2020年8月27日木曜日

ロバの耳通信「パレード」「神はサイコロを振らない」

「パレード」(04年 吉田修一 幻冬舎文庫)

都内のマンションに暮らしている5人の若者たち。大学生21歳男、無職23歳女、イラストレータ24歳女、風俗18歳男、映画会社勤務28歳男。ここにあるのはそれぞれの青春。読み始めたら「私たちが好きだったこと」(98年 宮本輝 新潮文庫)の優しくワガママな若者たちのことを思い出した。

学生時代は自宅から学校に通い、就職したら独身寮と会社の往復、すぐに結婚して子供もいたワタシには、こういうシェアハウスみたいな若者たちの暮らしは想像もつかないが、老境の入り口でカミさんとふたり暮らしになって、いま、こういう若者たちの若さがうらやましい。

「パレード」の巻末の解説を作家の川上弘美が”こわい小説”と書いている。4回も読んだと。初回は読み終わって(こわさに)茫然とし、時間を置いて2回目を読みこわさを噛みしめたと(まあ、すこし言い方はちがっていたが、こういうことだろうー)。この「こわさ」がワタシにもわかったのだ。そして2回目をいままさに読もうとしているのだ。
これは一種の怪談だった。いいところで、ワーってボスキャラのオバケけが出た。出る前に何度も伏線があったのに、そこにワタシが気付かなかっただけなのだ。さあ、もいっかい読むぞ。出るぞ、出るぞとオバケが出るのをまた楽しみたい。伏線を全部見つけて、雰囲気を盛り上げたい。
「パレード」若さの持つ優しさや、ワガママや、気まぐれ。それらの甘酸っぱさに自分の青春時代を重ね合わせる。あ、なんか出たぞ、得体の知れない小さな不安の棘。知らんふりしてたのに、みんな棘に気が付いてたのか。出るぞ、出るぞ。
あー、面白かった。

「神はサイコロを振らない」(05年 大石英司 中公文庫)

題名はアインシュタインの言葉らしい。68人の乗客・乗務員を乗せたまま消息を絶っていたYS-11旅客機が10年後突然羽田空港に出現、時空の歪みを乗り越えて(みたいな説明)きて、数日後には消えると。死んだはずの68人の残された家族の10年間を描いているから400ページの長編になってはいるが、オムニバスの短編集の感。もともとの話が途方もなく有得ないハナシだから、ワタシはそこで戸惑い、ワタシはすべてを架空のハナシとして読んでしまった。タイムマシンやら空間移動やら、SF好きとしては付き合いたいのだが、脈絡のない人情話を積まれても共感はしない。だから、飽きてしまい途中をだいぶ飛ばして読んでしまった。全部読み通さずにこう書くのもおこがましいのだが、つまらなかった。
世間には好意的に受け入れられ重版も重ね、「神サイ」の流行語とともに連続テレビドラマ(06年)にもなったらしいが、その頃ワタシは転職したばかりでテレビドラマどころじゃなかった。そんな言葉を聞いたのはwikiでこの本について調べたから。同名の曲もある。聞いてみたが、映画とは関係ないようだ、いい曲だけれど初めて聞いた。音楽は好きだから、流行った歌はだいたいは憶えているのだが。

2020年8月24日月曜日

ロバの耳通信「J.Y. Park - When We Disco」

「J.Y. Park - When We Disco(Duet with SUNMI)」

新型コロナ騒ぎの真っただ中。テレビ番組が相変わらずつまらない。報道はコロナ感染者数の増減やら、規制でガラガラになった飲み屋の中継。バラエティもオモシロ動画ばかり。番組製作も大変なんだろうけれど、連日の猛暑で出かけることもままならず、夜は節約モードのエアコンの下でダラダラテレビに付き合う。買い替えたパソコンが好調に動いてくれていなかったら、どう時間をつぶせたかと恐ろしい気がする。

夜中まで見ているYouTubeも食傷気味。普段ほとんど見ることもなかった韓国のMV(ミュージックビデオ)がMy List に紛れ込むようになったのは、韓国料理のサイトを見るようになったせいか。ソモソモの始まりはカミさんから韓国に行っているときにドングリ料理を食べたことがあるかのご質問。韓ドラで出てきたドングリ餅に興味を持ったと。韓国の伝統料理のサイトを徘徊してるうちに、面白くてハマってしまった。

