2025年1月30日木曜日

ロバの耳通信「エキゾティカ」「毒麦の季」

どうでもいいどころか、読むのに費やした時間に損をしたと感じた「エキゾティカ」と、哀しみや苦しさに浸ってしまいそうになるも、こういうのだけじゃ耐えられないと感じ、やっぱり避けている「毒麦の季」

「エキゾティカ」(10年 中島らも 講談社文庫)

中島らもの個性あふれた小説は、嫌いじゃなかった。そんなノリで読み始めた「エキゾティカ」だったが、9編の短編は、舞台が中国とかタイであったりの面白い切り口で始まりオチで終わるいわゆる、「大人の寓話」だ。

旅行雑誌に月替わりで連載されるほどの品もなく、娯楽雑誌の広告ページまでの穴埋めに使われるような話ばかりで、少なくとも書き手は楽しんで書いている。それもお金になるというから、小説家は有名になるに限ると、なんだかバカにされているように感じてしまった。こっちも、図書館でタダで借りたものだから偉そうなことも言えないが、とにかくこういう本にかけたムダな時間が哀しい。


「毒麦の季」(09年 三浦綾子 小学館文庫)

救いのない物語ばかりを集めた短編集。読んだのはずっと前だが、今も忘れることができない「貝殻」。嫁いだものの子供ができなかったため、亭主が若い女と作った子供を育てるよう姑に迫られ、家を出て死に場を探すうちに列車の中で知り合った知恵遅れの男の純粋さに触発されて死を思いとどまり、新しい生活を始めた女。暮らしも落ち着き、捜しあてた知恵遅れの男はすでに死んでいた。知恵遅れの男が迷い込んだ町で憲兵隊にスパイに間違われて虐め抜かれ、軍隊の服を見ただけで委縮するようになり、ついには死んでしまっていた。この物語と題名の「貝殻」とのつながりは忘れてしまったが、不条理の繰り返しに胸が痛んだ。

この本、みんなこんな話。暗い話ばかりだったが、これほど不幸じゃなかったと自分の過去と比べ、ため息をついた。

2025年1月20日月曜日

ロバの耳通信「霧の橋」「ラニーニャ」

「霧の橋」(00年 乙川優三郎 講談社文庫)

これまで読んだ乙川の作品の中で最もよかった。刀を捨て商人に婿入りした主人公が、捨てきれない武士の矜持に自らを諫め、平穏な妻との暮らしを大切にしようとする。

夫婦のお互いへの想いや気持ちの機微をこれほど丁寧に書き込んだ作品をほかに知らない。300ページ強の物語は、緊張と静けさ、不安と安心の繰り返しで、読み始めたら食事中も本を離したくなかったほど。ずっとワタシの感情を引っ張って、ラストは詰めていた息を吐き、無事たどり着くことができた安心感に涙してしまった。こういう本を読みたくて、本を読み続けていたのだと、改めて思う。それにしても、普段なんと遠回りをしていることか。

これほど思い入れを持って読んだ本はずいぶん久しぶりな気がし、同時にこういう作品をもっと読みたくなった。

「ラニーニャ」(16年 伊藤比呂美 岩波現代文庫)

書名が気に入った、表紙も。裏表紙の解説”子連れで向かった先はカリフォルニア”の釣りも、久しぶりの岩波文庫も好ましかったのに、読みだした数ページがひらがなだらけの口語で、段落の取り方もなんだかオカシイ。文章は散文といえば聞こえはいいが、脈絡なしの支離滅裂、ゼンゼン追いて行けない。

あわてて、著者紹介をチェックしたら「詩人」だと。あー、そうかとひとり納得、ワタシのアタマじゃ、この詩人の文章は理解できないと。3中編のうち2編は芥川候補作だと。ほー、そうかい。自分に難解なものをしたり顔で、良かったよと誰かにひけらかすほど若くもない。懲りて、しっぽを巻いて逃げるだけ。

2025年1月9日木曜日

ロバの耳通信「キルスイッチ」「ブラッド・スローン」

「キルスイッチ」(17年 米独)

面白い時代になったものだ、国内封切り前の新作映画をどこかの誰かが、ちゃんと日本語字幕を付けてアップロードしてくれている。動画だけなら試写版や有料動画サイトからの転がしでアップロードすることはそう大変だとは思わないが、セリフのデクテーション(文字)を専門サイトからダウンロードして、自動翻訳サイトで日本語にして、もちろんそのままで楽しめるほど自動翻訳ソフトはイカしてないから、イチイチ普通の日本語に直して動画と同期させてくれている。プロにかかれば大したことのない作業なのかもしれないが、たぶん何人かの「誰か」の手を経たものにちがいない。ダウンロードせず見るだけなら罪にもならないらしい。とにかくその「誰か」たちに感謝。

