2021年12月30日木曜日

ロバの耳通信「30年後の同窓会」「7500」

新型コロナ肺炎の蔓延で、出かける機会がぐっと少なくなってしまった。映画も美術館も、車でちょっと遠くに出かけテイクアウトの食品などを買い込みカミさんとホテルでオン・デマンドの映画を一緒に見る、なんてこともなくなってしまった。そういう普通の暮らしが懐かしい。

テレビもなんだかつまらなくて、今は朝に動画サイトをチェックすることと、夕方にスマホで新型コロナ肺炎の”今日の感染者数”をチェックするのが習慣になってしまった。また増えてる・・オミクロンも増えてる。一喜一憂してもしょうがないと分かっているのだが、湧き上がってくるような不安は消えない。

「30年後の同窓会」(17年 米)原題:Last Flag Flying

アフガン戦争で死んだ息子の葬儀にベトナム戦争の戦友だったふたりに参列に依頼、3人の元海兵隊員で棺を故郷に持ち帰るという物語。

戦死した兵士の棺を軍人が付き添い移送する米軍のシキタリはケビン・ベーコン好演の「TAKING CHANCE/戦場のおくりびと」(09年 米)で知り、一種の感動を覚えた記憶もあったが、どうも今もこのシキタリが続いているらしいことに感動の想いを新たにした。

太平洋戦争の旧日本軍ではそういうシキタリはなかったようだが、災害派遣などで亡くなった自衛隊たちの棺はどうしているのだろうか<無念にも似たこの思いの事を前にもどこかに書いた気がする>。

映画の主題は何だったのだろうかと考える。無茶をした戦友との友情物語か、映画の中で息子を亡くした老いた母親が息子の戦友に問う、何の目的の戦いだったのかと。仲のいい両親に恵まれ楽しい少年時代を過ごしたと思い出を戦友に語りながら死んだ息子への追憶か、悪い環境に育ち幼い頃に父親を亡くしやることもなく兵士になった青年の物語か。泣きどころ満載の映画だが反戦の思いは充分に伝わった。

「7500」(19年 米・ドイツ・オーストリア合作)原題:7500

ベルリンからパリに向かうエアバスがテロリストの乗っ取りに遭い機長は殺され、負傷した副操縦士(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)によりハノーバーに緊急着陸する。

副操縦士と若いテロリストとのやり取りや副操縦士の恋人の客室乗務員の死など枝葉のストーリーはあるが、ただそれだけ。ハラハラはするが、操縦席のシーンだけで緊張感を持ち続けさせるのは難しい。

主演のジョセフ・ゴードン=レヴィットは好きな俳優だし、今まで「G.I.ジョー」「インセプション」「ダークナイト ライジング」「LOOPER/ルーパー」「スノーデン」など多くの作品を楽しんできたが、彼の持つ優しい表情やフッと見せる軽妙さが場違いに思えるこの「7500」の副機長役はミスキャストだ。

2021年12月25日土曜日

ロバの耳通信「それからはスープのことばかり考えて暮らした」「柔らかなレタス」

「それからはスープのことばかり考えて暮らした」(09年 吉田篤弘 中公文庫)

連作ではあるがトリトメのない話であるから、どこから読んでもよさそうーとおもっていたら、ズンズン引き込まれてしまった。悔しいほどステキ、としか言いようのない本だった。この映画好きの主人公が何回も見た映画のどこが好きかと下宿屋のオバさんに聞かれるところがあり、その映画は”中の下”だが、チョイ出の女給役の女優が好きだからと説明するところがあり、同じく映画好きのワタシもそういうことが良くあると。うん、うんわかるよと、ニヤニヤしながら読んだ。映画も本も自分に似た誰かが自分の好きな誰かにめぐり合うとか考えると、ドキドキしてしまう。いい歳してオカシイ、と自分でも思う。
とにかく、どこを切り出しても暖かく、いい気持ちになれる。オシマイに誰かが亡くなったり、わけもなく無限大にハッピーになったりもせず、「おいしいスープの作り方」で終わる。こういう本が一冊書けるだけでもいいな。こういう本を一冊書く才能なんか、到底及びもつかないけれど。いちばん気に入ったところは、”おいしいものを作るには、一生懸命だけでは足りない”と、一生懸命というのは、たいてい自分のためだけで、それだけでは足りないと。うーん、この読み終えたときの満足感は何だ。また、読みたくなるこの気持ちをどう説明すればいいんだ。