すこし前に日本でも流行ったK-POPは賑やかすぎてどうも性に合わないと思っていたし、男性クループは論外としても女性グループの半裸姿も退屈していたが、My Listにたまたま紹介されていた Wonder Girls、TWICE、ITZYという女性グループのMVの新鮮さに興奮。調べたらパク・ジニョン(박진영、J.Y. Park)という音楽プロデューサーがやっているJYPエンターテインメントの所属で、近々日本人9人のグループniziUもここからデビューさせるらしい。

とにかく、TWICE、ITZYにハマってYouTube浸けになっていたがほんの数日前、J.Y. Park - When We Discoのデュエット曲をYouTubeで見つけた。なにより文字通りシビレタのがYJPの歌のうまさ。

楽曲の楽しさと踊りのキレの良さ。ディスコで出会った男女が10年後に再開し一緒に踊るというMVのスジは、ジョン・トラボルタ主演の「サタデー・ナイト・フィーバー」(77年 米)の「ステイン・アライブ」のノリ。先月8月13日のMV公開らしいが、韓国のみならず日本でも大フィーバーになる予感。
公開以降、TWICE、ITZY、niziUほかが競ってカバーしていて、それらも楽しい。うーん、このところ毎日何回も聞いている。この興奮は長く忘れていた感覚だ。

2020年8月22日土曜日

ロバの耳通信「ジェイソン・ボーン」「白い闇の女」

「白い闇の女」(原題: Manhattan Night)(16年 米)

マンハッタン在住で人探しが評判の新聞記者ポーター(エイドリアン・ブロディ)に、変死した夫の死因を調べてほしいとのパーティーであった女キャロライン(イヴォンヌ・ストラホフスキー)の依頼。女のマンションに連れていかれ、結局色仕掛けに落ち女のいいなりに。

記者が調べてゆくうちに、傷害事件で下腹部を刺されて不能者になった新聞社のオーナーやら、幼い頃に義父に性的関係を強要された女やら、私生活のすべてを撮影してメモリーカードで保存していた映画監督やらがわらわらと出ては消え、結構複雑なプロットにしているが、結局のところ記者はキャロラインのことを外科医の妻リサ(あの「フラッシュダンス」(83年 米)で素晴らしいダンスを見せてくれたジェニファー・ビールス)に知られや可愛い子供たちとも別れるハメに。

なんといってもキャロライン役の当時34歳の豪女優イヴォンヌ・ストラホフスキーが色っぽい。普通の男なら堕ちるだろう。記者ポーターも一旦はキャロラインに別れの言葉を言いつつも、ストーカーのように遠くからキャロラインを見つめていた。まあ、わかるよ。男はどんなことがあっても懲りないんだよね、こういう女に出会うと。

「ジェイソン・ボーン」(16年 米)

面白い映画がないかとYouTubeの予告編めぐりをしていて、コレに当たり結局動画サイトで探してまた見てしまった。うーん、やっぱり面白い。マット・デーモンがいい。何度か見た作品なのだが、また最初から見るハメになってしまった。「ボーン・アイデンティティー」(02年)、「ボーン・スプレマシー」(04年)、「ボーン・アルティメイタム」(07年)、「ボーン・レガシー」(12年)と前作に4作もあるし、来年には続編も出るらしいから心待ちにしている。5作のうち、「ボーン・レガシー」はジェレミー・リー・レナーが主演だったからスピンオフの感。なによりも、記憶を失った「スパイの哀しみ感」アリアリのマット・デーモンの主演じゃなかったから、ただのアクション映画になってしまった。といっても、これはこれでメッチャ面白かったから、ゼンゼンOKなんだけど。とにかくこのシリーズが面白いのは、スピード感と音楽。何度も見てるのに次はどうなるんだろうというのもオカシイが、見るたびに感じるドキドキ感は半端ない。

シリーズの中で記憶に残っている女優がジュリア・オハラ・スタイルズ「ボーン・アルティメイタム」「ジェイソン・ボーン」でCIA情報官ニッキーを演じている。こういう派手なアクション映画には不似合いの、腫れぼったい目をしたフツーの女性なのだが、忘れられない顔をしている。
「ジェイソン・ボーン」シリーズでは、「ジェームス・ボンド」(007シリーズ)や「イーサンハント」(ミッション・インポッシブルシリーズ)とは異なり、女優のポジションが高くない。だからジュリアは美人でもないのにかなり得しているよね。

