2021年11月23日火曜日

ロバの耳通信「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」

 「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(21年 米・英)原題: No Time to Die

ダニエル・クレイブは好きだし、自身がジェームズ・ボンドはこの作品で終了と公言しているのを知っていた。近年白髪と疲れ顔が気になる彼のジェームズ・ボンドに少し飽きていたから、もしかしたらと引退記念作品が最も面白い作品になることを期待していたのだが。うーん、シリーズいままでの作品と変わっとらんな、と実感。


本作のクランク・イン当時から大きな話題になっていたのが「ボヘミアン・ラプソディ」(18年 英・米)でフレディ・マーキュリーを演じ、世界の映画賞を総ナメにしたラミ・マレックの共演。テロリストの親玉を演じていたが、これほどの個性を持った俳優を、もったいない使い方をしている。残念。

ハンス・ジマーの音楽も生かされてないし、ビリー・アイリッシュが歌っている映画と同名の主題歌もあんまり。エンディングで流れたルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて(We have all the time in the world)」も、流れからは唐突で、なんだかね。

ワタシにとって007シリーズの面白さはジェットコースター感あふれるアクションであり、手に汗にぎるスリルとサスペンス、それに英国風のウイットに溢れた会話だったのだ。ダニエル・クレイブ版は、敵、味方とも哀しすぎ。特に「007 スカイフォール」(12年)では、親なしボンド子供時代が哀しく語られるわ、狂ってしまった元同僚を殺さなきゃならなくなるわ、Mオバサンは死んでしまうわで、暗すぎ。確かに、ダニエル・クレイブ降り時かな。「ドラゴン・タトゥーの女」(11年 米)が一番思い出作品かな。暗くて寒いスウェーデン推理小説「ドラゴン・タトゥーの女」の陰鬱さにはピッタリの俳優だったと思う。

本作でもカタキの娘と愛し合い、はては彼女とその幼い娘をおいて死んでしまう。うーん、ちょっと叙情を通り過ぎて哀しすぎ。

予告編が公開されてから時間がたち、待たされた感。期待もあったからボロクソの感想になったけれど、きっとまた見る。何度も見るだろうな。

2021年11月20日土曜日

ロバの耳通信「ドアマン」「アルマゲドン・サーガ」「劇場版 怪談百物語」ハズレばかりが続く・・

 「ドアマン」(20年 米)原題:The Doorman

海兵隊出身のドアマン(ルビー・ローズ)が高級マンションを襲ったギャング団と戦うアクションもの。ギャングの親玉がすっかりデブになったジャン・レノ。オーストラリア女優・モデルのショートヘアのルビー・ローズは可愛い。ただ、屈強の男たちと戦うシーンはかなりの違和感。だって、体つきがいかにも華奢で壊れそう。うーん、ヒロインが明らかにミスキャストだよね。可愛いから許すけど。

「アルマゲドン・サーガ」(21年 米・独)原題:Armageddon Tales

近未来の気候変動と伝染病に苦しむ人々を描いた作品。いわゆる世紀末モノは好きなのだが、水を求めてとか、化け物を避けてとか、ひたすら彷徨うだけ。起承転結の「承」だけのオムニバス集は、やっぱりつまらない。廃墟に俳優を何人か集めただけの思いっきり手抜きの映画。誰がみるんだ、こんな映画。ポスターに釣られた。

「劇場版 怪談百物語」(20年 ニュージーランド)原題:The 100 Candles Game

オムニバスの演出方法として「百物語」は悪くない。が、どのハナシも尻切れトンボというのだろうか、どれも怖くない、てか全8話の出来不出来の差が激しすぎ。古びた椅子やら鏡に写った血だらけの顔や効果音は、当たり前だが日本のソレとはかなり趣きが違う。ジッサイ、ディズニーランドのホーンテッドマンション並みなんだ。

新作だからといって、すべての作品が面白い訳ではない、と実感。もう、新作漁りはやめて口コミをよく確認すべしと、自戒しきり。

2021年11月15日月曜日

ロバの耳通信 「フィンチ」「テロ、ライブ」

 「フィンチ」(21年 米)原題:Finch

突然の太陽フレアのためにオゾン層が破壊され、強い紫外線、高温でほとんどの動植物が死に絶えた近未来の地球が舞台。食料不足や疾病で人々のほとんどが死に絶えた世界、ひとりで地下壕暮らしをするフィンチ(トム・ハンクス)の物語。字幕版で見たが、トム・ハンクスの訥々とした話し方は「フォレスト・ガンプ」のソレと同じで、啓示的なセリフがジワーッと滲み込むいい映画。

