2021年2月28日日曜日

ロバの耳通信「ここに地終わり海始まる」「天使のナイフ」

「ここに地終わり海始まる」(94年 宮本輝 講談社文庫)

24歳の志穂子に18年間の結核病院での療養生活を終わりにできたきっかけとなった見知らぬ人からの絵葉書。ポルトガルのリスボンにあるロカ岬の”ここに地終わり海始まる”という碑文を書き写した葉書のせいで病が劇的に良くなったと感じた志穂子は退院後すぐに差出人を探し始める・・という出だしは、これからの上下巻600ページ弱のミステリーの始まりにワクワク。昨日図書館から借りてきたばかり。寝る前に少し読もうとフトンに入って40ページくらい進めて、これはいけないと。なんだこのワクワク感は。このままだと夜更かししてしまう。
ワタシには持病があって、冬に弱い。ここは我慢のしどころと読書を翌日に持ち越すことにしたが、自らも結核のため長い入院生活を送ったという宮本の文章は病の辛さを書けば半端なく、深い。薄明りの天井を見ながら、文中の志穂子の主治医が退院する志穂子を思いやる言葉を思い出し、ワタシに告げられた言葉のようにそれを反芻しながら寝入った。
上巻は志穂子の感情の移ろいを中心に、下巻は志穂子の周りで輻輳する男女の恋物語が語られ、いつもの宮本らしくなく気ぜわしいストーリー展開になってしまったのは残念。
何度も出てくる”ここに地終わり海始まる”ように、そこから新しい暮らしを始めようとする志穂子への共感あるいは反感ばかりでなく、ワタシもこのウジウジした気持ちから早く脱して、どこからかどこかへ踏み出さねばと。

「天使のナイフ」(08年 薬丸岳 講談社文庫)

裏表紙の解説には、著者のデビュー作で第51回江戸川乱歩賞ぶっちぎりの受賞作とあった。著者の感じていた少年法の”何をしても罰せられない”無念さを繰り返し強調されて、共感は覚えるものの、後半の謎解きまでが長い。途中で投げ出そうとしたのだが、”ぶっちぎりの乱歩賞”のツリに惹かれ、輻輳したストーリー展開を読み解きながらなんとか最後まで読み切ったが、イマイチ乗れなかった。
殺された妻は誰々の元友人でとか、その娘が主人公の経営するカフェの店員でとか、凝った人間関係を相関図で名前を確認しながら読み進めるなんてのは、人の名前をなかなか覚えられないワタシには苦行に近く、すっかり疲れてしまった。

いちどひどい目にあうと、ソノ作家はしばらく遠ざけたくなる。薬丸岳、当分、パス!



2021年2月27日土曜日

ロバの耳通信「TAP THE LAST SHOW」

「TAP THE LAST SHOW」(17年 邦画)

怪我のため踊れなくなった元タップダンサー(水谷豊)が閉鎖予定の劇場の舞台の最後のショーの演出を頼まれる。初監督と主演を務める水谷が長年温めていたシナリオだという。主演が水谷でなくてもよかったかなとも思うが、ほかにいい役者が思いつかない。劇場の支配人役の岸部一徳も代替が思いつかない。ラストの20分以上のタップシーンは息を詰めるほどの感動。ああ、この映画の主役は彼らだったのかと。
ただ、ちょっと気になっているのは、こんなにいい作品なのにあんまり話題にならなかったか。ワタシの好みがズレているのか。ミュージカルになるんじゃないかな、この映画は。そしたら、そっちも行きたい。

ずいぶん前に、ニューヨークで「コーラス・ライン」を見たことを思い出した。早朝から並んで半額の当日券を買って、シューベルトという小さな劇場の最前列で見た。最前列一番右の席からは舞台下手前のオーケストラが幕間から見えて、目の前の舞台はダンサーが足を鳴らすと埃が舞い上がった。初めてのミュージカルは感動で劇場を出てもしばらくは震えが止まらないほど。ボーレイのようになって、予定していた遅い夕食もやめて、薄暗い地下鉄でホテルに帰ってベッドに入っても、音楽とダンサーが踏みしめるドンドンという音がアタマの中に残っていて、なかなか寝付けなかったことを今でも憶えている。



