2020年2月29日土曜日

ロバの耳通信「ハマー・オブ・ゴッド」「オンリー・ゴッド」

「ハマー・オブ・ゴッド」(13年 英)


8世紀のバイキングの王の次男の冒険物語。戦いで死にかけた王は三男(マッチョばかりの映画なのにこの主人公、ちっとも強そうに見えない不自然さ。配役失敗ミエミエの英国風チンピラ)に、行方不明となった長男の捜索を命じる。三男は3人の仲間と異母兄弟の四男を連れて長男を探しに(この部分、「黄金の七人」「指輪物語」のミックス味)。結局、遠い田舎でガキ大将していた長男を殺し、長男と一緒に出奔した死んでいたはずの母親を殺し、裏切っていた次男と四男を殺し、まあ血塗られたストーリー。
出てくる獲物、つまり武器は長剣やら短剣、ハンマーやら斧やらでやたら殺しまくるからやたら血生臭い。殺しに必然性がないと、こういう映画でもダレる。ポスターから「リーサルウェポン」並みの格闘を期待していたら、暗い画面でモゾモゾするだけ。荒野や暗い洞窟のシーンばかりで、映像もイマイチ。効果音楽は大きいだけでシーンに合ってない。B級映画だな、やっぱり。
唯一、個人的な好みだけだが英女優アレキサンドラ・ダウリング。よく見ると可愛いのだが、野蛮人の衣装やメークじゃね。この映画にはオックスフォード演劇学校卒業したばかりのピカピカの新人。セリフもほとんどなかったけれど、まあ可愛いからいいや。
「マスケティアーズ/三銃士」(14年~ 英テレビドラマ)では、ギンギンに着飾ってアンヌ王女役やってたけれど、このコ、あんまり飾らないほうがいい。今年まだ20代だから、いい役もらってね。また会いたいから。

「オンリー・ゴッド」(13年 仏・デンマーク)

バンコクでムエタイジムを経営するアメリカ人兄弟の弟役ライアン・ゴズリングが、殺された兄の敵討ちを麻薬カルテルのボスである母親にけしかけられる。バンコクを舞台にしているからか蒸し暑い夜と暴力の連続がより臨場感を増している。地場のヤクザ役のヴィタヤ・パンスリンガムがこいつホンモノのワルじゃないか思わせる風貌、実際はニューヨーク工科大学にてグラフィック・デザインを学んだという異色の俳優、「暁に祈れ」(18年 米英中仏合作)にもいいワル役ででていた。
「オンリー・ゴッド」の監督は、デンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン。ライアン・ゴズリングとのタッグでは「ドライブ」(11年 米)が良かった。こっちの映画では自動車修理工のドライバー(名前)役ゴズリングが同じアパートに住む人妻アイリーンと恋に落ち、服役していたアイリーンの夫と揉める。このアイリーン役キャリー・マリガンが英国人らしくないキレイさで、ワタシは一目ぼれ。うん、うん、映画も良かったがこの人妻アイリーンが忘れられない。

2020年2月25日火曜日

ロバの耳通信「スティーヴ・ライトフット」

「スティーヴ・ライトフット」Steve Lightfoot(英国出身のテレビ脚本家、制作者)

スティーブにはまってしまった。

「ハンニバル」シリーズ(14年~ 米テレビ)はハンニバル博士のキャラクターこそ
 Red Dragon, Thomas Harris に依っているものの、テレビシリーズ化に当たっては、スティーブが原作なしで脚本を起こしているというからほとんど作家並みだ。ストーリーは犯罪ポロファイラーが犯罪現場をアタマの中で再現し犯人捜しをするというもの。ハンニバル役をマッツ・ミケルセン、FBI行動科学課ヘッドをローレンス・フィッシュバーンと要所には有名役者を配しているものの、ワキ役にほとんど無名の俳優を揃えたのがテレビドラマらしい。いつも代り映えのしない配役による着せ替え人形会のような近年の映画に比べ、ずっと見ごたえがある。

「パニッシャー」シリーズ(17年~ 米テレビ)はアメリカンコミックの実写版で、妻子を犯罪人に殺された復讐モノ。同じくスティーブの脚本。主役の私刑執行人役がジョン・バーンサル。独特の風貌で多くの作品に出ていて、すぐに気づく(「フューリー」(14年 米)では錚々たる配役の中でも存在感のある戦車兵役を演じていた)。

