2021年9月30日木曜日

ロバの耳通信「グレイヴディッガー」「クリーピー」

「グレイヴディッガー」(05年 高野和明 講談社文庫)

連続猟奇殺人事件、墓掘人(グレイヴディッガー)、命がけの逃走・・と裏表紙に紹介され、高野和明作とくれば、面白いに違いないと読み始めたのだが、うーん、面白い筈だったキーワードのつながりに必然性もなく、予告編とポスター「だけ」がオドロオドロしい怪談映画みたいな作品。骨髄ドナーが手術に間に合うかと、町中をヤクザや警察に追いかけられるところは、映画だとハラハラするところなのだが、逃げる主人公の心情描写もレンタカーを借りたり、モノレールの線路を歩いたりに必然性も具体性もないうえに、コミカルな味も持たせようと作者自身が面白がって書いているから、読んだワタシは白けただけ。最大の失敗は、450ページを割きながらの小説に、「オチ」がないこと。

実のところ、今まで読んだ高野の作品(「13階段」(04年 講談社文庫)、「ジェノサイド」(13年 角川文庫)など)が面白かったから、この「グレイヴディッガー」も、途中で何度も挫折しそうになりながらも、きっとどこからか面白くなると信じて読んできたのに。時間のムダをした。

「クリーピー」(14年 前川裕 光文社文庫)

第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作(11年)だと。ワタシはミーハーだから、こういう「賞」ものに弱い。サイコミステリーというのだろうか、猟奇殺人の犯人がジワジワとあぶり出しのようにページに現れてくるのがいい。犯人捜しの筋立ては明智探偵風の複雑さでたっぷり楽しめた。「怖い隣人」の設定は、いかにも現代に合っている。映画(「クリーピー 偽りの隣人」(16年))や続編(「クリーピースクリーチ」(16年))もあるらしいが、本編で十分。怖いモノは大好きだが、繰り返される猟奇は性に合わない。

2021年9月25日土曜日

ロバの耳通信「ピエロがお前を嘲笑う」こんな面白い映画があったのかと興奮してしまった

 「ピエロがお前を嘲笑う」(14年 独)原題:Who Am I - Kein System ist sicher

ハッキングが得意の奥手の青年が仲間と一緒にあちこちのサイトに侵入してイタズラをしているうちに、サイバー空間にいるMXと名乗るボスキャラと出会う。MXはサイバーマフィアと呼ばれているホンモノのサイバーテロリスト。とあることから警察に協力しMXの摘発を手伝うことに。

サイバー空間でのハッカー同士のやりとりを、地下鉄車両内の乗客の会話に例えていてハッキングやサイバー内での抗争、トロイの木馬などいままで良く理解できなかったことが、メからウロコ感。ドイツ連保警察ネットへの侵入(ゴミ捨て場から個人情報の入手)、ユーロポールネットへの侵入(忘れものを取りに戻る見学者のフリをして食堂テーブルの下に、ニセFiFiサーバーの設置)、二重構造にしたトロイの木馬のシクミなど新しい知識を得ることができた(気がする)。

ラスト近くで、数度のドンデンガエシがあり、”ワタシが負けました”とお手上げ感を味わいつつ”見事に騙された快感”に浸った。久しぶりの感動。これだから映画はやめられない。トリックがわかったから、また最初から見ることにしよう。

この映画、14年公開だけれどもスマホは使われていない。登場するコンピュータはデスクトップとノートだけだが、古臭さは感じない。この数年のハードウェアの更新は小型化だけなのかもしれん。うん、細かいことはどうでもいいか。とにかく面白かった。

2021年9月23日木曜日

ロバの耳通信「スペル」「闇金ウシジマくん」「ゼニガタ」

 「スペル」(09年 米)原題:Drag Me to Hell

ゾンビ映画「死霊のはらわた」シリーズ(83年~)のサム・ライミ(監督)の逆引きで動画サイトで発見。金持ちになった黒人一家が祖父の葬式に出席するために自家用機を飛ばす。悪天候で遭難、不時着し、助けられたところがフードゥー(ハイチのブードゥー教のようなもので南部の貧しい黒人たちが信じる土着宗教)の家。

途中で気がついた、登場人物のほとんどが黒人。底知れない怖さの原因はココか。ワルを出さないで、黒人はみんないい人の括り方もなにかおかしい。サム・ライミ監督はゾンビと黒人を同じ扱いにしていて、脅かしの手口は「死霊のはらわた」と同じ。

