2017年9月3日日曜日

ロバの耳通信「静かな雨」「心はあなたのもとに」

「静かな雨」(16年 宮下奈都 文藝春秋社)「心はあなたのもとに」(13年 村上龍 文春文庫)

2冊の恋物語を読んだ。「静かな・・」はたいやき屋のこよみさんを好きになった青年の物語。こよみさんは交通事故で1日しか記憶を保っていることができない病に。「博士の愛した数式」(03年 小川洋子 新潮社)のアレである。「心は・・」は、ファンドマネージャーが愛した風俗嬢サクラが1型糖尿病で死んでしまうという物語。どちらかを選べるのならば、こよみさんかな。無人島にどちらかしか持ってゆけないとしたら、村上の591ページより宮下の107ページを選ぶ。時間がたっぷりあっても、長編に散りばめられたひけらかしや名言に共感を感じないより、優しい言葉だけの滲みてくるような文章を、声に出して読んでいたいから。


宮下奈都は本屋大賞で話題になった「羊と鋼の森」(15年)以来か。「羊と・・」もココロに残るいい作品だったが、ワタシはこの「静かな・・」のほうがゼンゼン好きだ。こよみさんが交通事故で入院したところなんて、ほんわか恋の物語を楽しんでいたものだから、まるで身内が事故に遭ったときのように自分の心臓の鼓動が聞こえ、一瞬だが脳が白くなったような気がした。なんて作家なんだ。

終章の4行がいい。滲みた。

ビンボー人のせいか、女性をお札でひっぱたいてモノにするなんてのは趣味じゃない。あこがれもしない。村上がいつもの上から目線で、ワイン、料理、ジャズ、サッカーはてはほかの女性関係などを「たっぷり」ひけらかしてくるのが鼻について、どうもイヤだった。主人公が幼い時の出来事、例えば教師だった母のことや住んでいた家のことなどを語るところなんか、自分の環境とは全く違うのにとても懐かしかったりして、いい作家だなとか思うこともあったのに。

1型糖尿病はとても大変な病気みたい。病気、とひとくくりにしてはいけないのだろうけれども、肺ガンで亡くなった友人のことを思いだしたりするとね、病気って本当に「大変だ」と思うんだ、軽かったり重かったり、治ったり死んじゃったり、なんだかとても不公平な感じはするけどね。

まあ、1日しか記憶を保てない病気より、1型糖尿病はずっとずっと苦しくて辛い病気に違いないし、死んでしまった風俗嬢のサクラは可哀そうだけれども、ソコをいくら悲しい劇に仕上げても、愛人に死なれた大金持ちの物語なんて・・つまらない。

あとがきに、1型糖尿病について書いた動機は結局この病で亡くなることになった村上の友人のことだあった。ソレはアリだと思う。親しい人、特に自分より若い人を病気で亡くす不条理さは余りある。しかし、設定を風俗嬢にしたのはどうかな。たぶん、不規則な生活なんかを想像するとなんだかもったいない気がする、命が。作品の中のサクラは可愛いけれど、ワガママである。糖尿病の影響で高じた神経病かもしれないが。水商売をしたり学校に通ったり、旅行をしたりで、そりゃあ病気も悪化するだろうよ、とか反感さえ覚える。第一、この病に苦しんでいる多くの方々は、普通の暮らしを願いつつ叶わぬ闘病生活を強いられているという。男と女の狡さを伝えたくて書いた作品ならば成功しているのかもしれないのだが、なんだか割り切れない。

ファンドマネージャの仕事の話はとても興味深く、村上らしい理詰めの説明は説得力もあった。しかし、繰り返しひけらかされる趣味の世界や、エロ小説のような寝物語は食傷してしまった。そういう中で、最初から最後まで語られる1型糖尿病のディテールが、プロットの重要な意味を持つとは言え、不謹慎にさえ感じられた。

恋についてのフランスの哲学者の引用から始まる解説を小池真理子が書いている。小池によれば、この小説は村上龍が書いた「ほとんど珍しいほどの」純愛小説だと。うーん、違うと思う。風俗嬢だからどうこうでもないけれども、「片翼だけの天使」(84年 生島治郎)のその後、結局金をむしり取られて別れてしまった(らしい)話もあるしね。

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