いずれも、連続テレビドラマなのでいつもいいところで終わる。無料動画サイトではひとつづつ見るしかなく時間がかかったが、週末のお楽しみにしていた。スティーブの手による米テレビドラマはあと何作かある様子なので、そのうち出てくるかなと期待。

2020年2月23日日曜日

ロバの耳通信「1917 命をかけた伝令」「ミッドサマー」封切り中

「1917 命をかけた伝令」(19年 米、英)原題:1917

今年のアカデミー賞で「パラサイト 半地下の家族」(19年 韓国)がグランプリを獲ったとのニュースで、アカデミー賞も地に落ちたという気持ちになっていた。韓国の格差を描いたこの作品は、確かに面白かったが、過去のグランプリ賞作品と比べて、「映画を見た感」の不足というのだろうか、まとまりすぎていて、「映画を見た感」の感動ー暗転した映画館で映画の終わりを惜しむような音楽が流れ、エンドロールの中で席を立ちたくないそんな気持ちにはなれなかった。
「1917 命をかけた伝令」は、”只の”視聴覚効果賞だったが、この作品は感動した。アカデミー賞の各賞を受けた全部の作品を見た訳ではないから、こういう言い方もどうかと自分でも思うが、少なくとも「1917 命をかけた伝令」のほうが「パラサイト・・」より、「各段に」良かった。

第一次世界大戦独軍の偽装退却を見破った英国軍司令部より、前線部隊へ攻撃中止命令を伝えるために敵中を横切る伝令の役を二人の若い英俳優が演じた。二人のカメラ目線を中心にしたカメラワーク(ロジャー・ディーキンス)のすばらしさに加え、特に照明弾のオレンジ色の光の中に廃墟のような建物の影が動くところなど、映画館の大きなスクリーンで見なかったことを後悔。
音楽(トーマス・ニューマン)も主張しすぎることもなく、それでいてロングショットのシーンとの違和感もなく、サウンドトラックを聞けば映画のシーンを思い出せそう。ラスト近く、疲れた英軍兵士たちが”ヨルダンへの旅”の歌を聞き入るシーンがあったが、染み入るいい曲だった。

「ミッドサマー」(19年 米、スウェーデン)原題:Midsommar 夏至祭

数日前から日本公開中のホラー映画。ネット、雑誌記事の映画批評など前評判がやたら良くて「恐怖」「ゾッとする」などの言葉が並んでいたから、一体何が起きるかと2時間半の長編をガマンしながら見た。グロいシーンにハッとすることはあったが、全くの期待外れ。怖さとグロは違う。ハッキリ認識したのがすでに見た人々や多くの批評家、Rotten Tomatoes <米の映画批評サイト>と、私の感覚がかなり違うということ。

90年に一度催されるというスウェーデンの夏至祭りに招待された大学生グループが、祭りの人身御供にされてしまうという物語。
物語の核になっているのが神経症の女子大生ダニーとその恋人クリスチャン。ダニーは同病の妹が両親を巻き添えに無理心中してしまったことでトラウマがひどくなり、クリスチャンはダニーを重荷に感じながらも、一緒にスウェーデンに連れて行くことに。映画の出だしから、私が感じていた”こんなメンドウクサイ女はやめろ”は、ラストで焼き殺されるクリスチャンを見ながら、ダニーがニヤリと微笑むシーンを見て、”ほらみろ、こういう女はやめろと言ったじゃないか”とモノローグしていた。ポスターはダメだよ、こんなんじゃ。

映画の舞台が人里離れたところにある共同生活者たちの楽園として描かれていることが興味深いが、こういうシャングリラでの夢のような暮らしにつきものの、白っぽいワンピースやら花の髪飾り、あげくはフリーセックスを連想させるシーンなど、ちょっと作りすぎ。正直、あこがれないこともないけれど。
人民寺院を率いたジム・ジョーンズによる集団自殺事件(78年 ガイアナ)をヒントにした「サクラメント 死の楽園」(13年 米)を思い出した。

2020年2月14日金曜日

ロバの耳通信:新型肺炎の最中の「マージン・コール」「ミッシング・ポイント」

「マージン・コール」(11年 米)原題:Margin Call

アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズをモデルにした映画。マージンコールは信用取引で差し入れている委託証拠金の総額が相場変動により不足してしまった場合に追加しなければならない証拠金のこと。