”社会的”不器用というのだろうか、つきあいがうまくなかった技術者フィンチが、病で自分の余命が短いことを知り、自分の死後残されるであろう愛犬グッドイヤーの世話をしてくれるアンドロイドを作り、一人、一匹、一体でフィンチが長くあこがれていたサンフランシスコへの長い旅に出るという物語。

登場人物はフィンチ、愛犬、自走ロボット、アンドロイドだけ。しかも、前半はほぼフィンチの独り言だからすこし退屈。後半はアンドロイドとの少ない会話だから、これも静かにストーリーが進む。このところ、切った貼ったのアクションモノやら、息を詰める怖さのミステリー作品が多かったから、刺激が足りないかなとも思っていたのだが、静かに押されたこの映画のほうが、ずっと効いた。


「テロ、ライブ」(13年 韓)原題:더 테러 라이브

動画サイトの釣りを見て、ああ主演があんまり好きじゃないハ・ジョンウだからと舐めてかかって見始めたらまいった。緊張感に釘付けになってしまった。うん、このところこんなにハマった映画はなかったんじゃないか。

スジは賄賂の疑いでラジオ局に左遷された、元テレビ局の花形キャスターのユン(ハ・ジョンウ)に、公開ラジオ相談で”言うことをきかないと橋を爆破する”と脅迫電話が入るところから映画が始まる。いたずら電話だと思ったユンは、やれるもんならやってみろと暴言を吐くが直後麻浦大橋が爆破される。その後、爆破犯からは自分は橋の建設に携わった建築作業員で、補修作業中に海に落ちて死んだ仲間のために大統領の謝罪を求めるという要求が出される。謝罪の要求をのまなけれ更に爆破を続けると脅迫。

テレビ局長からはテレビ独占生中継して犯人とのやり取りをうまくこなし視聴率を上げればテレビキャスターに戻してやるぞと、テロ対策の責任者からはテロと取引はしないと強行論をぶたれるは、大統領の代わりに出てきた汚職容疑のある警察庁長官はスタジオでイヤフォン爆弾で殺されるは、とにかく、汚職、権力、弱者排除、離婚など韓国らしい社会問題がこれでもかとあからさまに。

韓国偉いよ、こんな映画で社会を痛烈批判するなんて。うん、結果、相変わらず汚職、権力ゴリ押し、社会格差など何も改善がすすんでいないようだけれども、それらがうまく隠されている日本も同じか。

2021年11月13日土曜日

ロバの耳通信「彼女がその名を知らない鳥たち」

「彼女がその名を知らない鳥たち」(09年 沼田まほかる 幻冬舎文庫)

 解説に書評家の藤田香織が書いている、単行本のオビには”それでも恋と呼びたかった”と副題がついていたと。読み終わって、藤田の解説にも感動した。藤田によれば”これを恋と呼ぶのなら、私はまだ恋を知らない”と。良い作品には良い書評家が解説を書くなぁ。まいった。

主人公の名前は十和子。別れた男が黒崎、同棲しているのが(佐野)陣治、新しい恋人が水島。この3人の名前だけ憶えておけばいい。翻訳もののミステリーと違い、入れ替わり立ち代わり憶えられないカタカナの名前が出てきて、コイツ誰だったかなとページを戻って確かめる必要はない。十和子が愛した黒崎、陣治が尽くすのは十和子。女性は自分を十和子に、男性は自分を陣治や水島に置き換えて、アバターゲームを楽しめる。
これだけ面白いと、ほかの作品もぜひ、読んでみたい。沼田まほかる、初めて読んでひっぱたかれた。

映画化(17年 邦画)もされていると。十和子が蒼井優、陣治が阿部サダヲだと。うーん、この配役、どうだろう。

2021年11月7日日曜日

ロバの耳通信「ブルータワー」「切羽へ」

「ブルータワー」(08年 石田衣良 徳間文庫)

SFが好きだった時代があった。みんなそうなのだろうが、楽しい時間ばかりではない時に白日夢のように妄想を膨らませることのできる時間は、今思い出しても甘美で切ない。いつのまにか、SFの世界が、届かぬ夢の世界だと認識するようになって、そういう本を読まなくなっていたし、ごくまれに触れたSF小説やファンタジー映画は、一時の娯楽。そこで楽しんでも、本気で入り込める世界ではなくなっていた。