2020年8月19日水曜日

ロバの耳通信「母さんがどんなに僕を嫌いでも」「瞬 またたき」

「母さんがどんなに僕を嫌いでも」(18年 邦画)

コミック原作者の歌川たいじの実話の映画化らしい。児童虐待がテーマ。歌川タイジ役に仲野太賀(すごく良かった)、タイジの母に吉田羊(ノーコメント・・)。

子どもの頃ずっと虐待されていた青年が、母親に歩み寄るというまあ、ハッピーエンドなんだけれど。空々しいよね、やっぱり。児童虐待された青年が、母親もまた児童虐待されていたことを知り、自らが変わろうとするんだけれど。そんな、きれいごとってあるのかな。暗いばかりの映画にしたくなかったというのはわかるけど、子どもの頃の傷って治らないんだよ、ゼッタイ。タイジには優しいおばーちゃんとか素晴らしい友人たちがいて、良かったね。

「瞬 またたき」(10年 邦画)

花屋の店員北川景子がバイクに同乗して交通事故で恋人を失ったショックから記憶を失い、治療を続けるうちに事故の詳細を思い出し、死んだ恋人との思いを再び募らせるという、北川景子だけのために作った映画。そういう意味では成功なのか、北川は十分魅力的だったから。
ワキを恋人役で岡田将生、医者役で大塚寧々、恋人の母親役で永島暎子などなど若手からベテランまで一流の配役なのに、彼らがすべて堅苦しく不自然な演技で、全く生きていないのが残念。この配役でこの程度の映画か、もったいない。
映画の終盤近くで、出雲大社で偶然出会った婆さん(菅井きん)に、黄泉の国と現世の境界にあり死者と会えるといわれる坂道の話を聞き、死んだ恋人に会いにゆくというところがある。うーん、なんて安直なストーリー展開かと思ったが、この坂は東出雲に実在する伊賦夜坂(いふやさか)のことだと。ココだけは興味を持てたが、ストーリーはバラバラで納得できないところばかり。

何より気に入らなかったのが、泣かせるはずの最後の映像と音楽のぶち切り方。え?終わったのか。もうちょっとでジーンときたところだったのに。突然のフェイドアウトから主題歌付きのエンドロール。おいおい、いくら安直な映画でも、それはないだろうと不満。

2020年8月12日水曜日

ロバの耳通信「ホテルのプレミアチケットが当たった」「閉鎖病棟-それぞれの朝-」

「ホテルのプレミアチケットが当たった」

 駅の近くに大きなホテルができたと。コンコースから地下通路を通って行けるくらい近くだというし、昔何度か泊まったことのある大手系列のホテルだというから服装もちょっといいものを着て行ってみた。

ロビーを右手にみて、うす茶色のカーペットの長い毛足を革靴で感じながら進むと左手が明るいガラス窓になっているカフェ。入口に案内人もいなかったので奥のソファーに腰掛けると、白い上っ張りを着たウエイターが風のように近づいてきた。なにをオーダーしたかも全く記憶にないが、しばらくそこで過ごしてキャッシャーに向かった。

2630円という中途半端な金額。コーヒーだけにしては高いし、何かを食べたにしては全然少ない金額。とにかくそこでお金を払って出ようとしたら、キャッシャーに声をかけられた。
振り向くと、蝶タイをした人の好さそうな中年のオジサンがワタシを見ながら小さな紙を振っている。戻ってみるとレシートだと。気取って、いらないと言うと、オジサンがレシートの一部を指さして、興奮して何かを言っている。昔のレシートのように、ミシン目から切り離されたドット打ちのレシート。オジサンが指さすレシートの”当たり”の小さな文字。ふーん、そうかホテルのオープン記念のクッキーでもくれるのかと聞いたら、このホテルの特別ゲストになれるハズだという。オジサンも話には聞いていたが、初めてとのことで館内電話でどこかに聞いている様子。

オジサンが教えてくれたところによると、この当たりマークは系列ホテルグループでも数年に一度出るかどうかというプラチナチケットの当選のマークだと。さらに、聞いてみると無料でスイートに何日か泊まれて、飲み食い放題できると、しかも友人とかも一緒で。念のため再確認したけれど、間違いなく全部タダ。