映画では、保持している不動産モゲージの相場が変動したため、追加しなければならない証拠金が投資銀行の資産を上回ることに気付き、顧客が大損するのを承知で売りまくることを決意する経営陣をケビン・スペイシーやデミ・ムーアなど錚々たるキャスティングで演じている。

リストラにあい退社してゆくボスに渡されたUSBメモリーから会社が保有している不動産モゲージの急落を知った若手社員が、上役に相談。上へ上へと報告、結局は、トップの指示で負債を顧客に押しつけ自らと会社の保身を図ることが真夜中に決まる。翌日売り抜けるまでのほぼ1日が描かれているのだが、問題の深刻さや残された時間のなさに脂汗をかく思いが伝わる。私もかって少額ながら株投資をしていて相場の急落でキモを冷やしたくらいの投資経験しかないが、切羽詰まった彼らの気持ちは映画を見るたびに悪夢のように伝わってくるのだ。

もう、何回目になるだろうか、この映画を見るのは。アメリカのリストラの残酷さや経営陣の権限や裁量など、日本の雇われ経営陣との違いなど、見所が多い。いちばん感じるのは、証券会社になけなしの金を預け、セールスマンにアレをどうですか、コレをどうですかと言われるままに投資してきた自らの節操のなさに対する後悔。
新型肺炎ウイルスが日本も席捲しそうだ。高年齢で持病持ちだから肺炎も怖いが、市場暴落で少ない資産がさらに減ってしまうことも怖い。

「ミッシング・ポイント」(12年 米、英、カタール)
原題:The Reluctant Fundamentalist

パキスタン生まれの青年(パキスタン生まれの英ラッパーで俳優のリズ・アーメッド)はアメリカの一流企業に仕事を得て、前途洋々のエリート暮らしを始めたばかり。3.11テロ以降、偏見と差別を受けるようになりアメリカを去る。3.11以降も一流企業にいるのに、周りの進言を無視し、ヒゲを伸ばしたのは矜持なのだろうが、甘い。彼らにパキスタン人やムスリムの見分けなんかつくはずもない。新型肺炎騒ぎの中国人と日本人の見分けなんか、誰にも見分けられないのと同じだ。アメリカではWASP以外は、皆<差別されて当然の>マイノリティーなのだ。
恋人役のケイト・ハドソンがその一流企業の会長の姪という設定なのだが、いくら自由の国だといってもエリートの姪がマイノリティーとの付き合いを許されるなんてことはない。
元エリートも国に帰ってもテロリストと間違えられ行き場を失う。太目でカワイイとはいいがたいケイト・ハドソンのラブシーンくらいか、見所は。

2020年2月10日月曜日

ロバに耳通信「さまよう刃」「署長刑事 大阪中央署人情捜査録」「マル暴甘糟」

「さまよう刃」(19年 東野圭吾 角川文庫)

書名に見覚えがあり、裏表紙の解説を読むとスジにもなんとなくデジャビュ感があったのは、映画が先だったかららしい。同名の邦画(09年 寺尾聰主演)も韓国映画(14年)も見ていた。さすがに手の内も結末もわかった小説というのはやはりつまらない。少年たちに暴行され殺された娘の仇をとる父親なんて復讐モノは、邦画より韓国映画のほうが合うような気もする。邦画の寺尾聰は、なんだか頼りなく復讐に燃える父親らしくなく、韓国の名優チョン・ジェヨンの押えた表情ながらも憎しみの激情が伝わってくる素晴らしい演技に脱帽。

「署長刑事 大阪中央署人情捜査録」(11年 姉小路祐 講談社文庫)


29歳で大阪府警中央署の署長に着任した”もさいながらも正義に燃える”キャリア刑事が、警官による飲酒ひき逃げ事件を再捜査し冤罪の証を立てる。近年、賛否で話題になることが多いIR<インベスターリゾート:統合型リゾート>についての話が出てくる。この本、10年前の書下ろし文庫なのだが、公営トバクの誘致のウラにいる者たちについて言及しているのが興味深い。