「キルスイッチ」は無限エネルギーをどうにかこうにかするというSF映画で、あまりにもぶっ飛んだストーリーだから理解しようもない。SFもそれなりに説得力を持たせてくれたほうが面白いとのだが、原作は10分のショートフィルム「What's in the Box?」ということだから、丁寧な作り込みなどはムリなのかもしれない。

主演のダン・スティーヴンス(ディズニーの新作「美女と野獣」(17年 米)で美女エマ・ワトソンと組んだ野獣役:うん、こっちもすごいミスキャスト)が元宇宙飛行士の役でSFX画像の中を、相変わらず目の周り真っ黒のパンダ化粧のボンドガールのべレニス・マーロウ(「007 スカイフォール」(12年 英米))と武器を積んだドローンに追っかけまわされる。

PCゲームのように画面の切り替えはシャットダウンサインや立ち上げのディジタル表示なんかが画面に表示され、一人称視点(主役の目を通して進められる)シーンの多さにゲームのような面白さもあるがが、脈略がわからない切れ目だらけの映像は一貫性がなく、ストーリーをより分かりにくくしている。
ストーリー展開におけるゲームとの本質的な違いは、この映画は過去の軌跡も将来の選択もなく、難病の息子や体の弱い妹の挿話が脈絡なく突っ込まれているから、主題であるはずの「家族のために戦う」主人公の存在意義をダイナシにしている。動きに必然性がない主人公が映画の中でイライラしながら何度も叫ぶ「一体どうなってるんだ」をそのまま監督ティム・シミットにお返したい。

「ブラッド・スローン」(17年 米)

原題の Shot Caller は刑務所のスラングで、リーダーの意味。
エリートだった男が、飲酒運転で死亡者が出てしまったために、刑務所にはいることに。こういう場合、日本だと交通刑務所だとおもうのだが、この映画では、凶悪犯などと一緒。アメリカの刑務所については、映画なんかで知る限りだが、ここも酷い。犠牲になる弱者とそれを犠牲にする強者しかいないと知った主人公は、そこで戦いを続け、家族への脅しをちらつかせるリーダーを殺し、結局終身刑ながらリーダーに上り詰める。日本の刑務所についても本や映画でしかしらないが、アメリカの刑務所の違いに驚く。アメリカの刑務所は何倍も怖い気がする。
警察にチクったため主人公に殺されてしまうチンピラ役にジョン・バーンサルが出演、入れ墨はフェイクだとしてもいかにもワルの仕草がそれらしかったが、アメリカテレビドラマ「パニッシャー」シリーズ(16年~)で演じたフランク・キャッスル/パニッシャーは、極悪を倒す正義の味方。長くみたせいもあって、結構好き。wikiによれば、みかけよりずっとエリートらしい。

ロバの耳通信「ジャッジ 裁かれる判事」「皆殺しの流儀」

「ジャッジ 裁かれる判事」(16年 米)

辣腕弁護士ロバート・ダウニー・Jrが母の死の知らせを受け、インディアナ州の田舎に帰る。待っていたのが、折り合いの悪い父親で地区裁判所判事のロバート・デュヴァル。その田舎でひき逃げの罪に問われた父親の無実を信じ、弁護を引き受ける。

田舎、といっても日本の田舎とはかなり違うが、見渡す限りのジャガイモ畑(多分)や典型的な地方都市。ダイナーズの窓から見える風景も、農場を横切る道も昔のまま。ワタシも90年代そんなところにしばらくいたことがあるから、街並みも、ダイナーズもとても懐かしかった。アメリカの田舎は、海の近くでもなければ、みんな同じ風景。役場やダイナーズや、みんな同じ、ずっと同じ。
元カノジョとの再会や自分の幼い頃を知ってる町の人たちと相変わらず頑固な父親は実は末期ガン。野球選手を夢見ながら交通事故で夢を果たせなかった兄、知恵遅れの弟など、これでもかと不良少年だった弁護士の心になにかを訴える。ワタシもひき逃げ裁判の結末は、もはやどうでもよくなって、インディアナ州の田舎を思い出し、浸ってしまった。

「アイアンマン」シリーズ(08年~ 米)などですっかり有名になった主演のロバート・ダウニー・Jrは好きな俳優ではないが、頑固判事ぶりや初めての孫娘にあった時の優しい表情など当時84歳のロバート・デュバルがこの映画でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことに大いに納得。