と、言われても、こういうことに付き合ってくれそうな友人もいないしと思い、オジサンに付き合ってくれるかと聞いたら、オジサン小躍り。こちらも調子に乗って、オジサンの知ってる人できれいなコがいないかと聞いたら、ニコニコ顔でまかせてくださいと。で、結局、オジサンとオジサンのツレ、オジサンが紹介してくれる女のコでお泊りすることに。

悪乗りしてオジサンに頼んだのは、日焼けしたナイスバディの陽気なコ。自分のなかのイメージだと、藤原紀香+昔、資生堂のポスターで見た前田美波里+カネボウの夏目雅子のイメージ。オジサンは任せてください顔。こちらも小躍り。

女のコの日焼けした肢体を想像し、ドキドキ感が高まったところで目が覚めた。


「閉鎖病棟-それぞれの朝-」(19年 邦画)

原作は山本周五郎賞を受けた帚木蓬生(ははきぎほうせい)の同名の小説(97年 新潮文庫)。精神病院内のさまざまな人たちを丁寧に描いている。

元死刑囚“わしは世間に出たらあかん人間や”の秀丸を笑福亭鶴瓶が好演。家庭内DVから“私の居場所はここしかない”とこの病院に逃げ込んだ女子高生由紀役に小松菜奈、幻聴に悩まされる元会社員チュウさんは “事情をかかえてない人間なんていないから”と女子高生を慰める。

映画としては地味な作品だと思うが、脚本(平山秀幸、監督も)がいい。セリフやシーンより前に出てこない音楽もいい。ラストも思わず泣けた。
同じ原作で「いのちの海」(01年 邦画)もあるらしいが、キャスティングをチェックして探すのをやめた。

カミさんに、滲みる良い映画だったよと話したら、「原作が読みたいでしょう」と返された。うん、読みたい本がまた増えた。

2020年8月4日火曜日

ロバの耳通信「トランス・シューター」「トータル・リコール」

「トランス・シューター」(15年 コロンビア)

めったにないコロンビア映画。地元の俳優じゃないから外貨稼ぎかな。

防弾チョッキを着て、直近で撃ち合い勝てば賞金。早撃ちガンマンのウェスタンのような映画で、上を目指す若者(豪男優フリーダ・ピントー)は伝説の男(ミッキー・ローク)と勝負したいと追っかけまわす。旅の間の女ガンマン(フリーダ・ピントー。インド女優なのに結構激しいカラミシーンあり。ただし、好みじゃないから、ワタシ)との出会いや地元警察との争いとか、この映画もロード・ムービー映画によくある中ダルミからは逃げられない。ラスト近くの伝説の男との会話やインコ(オウムかも)の登場では、禅問答のように気取って見せてはいるも、よくわからない。ラストの対決場面はなぜか、防弾チョッキなし。結末はもちろん書けない。ミッキーローク、映画のなかでも相変わらずの変人ぶり、まだまだ若い。


ためになったことというか、雑学知識が増えたこと。防弾チョッキは弾傷を防ぐには役立つものの、衝撃で骨折したり、心臓麻痺を起こすらしい。

「トータル・リコール」(12年 米)

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トータル・リコール」(90年 米)が面白くてDVDまで買って何度も見た。コリン・ファレル主演のこのリメーク版も見たつもりでいたが、初見だった。予告編を何度か見ているうちに見たつもりになっていたに違いない。
動画サイトでタイトルを見つけた時にも、ひさしぶりだしまた見てみるかと軽い気持ちで見はじめたらすっかりハマってしまった。なんだ、このCGの出来の良さ、スピード感。ストーリーはオリジナルとほぼ同じだが、グラフィック付きの携帯電話やら重力エレベーターやら道具立てがリフレッシュされ、約7年前の映画とは思えない新鮮さだ。一気見した吹替版を終わって、落ち着いて字幕版をもう一度見るハメになってしまった。

原作はP・K・ディック。オリジナル版があまりに面白かったので、ディックのSF小説を読み漁ったが、どれも難しくて頭がついて行けず、何冊か集めた本を放り出してしまったのが30年も前のことだが、映画は「ブレードランナー」(82年 米)、「マイノリティ・レポート」(02年)、「ペイチェック 消された記憶」(03年)、「アジャストメント」(11年)などどれも面白かったのだが。