2021年2月20日土曜日

ロバの耳通信「モンスター・ハンター」3月26日公開だと。

 「モンスターハンター」(20年 米ほか)原題:Monster Hunter

ベストセラーとなり今も根強い同名ゲームの実写化、主演がミラ・ジョヴォヴィッチということで話題を呼んでいる映画。3月にはいよいよ日本公開ということで予告編もポツポツとネットでみられるようになった。ゲームについては、名前だけは知っていたがでプレイ経験もない。画像がキレイな予告編で勝手に盛り上がっていたのだが。クソーなんだこりゃ。怪獣との戦いだけで、スジもなにもあったもんじゃない。「バイオハザード」シリーズ(02年 米)以来、ミラの大ファンだから期待が膨らみ過ぎていたキライもあるが。

米・独・中・日の合作ということになっていて、配給はソニー(「バイオハザード」シリーズとおなじスクリーン・ジェムと東宝)になっていて、日本の山崎某というファッションモデルもチョイ役で出ていた。「バイオハザード ザ・ファイナル」(16年)でチョイ役で出ていたローラと同じ。

ミラの相手役(ハンター)がタイのアクション男優(トニー・ジャー)なのは良かったんじゃないかな。トニーの大根と存在感の薄さはどうこう言うつもりもないが、名前だけ有名な日本の人気男優とかだったら、どうしようもなくシラケてしまっていた筈。

画像はキレイ、音楽もいいから映画館で4K-3Dとかで見る分には退屈しないだろうし、予告編の出来が良かったから、もしコロナがすこし収まっていたら観客を集めることはできるだろうけど、映画って何度みても楽しいものじゃなくっちゃね。ヒットゲームで実写化で当たった「バイオハザード」シリーズは、映画化にあたってストーリーの肉付けがしっかりできたからヒットしたんだよ。

この映画、ストーリーがないからエンディングもなんだか曖昧で、続編の予感はするけれど、本編を見たら続編まで見たいオトナなんかいないんじゃないかな。

2021年2月15日月曜日

ロバの耳通信「赤い光点」「シャドー・イン・ザ・クラウド」

東北で「また」大きな地震がありこっちも結構長く揺れた。10年前の東北大震災を思い出したりしてよく眠れなかった。フクシマの人々の不安は眠れないどころじゃないだろう。


「赤い光点」(21年 スウェーデン)原題:Red Dot

映画はスタートから、イライラ感。ステレオタイプのイマの若いカップル。白人と黒人。ノー天気の優しい男といつもピリピリのインテリ女。始まったばかりの映画なのに女のピリピリが見ているこちらにも伝わってくる。きっと悪いことが起きるぞと、不安の虜に。メゲそうになりながらも見続けた映画は、面白かった・・というより、怖かった。

「赤い光点」の意味は、ライフルのレーザー照準器を当てた際の赤い輝点。同じ大学で学んだエンジニアと医学生という都会出の夫婦が、ストレス発散にオーロラを見に田舎に行ったら、正体不明の男にライフルでつきまとわれるというスジ。ホテルのチェックイン時に冷たい態度をとられたり、車に落書きをされたり、連れていた犬を殺されたり、挙句の果てはライフルで狙撃。おいおい、なんでこんなメに遭うんだと不安満杯。

短気でワガママで好色の妻。ラストで夫がつぶやく「君は何も悪くない」。いやいや、皆オマエのせいだろ。夫に会社を休ませたり、車に傷を付けたり、子供をひき逃げしたのも、皆オマエのせいだ。

Netflix のおかげで、映画館に並ばなくても新作が見れるようになったのはうれしい。


「シャドー・イン・ザ・クラウド」(20年 米・ニュージーランド)原題:Shadow in the Cloud

主演のクロエ・モレッツが爆撃機の銃座から敵機を打ち落とすわ、もぐりこんでいた怪獣グレムリンと殴り合いするわとか、そもそも、なんでえらい人の命令書を持ち片腕を吊った女が赤ん坊を連れて爆撃機に乗り込んでんだ。