後半はフードゥーの呪いの人形やら怪しげな食い物やらで煽られ、結局怖がらせただけ。何よりも登場人物の気味悪さ。汗にまみれた黒い肌、濁った目とか黒人への嫌悪感を強く感じてしまった。こういう映画ってどうなんだろう、サブリミナル手法で黒人への嫌悪感や怖さを植え付ける究極の人種差別映画だよな。




「闇金ウシジマくん」シリーズ(12年~ 邦画)

原作の同名マンガ(04年~ 真鍋昌平 ビッグコミック)も何度か見た記憶があって、シリーズ全4作がYouTubeにアップロードされていたのを見始めたら引き込まれ、結局全作を見てしまった。

山田孝之演じる闇金融屋「カウカウファイナンス」社長のキャラがマンガそっくり。金利が10日で5割、最初の借入限度が5万円。借入時に金利分の2万5千円が差っ引かれ、手元に残るのが2万5千円で10日目には5万円の返却だと。金利が10日で5割だと5万円を10日借りて、10日目に7万5千円の返却かなと思っていた。うーん、結果は同じ気もするのだが、なんだかよくわからない計算。

「ゼニガタ」(18年 邦画)

深夜に闇金屋に変わる居酒屋というのがなんとなく「深夜食堂」(テレビドラマ。韓国版もあり、どっちがパクリかわからないが韓国版のほうが格段に面白かったのは居酒屋の主人の役者のせいか。「ゼニガタ」では大谷亮平が居酒屋の主人役なのだが、うーん、ウシジマくんと違い、役にあってないんだよな、これが。こっちの金利は10日で3割。

2つの闇金映画。どちらも勧善懲悪のストーリー展開だから痛快さも楽しんだのだけれども、なんかひっかかるんだよねこういうクライム讃歌。

2021年9月18日土曜日

ロバの耳通信「悪医」

新型コロナ肺炎のせいで、医者の本質を見ることができた気がする。
予防接種の予診をした医師の慇懃無礼さは、かかりつけ医の普段の物言いの横柄さと対照的に見えるが本質的には同じものだと気づいているのだよ、俺等(わしら)は。

「悪医」
(13年 久坂部羊 朝日新聞出版)

ガンは治らない。ガンの治療、特に抗がん剤はすごく苦しいということを正面から書いている。ここまでハッキリ書けるのは著者が医者でもあるからだろうが、患者側からの苦しみを必死に伝えようとする。誰に。一方、ガンを治療する医者の苦しみも書いている。苦しむ患者に対し、本当は治らないのだと告げる苦しさ。大丈夫とウソを言う苦しさ。医者の辛さをたくさん書くことで、バランスをとっているようにも見えるが、抗がん剤で苦しむ患者とそれを強いる医者の苦しみを比べるナンセンスも感じてしまう。治らないとわかっている患者を診る医者の気持ちもわかってほしいと医者の代弁をしているようにも見える。はてさて、それはどうかな。一歩下がって、ガン治療に携わる医者も同じように苦しんでいるとしても、そういう真摯に治療に取り組んでいる医者ばかりなのか。

ガン患者は、例外なく苦しい。程度の差はあるだろうが、なけなしのお金を払い、手術をし、抗がん剤を打ち、免疫療法にすがる。それでもかなりの人がただ苦しむだけで助からない。医者も、厳しい選抜試験を経て、莫大な投資をしてきたのだ。とはいえ、マジメに診断もせず、「風邪ですね」で多くの患者を追いやり、患者を薬漬けにしているイイカゲンな医者がいることもワレワレは知っている。
「悪医」ではラストで、担当の医者にもはや打つ手はないと言われたことを恨み、その後別の病院での治療をうけたが最後にホスピスで亡くなった元患者のテープを聞きながら、その医者が悪医にならないように前に進むことを誓う。うーん、結局久坂部が一番言いたかったのは何なんだ。

2021年9月10日金曜日

ロバの耳通信 「ブラック・アイランド」「バイス」

 「ブラック・アイランド」(21年 独)原題:Schwarze Insel/Black Island

結構な頻度で挿入されるエロシーンから、女教師と青年のイタリア映画の”性の目覚め”のドイツ版かと予想していたらゼンゼン違った。北海の小さな島に赴任してきた女教師が昔自分と母を捨てた教師に復讐するために島に来て、教師の家族をひとりづつ殺してよくというミステリー。犬に襲わせたり、首を締めたり、点滴のバルブを調整したり、コーヒーに麻酔薬を入れて飲ませ池で溺れさせるとか、変態女教師により見せつけられる恐ろしいシーンの連続なのに、北海の島の美しい景色や住みやすそうな家などドイツの田舎暮らしに憧れさえ感じた。