「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)

江國の本は何冊か読んでいて、たとえば「左岸」(08年)はちょっとウルっときたラブストーリーで好感。味をしめて臨んだ「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(07年)はちっとも面白くなくて、相性が悪そうだからしばらく江國はやめておこうと思っていた。
「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)は週刊文春に連載のエッセイを集めた本で、”読むと必ずお腹がすきます”と紹介文にあった。うん、うんそう思った。

なんだか、江國のことを誤解していたのかな、やさしいいい本じゃないか。一冊くらい、性に合わない本に出合ったからって、そう偏見で見てはイケナイのだと、深く反省。「フライパン問題とめだま焼き」なんて、ほとんどワタシの気持ちそのもの。うん、ワタシもかねがねめだま焼きなんて、グロい名前だなーと思っていたんだ。
めだま焼きは大好きで、たまたま昨晩見ていたYouTubeの朝ごはん紹介動画でどこかのアンチャンがフォークですくっためだま焼きーアメリカのめだま焼きの黄身は日本のソレよりずっと白っぽいーを実にウマそうに食べていて、今朝は起きる前からめだま焼き、めだま焼きと頭がいっぱいになっていた。

2冊ともカミさんが借りてきた本。思いがけなく、いい本に会えた。よかった。すこし前に、たとえば一万円の本と金額を指定すると、その人が好きそうな本を選んで送ってくれるという地方の本屋さんが大流行りだと。ケチだから一万円は、受け入れることはできないが、そういう本の選び方は案外いいと思う。

2021年12月20日月曜日

ロバの耳通信「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」「マスター・プラン」

 「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」(21年 米)原題:Venom: Let There Be Carnage

「ヴェノム」(18年)の続編。トム・ハーディの大ファンで、もしかしたら続編のほうが面白いかもとの淡い期待、アテにはならないが映画雑誌などで結構高評価ということから、相性の悪いマーベル・コミックのスーパーヒーローだけどまあ見てみるかと。やっぱりダメだった。本編もどこが面白いがわからず途中で放棄した記憶があったが、この続編も途中早送り。

凶悪殺人鬼役のウディ・ハレルソンだけはいつものキャラで面白かったが、なにせ架空の生物ー宇宙からの共生体ヴェノムとその変位体カーネイジ(原題はココから。元の意味は殺戮者)がスクリーンいっぱいに暴れまわるCGだらけの映画だから、正直な感想は”こういうハチャメチャにはついていけん”

「マスター・プラン」(14年 スウェーデン)原題:Jönssonligan – Den perfekta stöten

自動車窃盗を生業にしている男(シーモン・ベリエル)が盗んだ車の持ち主の国際金融会社の女社長から仕返しされ相棒を殺されてしまう。男はその女社長に復讐すべく詐欺師、爆破のプロ、金庫破りのプロを雇い、国際金融会社の地下金庫から60億円を奪うというスジなのだが、この映画のウリはハラハラする予想外のことに対し、いわゆるプランBで対応してゆく展開。娯楽作品としては当たり前なのだろうが、まさに予想外の展開にドキドキ感が抑えらずクギ付けになった。

いかにも北欧系、インテリ風マスクのシーモン・ベリエルが良かった。タブーな兄妹愛を描いた「妹の体温」(15年 ノルウェー)の兄役も良かった。

原題にJönssonliganとあるがシリーズ作品らしく、探索中。普段あまり見ることのないスェーデン映画だが、これは気に入ったよ。


2021年12月15日水曜日

ロバの耳通信「クライ・マッチョ」「THE GUILTY/ギルティ」

 「クライ・マッチョ」(21年 米)原題:Cry Macho

クリント・イーストウッドの映画(製作・監督・主演)ということでどうしても見たかった。彼の作品のほとんどを見ていて、ストーリー展開に戸惑ったことなどついぞ経験がなかったから予告編も書評もパス。ワーナー・ブラザースのオープニングマークだけで、期待感で喉の乾き。

