシはネコが大好きで、散歩道で見かければ、必ず声をかけ、場合によれば、病気が移るわよというカミさんの制止も聞かず手招きしアタマをスリスリすることも。

ウチの田舎は、「化け猫」の本拠地で、ネコを怖がる風習が色濃く残っていて、ネコをイジメることは最大のタブーとされていた。おかげで、路地をノラネコに席巻されるくらいネコがあちこちにいた。旧鍋島藩のお家騒動を糊塗するために作られたという「化け猫」の物語は田舎の芝居の出し物としては必須、最大の演目で祖母に連れられて何度も行った。芝居小屋の手書きの看板が怖くて、看板の化け猫に睨まれるのが怖くて、祖母の手をしっかり握り、眼をつぶって木戸番を通ったし、芝居はほとんど薄目で見ていて、耳まで裂けた口の化け猫が大音響で出てくるところは耳を押さえ、眼はしっかり閉じていた。いまから考えると幼子をそんな怖いところへ連れてゆくのもどうかとも思うが、連れ合いを戦争でなくした祖母は芝居が大好きだったし、母親のいないワタシを連れて芝居に行くのを楽しみにしていたのだと思う。もちろん「化け猫」だけじゃなく、いろんな芝居に行ったはずなのだが、「化け猫」の記憶しかないのは、よほど怖かったのではないかと思う。うん、それでもネコが好きなのは、”クロ”のせいかと。





「今日も一日きみを見てた」(17年 角田光代 角川文庫)と「猫怪々」(15年 加門七海 集英社文庫)をカミさんが図書館から借りて、面白いよというから読んだ。うん、カミさんはワタシのネコ好きを知っているから、まあエサかマタタビで釣られた気分。「今日も・・」は、ネコをはじめて飼った著者が、可愛さにハマってしまうという当たり前の本。「猫怪々」は、怪談作家が病気の子猫を育てる話で、著者の周りで起きる奇々怪々の出来事が面白かった。両方とも視点はことなるものの、ネコへの愛が溢れている。「にゃらんがゆく でしといっしょ」(13年 じゃらん編集部 PHP文庫)は、ワタシの書棚で唯一ネコの本で、たまにペラペラとページをめくりながらネコの表情を楽しみ、癒されるためのもの。
マンション住まいでネコを飼うのもママならないから、会いたくなると「世界ネコ歩き」(岩合光昭 NHK)を見ている。

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