「ブルータワー」は悪性脳腫瘍の男の、意識だけが200年後にタイムスリップ。階層社会の頂点で世界を救うミッションに臨むーまあ、ひとことで言えばやっぱり絵空事なのだが、石田の書いたSFは、ジジイを夢中にさせる面白さがあった。映画を見ているような迫力感と新型インフルエンザの脅威、ハンドヘルドの対話型コンピュータ、冷たい浮気妻や主人公を支える陰の女などなど道具立てに無理がないから、情感たっぷりで入れ込めた。なによりSF定番の突然な不可解な終わり方もなく、さわやかな読後感は、このところいい作品にめぐり合っていなかったので、一層楽しかった。

「切羽へ」(10年 井上荒野 新潮文庫)

表紙が気に入ったのと、裏表紙の”直木賞受賞””官能的な大人のための恋愛長編”の釣りに惹かれて読みだした。”明け方、夫に抱かれた。”の出だしとそれに続く自分の体を卵の黄身にたとえた文章は、女性らしい感性だなと感心さえしていた。ただ、読み進めるうちに、「ソレばっかり」の生臭さに気付き、それが続くと辟易してしまった。”官能的”とはそういうことだったのか。
養護教諭の主人公の子供たちとの交流やとひとり暮らしの老女の看取りなどが方言を交えて、ローカル色豊かな島(多分、長崎の五島列島か)を舞台に語られ、書きなれた文章にも好ましく感じたのだが。
そういう不満をカミさんに話たら、感情を引きずるのが良くない。いやな気持になったらさっさとやめろと。

はじめて読んだ作家だったからwikiで調べたら、井上光晴の長女だと。著作も多いが、この「切羽へ」の不快感で、ほかの本に食指がわかない。

2021年11月3日水曜日

ロバの耳通信「 DUNE/デューン 砂の惑星」「ブラック・ウィドウ」新作2本は大当たり

 「DUNE/デューン 砂の惑星」(21年 米)原題: Dune

初回、字幕なしで動画を見始めて30分で挫折。登場人物名やカタカナ名詞の連続。映画のスタートだから、背景というかそういうものを説明しているのだろうが、短いセリフが哲学的で全く理解不能。西暦1万年の未来、地球じゃなく砂漠の星の領地争い、領主の息子が主人公らしいことがわかったくらい。セリフもストーリーにも頭が追いつかないと、wiki、映画評やらネタバレを先にチェック。

ハナシは中世の叙事詩みたいなSF。予備情報を仕入れて字幕アリで最初から。筋は意外に単純で、”スパイス”というエネルギー資源を算出する惑星の資源管理を皇帝から指示された領主が、前の領主と争わざるを得なくなる。これが強い領主たちをお互いに戦わせることで力を削ぐという極悪皇帝の作戦。領主の息子は旧領主と戦い、魔法使いの母やこの惑星の原住民たちと力をあわせて皇帝に対抗しようとするーというところで本作Dune: Part Oneが終了。

ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督(「ブレードランナー 2049」(17年 米))。レベッカ・ファーガソン、ハビエル・バルデム、ステラン・スカルスガルドとか世界中の名優を集めているが、邦画によくあるチョイ顔出しの友情出演風じゃなく、しっかり個性をだしているのがいい。なにより嬉しいのが音楽担当がハンス・ジマー。腹の底に響く低音の連続はヘッドフォンの中にもうひとつ叙事詩を語っており、サントラだけでも楽しめそう。続編は2年後だとか。待ち遠しいのー。



「ブラック・ウィドウ」(21年 米)原題:Black Widow

キャラもほとんど知らないマーベル・コミックが原作だから、乗り気じゃなかったんだけど、大好きスカーレット・ヨハンソンが暴れまわるという予告編を見て面白そうと。

やっぱり、暴れるスカーレット・ヨハンソンはよかった。「ゴースト・イン・ザ・シェル」(17年 米)の草薙素子を思い出すね。コレもマンガが原作だからストーリーの混乱もなく、お金をかけてることを確信させる上質のグラフィックの中で、縦横無尽に暴れまわる不死身のヒロインに痺れた。主人公はゼッタイ死なないし、適当にお涙頂戴の浪花節も混ぜ込んだハッピーエンドが鉄板のアメリカン・コミックだから、大きな映画館の大画面・大音響でまた見たい。