昔はロデオの名手、いまは馬の調教師で細々と暮らしを立てている老カウボーイがイーストウッドの役。古い友人から、メキシコにいて前妻と暮らしている息子を連れ戻してくれと頼まれる。時代は70年代。貧しい町で闘鶏で暮らしを立てていた少年を、前妻の手下のギャングに追われながら国境まで連れ帰るそれだけの物語。老カウボーイとメキシコ少年の交流なんて、クリント・イーストウッドにピッタリの作品じゃないか。少年を国境の父親に引き合わせ、自らは途中で世話になった食堂の店主、孫たちと暮らす未亡人のもとに引き返す。

原題のMachoはいわゆるマッチョ(強い男)の意味と少年が飼っていて、ラストで老カウボーイに託される雄鶏の名前。訳せば、泣くなマッチョか。

クリント・イーストウッドはこの作品の撮影時は90歳くらいか。ヨレヨレのジジイが未亡人に請われてダンスを踊るシーンで流れたスローのラテン音楽に涙が出そうになった。この曲、タイトルバックにも流されたのだが、歳を取ること、いろいろなことがうまく行かないままに暮らしを紡いでいる自分をこの作品の老カウボーイに重ね合わせ、またセンチメンタルに浸る事ができた。


「THE GUILTY/ギルティ」(21年 米)原題:The Guilty

緊急通報室(911 日本の119に相当)のオペレーターのジョー(ジェイク・ジレンホール)は裁判待ちの刑事。若者を殺してしまったが、明日の裁判で同僚に正当防衛の証言をしてもらう約束をとりつけてはいるものの心中穏やかではない。数年前に離婚し、娘を妻にとられて声だけでも聞きたいと夜中に元妻に電話するジョー。もちろん断られ、持病の喘息の調子も良くなく吸入器が離せない。つまりは、八方塞がりのパツンパツン状態のジョー。

そんな時、誘拐されているという女性からの911コール。女性のハナシは要領を得ず、救助を手配しようにも車や場所の特定もできない。パトカーに救助を依頼するも情報不足で動けず。女性の幼い娘やダンナも追っかけて電話するが、こっちもうまくゆかず、ジョーは茹で蛙状態。

最初に電話をかけてきた女性が精神病で、ダンナが病院に連れてゆこうとしていたという事実に気付いたジョーは自分の早とちりに精神崩壊。

薄暗い緊急通報室のブースの中で額に脂汗をにじませたジェイク・ジレンホールがヘッドセットを通して、なだめ、すかし、大声をあげているのを見続けた約1時間半。疲れた、が面白かった。

同名のデンマーク映画(18年)のリメイクだそうだが、オリジナルも見たい。TBSラジオがオーディオドラマ化した(wiki)ということで探したらYouTubeに。YouTubeはスゴイ、が、TBSラジオのソレは、声優のせいか、脚本の出来のせいか、多分両方のミスキャストだろうが、ひどいものだった。

字幕付き映画のジェイク・ジレンホールは、声も表情も圧巻の出来だった。ポスターも最高!


2021年12月10日金曜日

ロバの耳通信「トレジャーハンター・クミコ」「ヒットマン・ボディーガード」

「トレジャーハンター・クミコ」(14年 アメリカ)

30歳を前に、上司から退職を勧められたOLのクミコ(菊池凛子)のお友達はウサギだけ。口うるさい実家の母から結婚を迫られ、職場では若い同僚たちの仲間にも入れない。クミコは、実話をもとにしたという「ファーゴ」(96年 米)のビデオの中の誘拐犯が雪の中に多額の現金のはいったカバンを隠したシーンを実際の出来事と信じて、アメリカに旅立った。
映画前半は、希望のない暮らしを送るネクラのクミコの暮らしが描かれ、後半は善意のアメリカ人たちが次々に出てきて宝探しをするクミコを助ける。


