イタメシやイタリア映画は好きだが、イタリアはあまり好きではない。だから、この本を借りたのはカミさん。読んでいるうちにハマってしまったのは、なぜだろうか。
イタリアについての経験は、ずいぶん前のことだが、シチリア島にある工場に仕事にゆき、週末をローマで過ごしたくらいのことだから、偉そうなことは言えないのだがイヤな経験をいくつかして、イタリアがキライになった。タクシーでぼられた(ホテルでドルに換算して、ぼられたことに気付いた)、コロッセウムに歩いてゆく途中迷ってしまい暗い通りを歩き回ることになってしまった(もともと地図を読むのが得意ではない)、中央駅でひと区間だけ電車に乗ってみたかったのだが切符を買えず(どこで切符を売ってるかもわからず、人混みに挫折)、イタリア広場の近くで安い飯屋を探すが見つからずマックで食べるはめになった(腹が減りすぎて、マックに飛び込んでしまった)、夕暮れのホテル前の通りは人通りが少なく見知らぬ男たちの暗い目つきが怖かった(ホテルの場所が悪かった)、成田行きのアリタリアが何時間も遅れ、機内サービスが最悪だった(初体験のアリタリア航空)ーと、ほとんど八つ当たりに近い理由からなのだが、それまでに訪れたどの都市よりも英語がほとんど通じず不便を感じたとーいうのが不満の元か。
「ジーノの家」は、イタリア在住30年以上の日本女性によるエッセイ集。旅行記のつもりで借りたら、どっぷり浸かったイタリア生活記。興味深い料理の話題のほかは、ほとんどは人情話。情景はイタリアだが、因習に囚われた日本の田舎暮らしを聞いているようだ。
表題となっている「ジーノの家」は歴史のあるあばら家を借りて暮らしているうちに地域の人々と交流を深め、その歴史を知るというちょっとホテルに泊まってくらいではゼッタイに知ることが出来ない「暮らし」を書いている。本人によるあとがきで、長年の外国暮らしでの不便や問題のボヤキに対し、老船乗りに”問題が起きるのはそもそも自分に力量がないからだ”と言われたと。
うーん、その通りだ。これまでの人生で、起きてきたいくつかの不都合は自分の力量のなさだったのだと、あらためて思う。
ローマでバスを間違えて、段々と夕暮れが深くなり脂汗が出た。外国人はローカルバスは止めておけとどこのロンリープラネットにも書いてあるのに。覚えているのはそういう断片ばかり。
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