ストーリーもなにもあったもんじゃないが、クロエ大好きのファンなら、堪えられない映画。ポスターもクロエのどアップ版も。
撮影はほぼ爆撃機の中のシーンだがツクリは丁寧で、金かかった感いっぱい。だから臨場感も充分、アクションファンにも受けるんじゃないかな。コロナでウツが溜まって、イライラのハケグチをさがしている人たちには楽しい映画かな。


2021年2月9日火曜日

ロバの耳通信「無菌病棟より愛をこめて」「我が家の問題」

「無菌病棟より愛をこめて」(14年 加納朋子 文春文庫)

”急性白血病”との壮絶な闘いを笑いと涙で綴った、人気ミステリー作家によるノンフィク
ション。こういう難病ではないが20年近く持病に悩まされてきたワタシにもいろいろ思うことの多い作品だった。
著者の不運は、急性白血病にかかったこと。幸運は、充分な経済的基盤や優れた医者たち、理想的に型が合致したドナーの弟がいたこと、夫をはじめ優しい家族や多くの友人に恵まれていたこと。本人の強い意志と楽天的とも思える性格。
不運も幸運も、すべからく自分の運命ではあるのだろうが。あとがきで著者が書いている。”病は理不尽なもの。人生そのもののように不公平で残酷”だと。だけれども、”決して絶望するな”と、また、”検診結果の数字やネット情報を気にしすぎて押しつぶされてしまうのではなく、それらと闘う強さと冷静さを少しずつでも育てよ”と。
カミさんに勧められたこの本で、得たものは無限に大きかった。


「我が家の問題」(14年 奥田英朗 集英社文庫)

裏表紙の釣りには”くすりと笑えて、ホロリと泣ける平成の家族小説”とあったが、なにを持って”平成の”なんていい加減なキャッチコピーにしたのかもわからない。09年から11年の「小説すばる」に載せたた短編を集めただけ。テレビドラマ化もされているらしいが、どうもね、話を作りすぎじゃないかと。ひとつ、ふたつを例えば時間待ちの床屋かなんかで読み飛ばすような本か。
カミさんからは、面白かったでしょうと。うん、と答えるしかないけれど、ワタシは半分くらいで挫折。




2021年2月3日水曜日

ロバの耳通信「永い言い訳」

「永い言い訳」(16年 西川美和 文春文庫)

映画化されていたのも知っていたから、本と映画のどちらを先にするかを悩んで本を先にした。裏表紙のあらすじを読んでスタートしなかったら、髪結いの亭主の作家がバス事故で妻を喪い、同じ事故で死んだ妻の親友の子供たちの面倒を見るなんてストーリーを、作家や、その編集者や、作家の愛人やそのほかの人々が主語になって物語が語られるから、混乱せずちゃんと読み通せたかどうか。

西川の文章は読みやすいのだが、主人公の作家の性格設定がちょっと洒脱というか、気取りのようなところもあって、深刻な場面もなんだか遠眼鏡で見ているように切迫していないから落ち込まずに済んだから、まあいいけど。ずっとあとになって亡き妻への手紙や妻の形見を整理しながら泣くところなんてのも軽めで、いい映画になるなと。

ところが、だ。同名の映画(16年 邦画)は、作家役が本木雅弘、その妻役が深津絵里と、ほかの配役が思いつかないくらいピタリとはまっていた。難を言えば監督と脚本。マルチタレントした原作者が監督、脚本ということも近年では珍しくもないのだが、うーん、監督は「監督」、脚本は「脚本家」の手にしてほしかった。西川は意識はしていないだろうが、340ページの本のすべてをを2時間の映画に押し込めようとした、というか逸脱しないようにしたために、役者を生かせなかったかなと。原作にないセリフを原作にない役者に語らせることなんてできないだろうね、原作者が監督をやれば。うん、本木雅弘と深津絵里は買いだけれども映画のほうは薦められない。

ここまで書いて、どうでもいいけど書き忘れていたことを思い出した。「永い言い訳」の題名を見た時に、レイモンド・チャンドラーの名作「長いお別れ」を思いだした。同じハヤカワ・ミステリ版だがふたつの訳本がある、「長いお別れ」(76年  清水俊二訳)と「ロング・グッドバイ」(10年 村上春樹訳)。原書は比喩が多くて読みこなせないので偉そうなことは言えないが、清水俊二訳のほうがチャンドラーらしい情緒があって好きだ。