2022年3月30日水曜日

ロバの耳通信「地球、最後の男」

「地球、最後の男」(11年 米)

なぜか、「ロビンソン・クルーソー」のような”ひとりで頑張るサバイバル”みたいな物語が好きで、ロビンソン・クルーソーにはフライデーという仲間がいたからちょっと違うのかもしれないが、とにかくそういうのが好き。”置き去り”みたいなのもお気に入りで、たとえば「オデッセイ」(15年 米)ではマットデーモンが火星に。「レヴェナント:蘇りし者」(15年 米英)では極寒の地のディカプリオが。「ゼロ・グラビティ」(13年 米)では宇宙船にサンドラ・ブロックが置き去りにされる。古くは「地球最後の男」(64年 米伊)の ヴィンセント・プライス、「地球最後の男オメガマン」(71年 米)ではチャールトン・ヘストン、「アイ・アム・レジェンド 」(07年 米)ではウィル・スミスが細菌に侵された地球に残った最後のヒトとなる。まあ、細菌のせいで中途半端に生き残っているミュータントなどもいるから厳密にはひとりではないけれど、まあ良いことにしよう。とにかく、”ひとりで頑張る”のが好きなのだ。
似た設定でひとりでお留守番の「ホームアローン」シリーズ(90年~ 米)もこのクチかもしれないがコメディーは好きじゃない。

この「地球、最後の男」は人類が消滅したかどうかで宇宙にひとり残されてしまって”ひとりで頑張る”宇宙飛行士の物語。南北戦争のシーンで始まる唐突さも、意味不明の終わり方も明らかにスタンリー・キューブリック(監督)の「2001年宇宙の旅」(68年 米)を意識している。旧作は猿が道具を使い始める進化の暗示から始まって、面白さを観客の主観に委ねていたが、偽作のほうは落ち着きどころがサッパリわからない。暗喩の理解は観客の知識や想像力に依ると思うから、すこし時間を開けて2度見したのだが、暗示も暗喩も捕まえることができず断念。消化不良ながら、音楽と映像美は超一流。また見てもいいかな。

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