「皆殺しの流儀」(14年 英)原題 We still kill the old way

Gyaoの無料動画のおかげで、マイナーな映画も見るようになった。悪いことし放題の町のチンピラたちに兄を殺された昔の顔役が、同年配のジジイを集めて復讐するという、ジジイ活劇。この手の映画は結構多いが、英国らしくシャレた言い回しなども楽しめるし、最後はジジイたちの勝利に終わり、これからもこの町のワルモノ退治を続けようぜという続編への期待を持たせてというお決まりで締められるから、まあ楽しめたのだが、途中が長い。チンピラたちの悪行を強調して、後半の復讐活劇に持ち込もうというのはわかるんだが、こうバイオレンスを延々とみせられると胸糞が悪くなる。
本編の「昔流儀で殺す」に引き続き、続編(17年)は We still steal the old way「昔流儀でかっぱらう」という銀行強盗の映画だとか。まあ、探してまで見たいとは思わない。

ロバの耳通信「ドラゴンフライ」「逢魔が山」

「ドラゴンフライ」(16年 河合莞爾 角川文庫)

解説によれば河合のデビュー作は横溝正史ミステリー大賞受賞作「デッドマン」で、この「ドラゴンフライ」はその第2作だと。「デッドマン」とほぼ同じ刑事たち、遺体から頭部、胴体、手足が持ち去られるという奇想天外なストーリー。「ドラゴンフライ」も臓器を抜き取られた猟奇死体が出てくる。前作を読まずにおいて比べるわけではないが、猟奇には奇想天外の展開があって面白い味付けにしても横溝正史や江戸川乱歩並みの筆の力がないとホラ話だけでは飽きられるよ。
「ドラゴンフライ」は完全犯罪をもくろんだが、腕利きの刑事たちに謎解きされるというスジ。ただ、その謎解きの解説が長すぎてダレる。うん、うん、トンボについても蘊蓄もたっぷり聞かせてもらったし、ほかに類を見ないトリックの手口も披露してはもらったが、あまりにとんでもないトリックだから、そんなのありかよと途端にミステリーとしての興味を失う。これからも期待して読みたい作家ではないかな。

序盤に目の見えない少女と仲良しの二人の少年が登場し、彼らが最後までこの物語のカギを握る。

たまたま同じ時期に読んでいた「逢魔が山」(17年 犬飼六岐 光文社文庫)は、偶然にも目の見えない弟を可愛がる兄とその仲間たちが禁忌の逢魔が山に迷い込む冒険物語。勇気や友情を主張していて子供のころにたくさん読んだ冒険小説を思い出して思い出にひたることができた。「ドラゴンフライ」はトリックや謎解きに溺れ、目の悪い少女と少年とで語ろうとしていた主題がどこかに忘れられたのではないかと。

ロバの耳通信「アンダーリポート/ブルー」「家族の言い訳」

「アンダーリポート/ブルー」(15年 佐藤正午 小学館文庫)

15章からなる小説の第1章で挫折。洒落たカフェの気取ったセリフ、先の章へのとっかかりが掴めない。まいったな、と。近年、根性がなくなって込み入ったプロットを丁寧に読み進めながら解いて行くーなんてことができなくなっているのは明らかにトシのせい。アタマが固くなっていることを認識。
キレイな本だからこのまま図書館に返すのも業腹だからと、何日か置いて、最初から読み返した。さすがに2回目だとなんとかアタマに収容して、第2章に進んだ。お、なんだこのトキメキにも似た期待感は。食いつきがいいというか、面白そうじゃないかと。それからは怒涛の進軍。いつもの寝る前の読書が長引き、眠れなくなる予感。ムリムリ、途中で止めたら、朝日が明ける前から気になってしょうがない、ということであとは一気読み。オマケの短編「ブルー」は第15章の続きとなっているから、オマケまで。で、気付いたら第1章に戻っていた。ストーリーの全容がわかってしまうと、また第2章からーと、ダンジョン(洞窟探検)ゲームの繰り返しだ。

交換殺人という荒唐無稽なストーリーだから好みじゃないはずなのだが、ジワジワと真綿で首を絞められてゆくような展開は、ほとんど経験のない経験。登場人物が少なく、主人公も脇役も、仕草や性格描写が丁寧だから疲れずに楽しめた。同じ作者で「ジャンプ」「鳩の撃退法」「月の満ち欠け」というのがあると。期待できそう、会えるのが待ち遠しい。知らなかったぜ、佐藤正午。

「家族の言い訳」(08年 森浩美 双葉文庫)

8の短編が良く書けている。作者は放送作家で作詞家だと。文章と著者名から女性だと勘違いしていた。
所詮小説は作り事だと割り切ってしまえばいいのだろうが、あまりに良く書けていてすこしダレる。朗読CDとかで寝る前に聞けば、ココロ打たれたり、涙出たりでいいのだろうが、年を経てねじくれてしまったワタシにはひとつかふたつで十分。巻頭の「ホタルの熱」だけで止めとけばよかった。