”映画を鵜呑みにしてアメリカでお宝探しで迷って死んだ日本人(コニシ・タカコ)がいるらしい”という都市伝説(wiki)に基づいて作られた映画らしいが、閉塞感だらけの暮らしから夢の世界に飛び出したクミコの気持ちはわかるよ。ポスターもすごく気に入った。壁に貼って、この映画とクミコを反芻したい。菊池凛子は好きじゃないが、クミコには惚れた。

「ヒットマン・ボディーガード」(14年 英)原題 Assasin

殺し屋(ダニー・ダイヤ)が、ギャングのボスの命令で自分が殺した男の娘(ホリー・ウェストン)と付き合うようになり、娘をボスから守るために闘うといういたって単純なストーリー。英映画らしく敵味方がはっきりしていて、結局守り切れず娘も殺され、殺し屋がボスに復讐、というところまでは予想通りだったが、ラストの警察の取調室のシーンは意味不明。
ダニー・ダイヤはとても殺し屋の風貌とは遠く、笑えばそこらのオッサン。最後まで見た理由は、ホリー・ウェストンを久しぶりに見たこと。酒場での殺し屋と娘の掛け合いは面白かったけれど、年とったねという印象。マドンナが初監督し話題になった(けれども売れなかった)「ワンダー・ラスト」(09年 英)という青春映画では溌剌としていたんだけどね。

見てはいないが、一字違いの「ヒットマンズ・ボディーガード」(17年 米中ほか)がNetflexのおかげで当たって、「ヒットマン・ボディーガード」はさらに影が薄くなったみたい。

2021年12月5日日曜日

ロバの耳通信「コンプライアンス 服従の心理」「Bad Moon Rising」

「コンプライアンス 服従の心理」(12年 米)

マックの店長が、若い女性従業員がお金を盗んだから裸にしても調べろというニセ刑事のいたずら電話を真に受け、長時間にわたり従業員を部屋に閉じ込め半裸のまま詰問し、従業員に莫大な賠償金を求められたという実話をもとに作られた映画。この中年女性店長役アン・ダウトが実にハマっていて、アン・ダウトはこの作品で多くの賞を獲得。刑事だという電話に舞い上がってしまった店長は、日々の多忙や不満を従業員に向ける。

この映画、刑事(オカミ)と重責の店長(シモジモ)、店長(オヤダマ)と若い従業員(コブン)というステレオタイプの従属関係により引き起こされたカタストロフィーを描いたが、ワレワレの実生活でも、管理職とヒラ社員、医者と患者、親と子など従属関係であっていい筈のない関係がある。映画のように賠償金を求めることもできず、いつも上目使いでへらへらとおどけ、触ると死んだふりをするダンゴムシの暮らしが続く。

「Bad Moon Rising」(15年 邦画)

この作品に記憶をなくした女トワコで出ている菜葉菜(なはな)という女優が気に入っててね。可愛いわけでもなく、色っぽいわけでもなくそこいらにいるフツーのオネーサンって感じ。寝起きの顔っていうのか、腫れぼったい不機嫌な顔で少し甲高い声。好きな声じゃない。ほとんどないのだけれど、微笑む顔は口角をちょっと上げた作り笑いで、ふっと安心する。それくらいいつも暗い。
映画は介護とか暗い話題をつなぎ合わせたただけで意味不明。音量でメリハリをつけようとして失敗している音楽。効果音は風力発電機のブンブンという低い音。タイトルエンドで流れる台湾のRyan Rieが歌う「人魚」、中国語だからもちろん意味不明だが、曲はいい。すごくいい。
一応最後まで見て、やっぱり菜葉菜はいいと思った。2度は見ないけど。

菜葉菜だけでも気に入ったら、沖縄のユタを題材にした「サーダカー」(07年)、弟の恋人に嫉妬する「どんずまり便器」(12年)を見ておくれ。映画がつまらない分、菜葉菜が光ってるから。