仕事で良くドイツには滞在した。だいたいは大都会か工業都市で東京や川崎と変わらない印象だったのだが、15年くらい前、いっしょに仕事をしていたアメリカ人の実家がドイツの片田舎にあるということで誘われてドイツの農家に数日訪問した。朝は大家族と一緒に朝食をとり、昼は近郊の古い遺跡などを訪問、夜はその家族の屋末子である小学生の部屋をあけてもらい休んだ。朝の食事の品数の多さや夕食の早さや質素さを知り、テレビもラジオもない田舎の夜の長さに不安を感じつつも、2晩目以降の夜のよく眠れたことを今も忘れない。

「バイス」(18年 米)原題:Vice

アメリカの第43代大統領ジョージ・W・ブッシュ(息子のほう)の下で副大統領を務め、”アメリカ史上最強で最凶の副大統領”と呼ばれたディック・チェイニーの伝記映画。テレビ画面をあちこち挿入し、出てくる人物もソックリさんみたいな俳優を配しているから、実録映画を見る感覚で楽しめた。チェイニー副大統領をクリスチャン・ベールが演じていたのだが、普段のクリスチャン・ベールとえらく風貌や体つきが違っていて驚いた。いくつかの映画賞でもソレが話題になって主演男優賞を獲ったと。チェイニー副大統領は写真しかしらないが、やっぱり良く似ている気がする。

映画そのものも大変面白かったが気になったところが2点。チェイニー副大統領婦人を演じたイタリア生まれのエイミー・アダムスの美しさにまいった。もともと、ショートヘアーには弱いのだが小柄のエイミーは可愛かった。もう1点は、映画のツクリに特徴があって、制作陣をチェックしたら筆頭にブラッド・ピットの名前があった。ブラピらしいツクリがどういうものなのかはうまく説明できないのだけれども。

原題のViceは接頭語だと「副」。単独で使うと「悪徳」とか「悪習」とかの悪い意味があるらしい(wiki)。

2021年9月4日土曜日

ロバの耳通信「外人部隊フォスター少佐の栄光」「西部戦線異状なし」

「外人部隊フォスター少佐の栄光」(77年 英)原題:March or Die

新型コロナのせいで、どこへも出かけられず鬱々としていて見つけたGyaoの古い映画。主演がジーン・ハックマンと知り、懐かしさに見始めたらコレが大当たり。ウレシクて二度見してしまった。

監督・製作(ディック・リチャーズ)、製作(ジェリー・ブラッカイマー)、撮影(ジョン・オルコット)、音楽(モーリス・ジャール)の今では考えられない製作スタッフに加え、配役もジーン・ハックマン、テレンス・ヒル、カトリーヌ・ドヌーヴ、マックス・フォン・シドーほかよくこれだけそろえたものだと感心。映画の黄金時代だったのだと改めて再認識。個性派揃いなのに、誰もが突出することなくそれぞれに持ち味を生かした映画作りは、アイドルの人気に偏りがちな近年の邦画も大いに見習うべきだろう。

映画は第一次大戦後のモロッコ。フランスの外人部隊を率いるフォスター少佐(ハックマン)とモロッコの部族民との悲劇的な戦闘を描いたもので、特にラストのロングショットの戦闘シーンのすごさに圧倒された。あと、未亡人役を演じた当時32、3歳のドヌーヴがたまらなく美しい。学生時代に見た「昼顔」(67年)や、「哀しみのトリスターナ」(70年)の哀しい美しさにまいって、どこかから剥がしてきた映画のポスターは長く自室の壁に。

「西部戦線異状なし」(79年 米・英)原題:All Quiet on the Western Front)

ずいぶん前に見た記憶があり、ストーリーの展開も、大迫力の戦闘シーンも覚えがあったのに。確かモノクロだったよな、とか配役違うな例えばアーネスト・ボーグナインとか出てなかった筈と。結局ラストシーン<鳥に気を取られ塹壕から頭を上げ、撃たれる>が私の見た昔の映画では確かに蝶だったと。読んだ筈の新潮文庫の原作でも兵士が気を取られたのは蝶だったような記憶。

第一次世界大戦時のドイツの若い兵士たちの物語。学校卒業と同時に志願し、訓練所で鍛えられ、過酷な独仏戦線の泥沼の中で死んでゆく。戦争が終わったらこんなことをしたい、あんなことをしたいと語り合った仲間がひとり、またひとりと、足を失い、腕を失い、狂い死んでゆく。青春の記録ではあるが栄光も輝きもない。ただ戦争の不条理さを訴えかけて終わる。


改めて見直した記憶の中の「西部戦線異状なし」は30年公開の米モノクロ映画だった。

こういう作品を見ることができてよかった。若い人に見てほしい。