初めての作者で、テンポの良い展開で面白かったが、唯一残念だったのが、多用される関西弁のセリフ。速読を旨としているのだが、聞きなれない関西弁に何度も躓いて、読むのにいつもよりずっと時間がかかってしまった。

「マル暴甘糟」(17年 今野敏 実業之日本社)

今野の刑事小説の特長は、色付けされたキャラの刑事の活躍と爽快感か。コワモテ、マジメな小説もなかなかいい作品もあるが、「マル暴甘糟」の”甘糟は「俺のことなめないでね」が口ぐせのマル暴刑事”の設定が面白いし、今野の小説のステレオタイプになりつつある、刑事とヤクザの心の交流もいい。暗くて重いばかりの刑事モノも捨てがたいが、たまにはこういう肩のこらないのもいいよぉ。

2020年2月2日日曜日

ロバの耳通信「Bloodline」「提報者 ES細胞捏造事件」

「Bloodline」(19年 米 邦題未定)

面白かったが日本じゃ当たらないだろう、キモすぎて。もしかしたら、公開しないかも。
高校の生活指導員の主人公(鋭い目つきのショーン・ウイリアム・スコットが好演、なにもしてなくても怖い!)が生徒の悩みである父親による虐待などを聞いて同情し、生徒たちの父親を殺してゆく。生活指導員は幼い頃母親に暴力をふるっていた父親を殺したというトラウマに悩まされていた。
主人公の妻も夫の犯行を知り、それを隠蔽するために生徒を殺し、主人公の妻の育児指導で親身じゃなかった看護婦を殺す。主人公、その母、妻がベビーベッドの中の赤ちゃんを見つめるところで映画は終わっている。Bloodlineは血脈みたいな意味だが、ここでは「血のつながり」とか「争えない血」とか訳せばいいのだろうか。
Bloodlineのままかブラッドラインとカナに直しただけだと、ゾンビ映画とかすでにいくつかあるから、邦題の付け方は悩むところだろう。

「提報者 ES細胞捏造事件」(14年 韓国)原題 Whistle Blower

この作品は、ファン・ウソク事件という韓国ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授がヒトの体細胞からES細胞の取り出しに成功したというノーベル賞ものの論文が偽造だったという実話(03-04年)をもとに、MBS放送(映画ではNBS)のテレビディレクターがファン教授やそれを支持する市民からの圧力にも耐え、報道放送を強行することで、ファン教授のウソを暴く。

真実を市民に伝えようとするテレビディレクターの抵抗勢力となったのが、初めてのノーベル賞への希望に沸く韓国経済界、市民。お得意のロウソクデモや手書きの看板でのアピール。なんだか、昨今の反日デモを彷彿させる風景。これが韓国の日常の風景なのか。それをひっくり返す契機となったのが、ディレクターの部下のADによるネット情宣活動。既述の反日デモなどにも、感情的になるだけでなく、ネットやSNSを活用という対応もあるのではないかと。映画はいろいろなことを教えてくれる。

映画では、韓国の感情的で移ろい易い市民の感情についても、ディレクターが利用したタクシー運転手の事件前後の対照的な反応を織り込むことで自己反省しているように見える。

この映画、ES細胞(胚性幹細胞)について、卵子取り出された多能性をもつ胚芽細胞がクローン技術をもってしても、他人の体にいれれば拒絶反応を起こすことを説明するなどをキチンと説明していてこの映画をスキャンダルの暴露だけにとどめない監督の真摯な対応に好感をおぼえた。iPS細胞(人工多能性幹細胞 山中教授ほか)との違いなどは、ニワカ学習を始めたのだが、根性が続かなくて断念。ESやiPS、STAPなど、進歩著しい世界だから、10年後には、また誰かが新しい「定説」を唱えているかも。

この韓国映画を見たのは最近のことで、STAP細胞騒動(14年 小保方晴子)の事を覚えていたから、STAP騒動をもとにしたいつものパクリ映画かと思っていた。よくできたスジなので、調べてみたらファン・ウソク事件をもとにしたものだと。モノシリのカミさんに聞いたら、え?そんな大ニュースを知らなかったのかと。まいった。

ワタシにとってのファン・ウソク事件当時(03-04年頃)は、長く勤めていた会社を早期退職し、転職先で新しい職場環境に右往左往していた頃か。カミさん曰く、よくそんな世間知らずで生きてこれたねと。確かに。